1月8日

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1月8日

 長い長い黙祷だった。姿勢を伸ばし手を合わせ、今何を思っているんだろうこの人は。ぼんやり見つめているとその向こうにいた兄さんと目が合った。少し笑って見せた兄さんは、森見さんを見ていた時のまま優しい顔をしていた。 「甘いものがお好きだとお聞きしたので」 「わざわざありがとう」 「お伺いするのが遅くなってしまって」 「そんなのはいいのよ。そちらのご実家には帰ったの?」 「いえ、明日行くつもりです」  お母さんが受け取った箱は有名なデパートの包装紙だった。私は兄さんと森見さん、そしてお母さんと自分のお茶を置いてから座った。 「毎年帰っているのかしら」 「少なくても一年に一度はそうですね。正月かお盆か」 「二人で?」 「……はい」  そうなの、とお母さんは少し寂しげに呟いた。  次兄が正月にこの家に帰って来たのは、もう何年振りになるだろう。お父さんと仲違いしてから兄さんは一度もこの家に帰ることはなかった。電話やメールでのやり取りはあったものの、死期の迫ったお父さんの病床を訪れるまで顔を見せることは一度だってなかった。 「お世話になっているのならそのうちご挨拶に行かなければいけないわね」 「ありがとうございます」  葬儀のあとお母さんが森見さんに会うことにしたのは、お父さんの最期の言葉によるところが大きいと思う。お父さんが兄さんに最後に残した言葉は謝罪だった。言う方も言われた方も悔いが残ったのではないかと思ったのは、葬儀が終わって落ち着いたあとだった。  最期の時までこの家に帰らなかった兄さんに、何故と思う気持ちもある。それでもお父さんと森見さんの間でどれだけ葛藤したのかと想像すると、責めることはできなかった。 「今日はお夕飯を食べていってね。大したものはできないけれど」 「ご馳走になります」 「美月も手伝ってちょうだい。人数分用意するのは久しぶりだからちょっと不安だけれど」 「わかった。ちょっと家に電話してくるね」 「一佳さんも来ればいいのに」 「旦那は今日、子供と一緒に向こうの家に行ってるから」  そうなの、と残念そうなお母さんに少し胸が痛む。私が子供の頃はお手伝いさんが一人いて、まだ独身だった叔父が住んでいたこともあったりと賑やかだった。長兄と私が家を出てからは夫婦二人、お父さんが亡くなってからはお母さんが一人で住んでいる。賑やかだったのもずいぶん昔のことだった。 「お母さんは?」  電話を終えて部屋に戻ると兄さんが一人でテレビを見ていた。 「台所に行った。森見も一緒に」 「あらお客さんなのに」 「あいつは結構凝り性で料理も好きだからいいんだ。それにあいつは客じゃないから」  真摯に手を合わせていた横顔を思い出しながら、私はそうだねと答えた。 「兄貴は?」 「仕事」 「相変わらずだな」  昔気質で根っからの仕事人間だった父親の背中を、誰よりも見てきたのは長兄だった。だからこそまだ拘りを捨てきれずにいて、けれどそれもまた、私には責めることはできなかった。 「修一兄さんのところも顔だしてね」 「ああ……この家はこんなに広かったんだな」  客間の天井を見上げたまま兄さんがぽつりと呟いた。一人で住むには広すぎる家。 「美月」 「ん?」 「母さんのこと頼むな」 「うん」  兄さんの「頼む」は「ごめん」に聞こえた。  謝る必要は誰にもない。そう思う。 「そうだ、うちって酒ないよな」 「ないに決まってるじゃない誰も飲まないんだもの。兄さん飲むようになったの?」 「いや全然。俺じゃなくて森見がさ」 「へえ意外」 「あいつはウワバミだよ」  うちの家族は誰もお酒を飲まなかった。お母さんの家系らしく、私たち兄妹はビール一杯で真っ赤になる。そんな中で唯一お酒が大好きだったのは。 「もし親父が生きてたら、あいつはいい酒の相手になったのにな」  その言葉にはいろんな思いが滲み出ていて、私は不意に泣きそうになる。気づかれないように顔を背けて立ち上がった。 「コンビニまでちょっと買いに行ってくるわ」 「わざわざ行くほどじゃ」 「いいの。久しぶりにお父さんにも献上しようと思って。あんなに好きだったのに最後は飲めないままだったから」  台所にいるお母さんに声をかけてから家を出る。森見さんと並んで立っているお母さんは楽しそうだった。そんなことを考えながら見上げた空は、冬の澄んだ空気で星がきれいだった。 「ちょっと待てよ。俺も行くから」 「どしたの」 「あいつの好きなものは、俺が一番よく知ってるから」  横に並ぶ兄さんを見上げる。二人は親にはなれない代わりに、いつまでも恋人のような距離感でいられるのかもしれない。きっとたくさんの困難があるのだろうけれど、それでも私は少しだけ二人のことが羨ましいと思った。
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