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Chap.10 Nana’s memory.32 18th July 1859
二十年の人体組織の作成を終え、意識の覚醒も完了しました。
ひと月の人造人間としての教育期間が終了し、本日より、ご主人様の元へ配送されます。
人間には決して逆らわないこと。
これが鉄則です。
その他の規則も脳に確実に書き込まれています。問題はありません。
工場から、職員の方に付き添われご主人様の元へ向かいます。
街の中心部を抜け、馬車を降りると、大きなレンガの家が一軒。
職員の方がノックします。
「エディ博士、人造人間のサンプルをお持ちいたしました」
扉が開きます。
出てきたのは二十代と思しき男性です。身長の高いやせ型で、ヘーゼルの伸びきった髪を首元でくくられています。
男性は私を見ると目を見開きます。
「いらないといったのだが……」
「しかし、最新型をエディ博士にお届けしないわけには」
「いつも断っているだろう。だがまあ、今回はいただこうか」
「よろしいのですか?」
「ああ、機械いじりが楽しすぎて家事に手が回らなくなっていたところだ。家政婦として使わせてもらおう」
職員の方の顔には笑みが浮かんでいます。
「ありがとうございます。それで研究所の方には――」
「戻らん。人造人間を置いてさっさと帰れ」
「かしこまりました……」
職員の方は背を丸くして場から退場なされました。
男性が私を呼びます。
「早く入れ」
「かしこまりました」
礼をして、中に入らせていただきます。
男性が私のご主人様と登録します。
無秩序に物が散らばるリビング。
ご主人様はソファに座り、私を目に映されます。
「名前は?」
「私はVer.7 1642-9943。名前は設定されておりません」
「長いな。Ver.7か。7はほかの個体と混ざりそうだな。よし、それではこうしよう」
ご主人様は口角を上げられます。
「東洋では7のことを『ナナ』と発声する。呼びやすくていい。どうだ?」
「ご主人様の仰せのままに」
「ご主人様というのはやめろ。俺はエディだ」
「エディ様」
「それもむず痒いな。今は隠居した身だが、まあ、博士とでも呼んでもらおうか」
私はそれを脳に書き込みます。
「博士」
「そう、それで頼むよ、ナナ」
ナナ。それが新たな私の名前。
その言葉を博士の口から聞くことができました。
私はVer.7 1642-9943ではなく、ナナということが確定したのです。
私は首を傾げました。博士も首を傾げられました。
「どうした?」
「私の中に未知の感情を検知しました」
「ほう、それは快か不快か?」
私は脳を動かします。
「答えが出ました。快です」
「原因はわかるか?」
「博士にナナと呼んでいただけたことにより発生しました」
博士が目を見開かれました。
「それは、おそらく嬉しいという感情だな」
「嬉しい、ですか」
「ああ、そうだ」
博士は鼻を鳴らされます。
「最近の量産型人造人間はこんなにも感情を覚えるのが早いのか。結構なことだ」
「お褒めいただきありがとうございます」
「皮肉は通じないようだがな」
皮肉。知らない単語です。
博士は立ち上がられ、乱雑に机の上を片付けなさります。
「今日は食事を宅配させよう」
「私がお作り致します」
「まだ、お前を信用したわけじゃない。とりあえず一週間は何もせずにここにいろ。様子見だ」
「かしこまりました」
しばらくすると食事が届きます。
食事を持ち、玄関に現れた女性が私を見て、目をしばたかせられます。
「おい、エディ。いつの間にこんな可愛い彼女できたんだよ」
「これは人造人間だ。サンプルとして届いてな。家政婦代わりに使うことにした」
「まじかー。変なことするなよ」
「人造人間相手に興奮するか」
女性は博士と知り合いのようです。
女性は私を見つめると笑顔を浮かべられます。
「こんにちは!私はベリンダ。お嬢さん、お名前は?」
「ナナと申します」
「ナナちゃんね。近くに住んでるから、この野郎に何かされそうになったらいつでも来てくれよな!あと時々様子見に来るな。エディ、覚悟しとけよ」
女性、ベリンダ様は時計をご覧になると慌てて、帰って行かれました。
博士は頭を抱えられます。
「まったく、騒々しい」
博士とベリンダ様は仲は良くないと推測されます。
食事をダイニングに運びます。
「それではいただこう」
博士が召し上がるのを私が見ていると博士が顔をしかめられます。
「食べないのか?」
「私がでしょうか?」
「お前以外に誰がいる」
私は食卓に並ぶ料理を見ます。
それは、研究所で与えられていた固形型食糧とは違い、人間用の食事です。
「人造人間である私がこのような食事をいただいてもよろしいのでしょうか?」
「そうか、一般的には人造人間はあの趣味の悪い固形物を食ってるのか……。あれを目の前で食われると思うとぞっとする。まともなものを食べろ。許す」
「ありがとうございます」
許可をいただいた私は料理を口に含みます。
博士が私に尋ねます。
「固形物以外を食べた感想は?」
「大変美味です。嬉しいを多量に検知しています」
「よかったな」
博士の顔に笑顔が浮かびます。それを見ると、また、己の中に嬉しいを検知します。
「人は嬉しいを検知すると笑顔を表出すると伺っています」
「その通りだが?」
「私もそのような表出を行いたいと思います。よろしいでしょうか?」
博士の顔に僅かな驚愕が浮かびます。そして、その後、笑顔になられます。
「ほう、面白い。やれるだけやってみろ」
「ではまず笑顔、ですね。今から施行してみますので、それが正常か見守りをお願いいたします」
力の入れ具合、均衡を考えて顔の筋肉を動かします。
博士がおっしゃります。
「下手だ」
「ただいま、謎の感情を検知しました」
「快か不快か」
「不快です」
「はは、下手といわれて悲しくなったか。面白い」
博士が笑われます。
「何度でもやってみるといい。実験をするのは良いことだ、気まぐれに付き合ってやろう」
「ありがとうございます」
また嬉しいを検知しました。
博士は私に部屋を与えてくださりました。
寝支度を整え、古びたベッドに入ります。埃にくしゃみをします。清潔ではないのかもしれません。それでも、研究室とは何かが違うのです。
博士といると体の中が温かです。
これは快の感情。きっと嬉しいということでしょう。
嬉しい、とっても、嬉しい。
明日からもあの方とともにあれる。嬉しい。
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