第6幕第4場「アフタヌーンティー」

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 マンヴリックの胸に悪い予測が浮かんだ。時を置かずして小さな通用口の扉が開き、そこに現れた噂の本人が彼らの注意を攫う。  辺りに気まずい沈黙がよぎった。  サイマンは確かめるような目を弟かローレンス氏にか向けて、後ろ手に扉を閉めた。伯爵家の悩みを知る女中は、淡いストライプ柄のタイを直しながらやって来る長男と頭を低くして擦れ違い、逃げるように屋敷の中へ下がる。  彼は浅い目礼をした。いつもの愛想の乏しさが、今は余計な憶測をもたらしかねなかった。 「こんにちは。……」 「おいサイマン、お前このあいだ結局どうした」 食いつくように腰を上げかけたレンヌを、ローレンス氏は一睨みして黙らせた。彼女は寝椅子にどっかと座り直して茶を一息に飲み干した。  茶会の出席者たちは硬直して、サイマンに視線を集めていた。嬉しそうなのは飴色のテリアだけで、足元に擦り寄るライを抱き上げるとサイマンは唖然としている弟の背後へ回る。 「――父さんは?」  その単語が「父さん」であったからこそマンヴリックが聞き取れたくらいの声だった。まるで弟以外には聞かれたくないと言うかのようだ。マンヴリックは右手を残して体を捻り、椅子の上から彼に向き直った。自然と低くなる声。 「今いないよ。多分、収穫祭が過ぎるまでは忙しいと思う」 露骨な態度は表さないものの、サイマンは気落ちしたかそれとも安堵したかのように肩を落とした。  鈍い色の雲が顔を覗かせている北西の空から吹く風の音さえ、うるさいほどだった。もうどんなに声を潜めても仕方がなく、サイマンはマンヴリックの疑問を含んだ眼差しに応じる意味でそっと告げた。 「学会の準備で忙しいから、研修生の面倒をみる暇はないんだそうだ」  ベルントリクスはそんな言い方を彼にしたわけではない。事実ルクリース侯爵はクランスターの継嗣を気遣い、詫びの言葉を伝えた。  しかしサイマンが敢えて悪意のある解釈をしたのは、そうさせざるを得ない感情が胸中にわだかまっているからだった。  マンヴリックは首を傾いで訊き返した。 「サイマン、じゃあもう……」 「休暇中は家にいる」  アンナは意識が遠くなりそうだった。かねてからサイマンの体調を案じたり、家族と共に過ごす時間を作ってほしいと願っていたマンヴリックは、思わず考えなしに顔を綻ばせた。 「やっと休めるんだ! 良かっ――」 「いいわけあるか」  弟に悪気はなかった。彼には責められる謂れもないのだから、サイマンは不快感を覚えてもそれを押し殺そうとした。  マンヴリックにとってはいっそ睥睨を食らったほうがましだったかもしれない。せっかく戻ってきた兄の視線を、見す見す手放してしまったのだから。  使用人がふたり庭に出てきて、椅子とティーカップとを運んできた。マンヴリックの席の隣に椅子を入れると、カップをテーブルに置いて紅茶を注ぎ、そそくさと戻ってゆく。  椅子の背に片腕を乗せて浅く寄りかかるだけで、サイマンはそこに腰を下ろそうとはしなかった。マンヴリックはクッションの上で座りのいい場所を探しながら彼を見上げる。肩に隠れそうなその横顔に、表情はうかがえない。 「……ごめんなさい、無神経で」 マンヴリックは消沈して声を曇らせた。  彼がそう反応するとは思っていなかったサイマンは、顔には出ないが軽く驚いた。椅子の後ろから腕を伸ばして、ライをマンヴリックの肩に乗せる。 「謝ることないだろ。白けるし」 場は白けるというより混乱していたのだが、どちらにしろ茶が冷めかけているのは確かだった。膝に転げ落ちたライを抱え、マンヴリックは兄を見返した。  ローレンス氏は兄弟をすぐ傍らで見つめていた。強引な詮索をされたくはないだろうとは思いながら、それでも敢えて口を挟む。 「お父さんから逃げているなんて、そんなにサイマン君が臆病者だとでもマンヴリック君は思っていたのか?」  ローレンス氏は椅子の背に深く沈むと、腕を組んで、マンヴリックにふっと笑いかけた。そしてその明らかな瞳をサイマンに向ける。サイマンは彼が踏み込んでくるのを内心で身構えた。 「そうではないのだろう?」 見透かすような彼の眼差しから目を逸らすことができない。身を守るように目尻を引き締めるも気休め程度だ。
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