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14
これほど安らかに深く眠ったのは何日ぶりだろう……。
障子を透かして淡い朝の光が差し込む部屋の中で、僕は両手両足を伸ばせるだけぐっと伸ばしてみた。
ぎゅう、と思わず声が漏れるほどしっかりと手足を伸ばしきったあと、四肢を弛緩させると、何だか突然、ものすごく安らかな気持ちになった。
日曜日の今日は予備学校が丸一日休みなので、今後の身の振り方についてじっくりと思案できる。
久々に晴れやかな気持ちで目を覚ました僕は、朝日に誘われるように窓辺に向かった。
窓を開けてみるとまだ日は登ったばかりのようで、庭木に囲まれた屋敷は朝特有の清冽な空気に包まれていた。
小鳥のさえずり以外には何の物音も聞こえない――まだ白神さんも起きだしていないらしく、家の中はシンと静まり返っている。
そういえば、昨夜『まだこれから仕事がある』と言っていたっけ。
よく考えてみれば、あんな夜中に一体何の仕事をしているのだろう……?
ぐっすりと眠っているのであろう、白神さんを起こさないように忍び足で階段を降り、昨日案内してもらったお手洗いに向かう。
同色の模様で表面を埋め尽くされた青い絨毯張りの階段は、手すりにの部分にごく薄く埃が溜まっているようでせっかくの木目がうっすらと白くけぶって見えた。
絨毯が音を吸収するせいか、どうにか足音を立てずに階段を降りきってしまうと、僕はほっと一息吐いた。
厠と浴室は隣接しており、チラと垣間見えた浴室もまた、特別な意匠が凝らされたものだった。
白壁に腰の高さの少し上まで空色のタイルが敷き詰められ、床もタイル張りで縁には複雑な濃紺の模様が描かれている。
大部分のタイルは白で、白い床の上には色違いのタイルを集めて作った青い小花と椿のような紅い花が規則正しく交互に並んでいる。
手洗い場を出て廊下をぐるりと見渡せば、彩色ガラスで描かれた一枚の絵のような窓ガラスを通して色とりどりの光の影が床に落ちかかっていた。
確かこれは、西洋の基督教教会の窓に填められているという色ガラス描かれた絵のことではないだろうか?
思わず、ほうとため息が出てしまうような素敵な眺めだった。
とんでもないところに来ちゃったんだなあ……僕は。
ほとんどその場の勢いだけでこの屋敷まで付いてきてしまった僕だったけれど、改めて考えれば昨夜の出来事――銀座での白神さんとの出会いからカフェーでの愉しい時間がまるで夢みたいに思えてきた。
もしかしたら、本当に夢だったりして……。
文明開化の世にこんなことを言うと人は笑うのだろうけど、僕の頭の中にはごく古い昔話の一幕が浮かんでいた。
不思議な出会いをした美女などに立派な屋敷に連れられてきた人が朝目を覚ますと、豪華な家屋は廃屋と見まがうほどに荒れ果てており、しまいにはすぐ傍にカラカラに干からびた人骨が……というお決まりの怪談話。
僕の場合、幸い屋敷は元のまま、立派な佇まいを保っていたし、そもそもここまで連れてきてくれたのは美女ではなく、美青年の白神さんだけれど……。
階下に降りた時と同じに忍び足で僕は再び階段を上がっていった。
昨日、白神さんの寝間だと教えてもらった部屋の前に立ち、じっと耳を澄ませてみても中からはコトリと音もしてこない。
まだ朝六時を回って間もないので、もうしばらく様子を見ようと立ち去りかけた時、階下から幽かに……でも確かに人のうめき声が聞こえた気がして、僕はその場で凍り付いた。
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