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第6幕第2場「地上の王国」
肌理の粗い石積みの市壁の円内に、相似の円周を描いて並ぶ瓦屋根。一回りずつ小さく、そして背丈の高くなるあらゆる建造物の中心には、北西から競り降りてきた灰汁のような雲を貫ぬくように塔が聳え立っている。
天を仰げば街のどこからでも目に入る大時計には、二頭の蛇が睨み合う巨大な紋章が描かれている。対の体はぐるりと螺旋になって絡み合い、いつの間にか二頭の区別はつかない。一体化が起きていると思しきその箇所は、円弧状の装飾に覆い隠され、双子の蛇の秘密を守っていた。
研究団の大教会とも言うべき計画都市は、研究施設の運営と研究員の居住を主たる目的として設計されている。
世界樹という巨大な桎梏に繋がれた三つの大地は、それ自身が万物の総体であるがために天涯孤独の身に甘んじて、闇の海を漂流している。
その根本、ずばり”一番目の大地”とありのままの名で呼ばれている世界の上に環を描く陸地の西部一帯が、ベルントリクス共和国である。研究都市はその北部地方、旧体制崩壊後に何者の所領でもなくなった地に造られ、大国の名を借りてベルントリクスと呼ばれた。
有力な研究団を国内に抱えるパトロンであることこそが、現代国家の国際地位の要である。共和制議会は国権の最高府というより専ら組織の財布だ。経済操作や交易、はたまた司法や国民の基本的な生活環境の整備でさえ、税の取立てという一番損な役回りを除いた一切の業務を、今は先進産業の担い手である研究団がビジネスの一環として行なっている。
もはや組織の存在なしには、現在の生活を維持しようもない。誰もが知るその事実あってこそ、国民からはこれといった不満の声は上がらなかった。
そんな世にあって、グノーズ・オーカーは、彼らから贖宥状を買わされている立場にあった。
壁に埋め込まれたステンドグラスに棲むのは双頭の蛇。内側から投げかけられる灯りによって、階段の上に間延びした像が映り込む。
グノーズは高熱を出した子供のような目をして、その燐光を茫然と眺めていた。
目に見えない神聖な壁がそこに立ち塞がっていた。時間という概念はもはや彼にはなかった。ただ静止した喪失感だけを我が身のものと感じて、ずっとそうしていたのだ。
喪失感? ――何を言っているのだろう。
彼は己の胸に自嘲染みた反駁を加えた。
あるとしたら喪失ではなく虚無感だろう。元からこの手には何ひとつなかったのに。
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