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Chap.1 20th January 1863
カムコット通り。石畳とガス灯の並ぶこの一帯は、巨大都市スティルブラスでも高級住宅街に当たる。
レモン色の明かりの中、赤い屋根が特徴的なレンガ造りの家が一軒。
エディはその中で彼女を待っていた。
「この外道が」
手足を拘束し、何度か暴力も加えたが、ベリンダのグリーンの瞳は決して折れることはない。紳士として女性をいたぶるのはいただけないが、騒がれても困る。
エディは椅子に座ったまま手を伸ばし、床に転がるベリンダのブロンドの髪に隠れた首をさらけ出す。ベリンダが舌を打ち、挑発的な口調で言う。
「首でも跳ねるつもりか?」
「そんなことをしたら人質の価値がないだろ」
「はっ、冗談の通じねぇ――っ⁉」
エディはためらわず、ベリンダの頸動脈を押さえた。彼女は抵抗を見せたがそのうち意識を落とした。
「早く来ないだろうか」
エディは一人こぼす。
彼女にまた会えると思ったら落ち着かない。首元で結んだヘーゼルの髪を無意識のうちに弄る。
早く知りたい。彼女のことをどこまでも深く、徹底的に。すべてを暴きたいのだ。
昂る気持ちを抑えきれず、エディは口元を覆い、声を殺して笑う。
そしてノックの音を聞いた。エディはいかにも冷静を装って問う。
「こんな深夜に誰だ?」
「私、いえ、ナナです、博士」
どこか機械的ともいえる声に、エディは歓喜した。
扉に駆け寄り、鍵を、扉を開く。
意志の強そうな青い瞳でこちらを睨むのは愛しの人造人間。
「ナナ、会いたかった!さあ、早く入れ」
「失礼いたします」
彼女は踏み込み、そして、息を止めた。
「ベリンダ様?ベリンダ様!」
ベリンダに駆け寄るナナ。予想通りの反応。そして、期待以上の反応。その顔は青く染まり、冷や汗が噴き出ている。まるで人間だ。
「大丈夫だ。死んではいない」
「彼女に何を⁉」
怒る様もまるで人間。エディは高揚した笑みで告げる。
「ただ気絶しているだけだ。今は」
「今は……?」
「ああ。ナナ、お前が俺についてくるならベリンダは解放しよう」
ナナがぐっと奥歯を噛み締めたのがわかった。どれもこれもエディを昂らせてやまない。
ナナはベリンダの呼吸を確かめると、エディに向き直った。
「わかりました。私は博士についていきます。その代わり、彼女の安全を保障することを要求します」
「もちろんだ。俺が約束を破らないのはお前が一番知っているだろう?」
それにナナは答えなかった。エディは笑顔で彼女に言う。
「ナナ、行こうじゃないか。我々の新たな住処へ」
彼女に手を差し出す。ナナは唇を嚙み、悔しそうにエディの手を取った。深く満足だった。
***
蒸気が噴出し、歯車で動くこの巨大都市・スティルブラス。
時計塔が大きなギアの元、正確な時を刻む。石畳の地面には機械仕掛けの馬が引く馬車が走り、空に引かれたレールに汽車が走る。
より高みに、より先に。それがスティルブラスのスローガンだった。そして、それが実現される時代でもあった。
人間は蒸気機関を、ガス灯を、記録を信号として保存する方法を、空を飛ぶ蒸気船を開発した。
そして、ついには生命を作り出した。人造人間だ。
人造人間の技術を一躍発達させたのはエディ・ウッド。彼は二十歳という若さで今の人造人間の生産に欠かせない技術を生み出した。
だが、第一人者の彼は研究所から追い出される形で姿を消す。
世間が求めた人造人間は、現在世に流通している人間に従順なもの。エディはその先を行こうとした。より人間らしく、より複雑な感情を持つ人造人間を作ろうとした。
商売にならない研究。彼に手を貸すものはいなくなった。こうして、彼は第一線を退く。
様々な批判や研究所からの要請。エディは人造人間の研究に嫌気がさしていた。そのため、研究から遠ざかりカムコットの家で趣味の機械いじりをしながら悠々と過ごしていた。
そんな時に、サンプルとして研究所から送られてきたのがナナだった。
「お前は特別だった」
エディの声が地下へ続く階段に響く。前を歩くナナの足が止まる。
石がむき出しになった外壁に床。壁一面に張り巡らされた金属管に歯車。確かに見栄えは悪いだろう。人に見つからないように、場所は妥協した。だが、全て揃っている。
その体を寝かしつけるベッドも、押さえつける拘束具も、記憶を取り出すための機械も、取り出したものを再生する映写機も、それを保存するための小型記憶媒体も、すべて、すべて。
「さあ、ナナ。早速だが、そこのベッドに横たわってもらおうか。おっと、そのシャツとズボンではリラックスできないな。ここに服がある。着替えてくれ」
エディはナナに真っ白な手術着を渡し、後ろを向く。
「着替えられたら言ってくれ」
地上への階段をふさぐように立ち、エディは告げる。
ナナが衣服を落とす衣擦れの音がする。ぞくりとした。
「着替えることができました」
「協力ありがとう」
振り返る。ナナの真っ白な姿。首元に見えた人造人間の証の識別番号。
Ver.7 1642-9943。
たまらなかった。ずっと思い描いてきたものだ。これからナナの全てを調べることができるのだ。
彼女に指示し、ベッドに横たえる。そして、その手足を拘束具で縛った。エディは尋ねる。
「痛くないか?」
「痛くはありません」
「よかった」
エディはナナの黒く短い髪を撫でる。
「痛いことはしない。だから、抵抗しないでくれ、な?」
「もう、抵抗は致しません。ベリンダ様に手を出さないと誓うなら」
「誓おう。ナナさえいればベリンダなんざどうでもいい」
エディは機械操作に向かう。背からナナの声がする。
「博士、もうやめませんか?」
「やめるわけないだろう」
振り返り、揺らがぬ声で言うと、ナナは小さく笑った。
「そういう方ですものね」
「よくわかってるな」
エディはボイラーに燃料をくべた。どこかで蒸気の音がし、むき出しになった歯車がぐるぐると回りだす。
エディは寝そべるナナを見つめる。
「ナナ。今からお前の記憶を取り出していく。直近のものから過去にさかのぼって。すべてを覚えているのは今だけだ」
「はい」
「何か言いたいことはあるか?」
気まぐれな質問だった。ナナは口を開く。
「何も……」
そこで彼女の言葉は止まった。エディは目を見開いた。ナナの眼には涙がたまっていた。人造人間である彼女の眼に。
彼女は震える唇で言葉を紡ぐ。
「博士、愛しています」
絶句した。そして、たまらなくなった。
「あははははっ!あははは!」
エディの狂った笑い声が地下室に響く。
「最高だ、最高すぎる!なんて出来のいい人造人間なんだ!」
愉快で愉快でたまらなかった。そして、気になって仕方なかった。
誰が彼女を作ったか、どうやって彼女に人間らしい感情を植え付けたのか、他の人造人間と何が違うのか。
「ナナ、俺もお前を愛しているよ。お前を思うだけでこんなにも愉しい」
エディはナナの耳にずるりと機械管を差し込む。
涙を流しながらも、強い目でこちらを見据えるナナにエディは告げる。
「さあ、実験を始めよう」
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