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浅間山を間近に望む軽井沢宿――古くは中山道の宿場町として栄えたわが故郷は、実は、僕が生まれる十年ほど前に大きな転機を迎えていたのだそうだ。
江戸の板橋から数えて十八番目の宿場町であった軽井沢は、新しく通された碓氷新道から外れてしまった上、東海道に沿いに敷設された鉄道の影響もあって中山道を行き来する人が年毎に少なくなる一方だったそうだ。
宿屋が軒を並べていた界隈の華やかさは徳川の世の終わりと共に次第に色あせていき、新しい世の中が始まったにもかかわらず、暮らしは苦しくなる一方だった。
そんな旧宿場町が少しづつ変わり始めたのは、ある夏のこと……一人の加国人宣教師の来訪がきっかけだった。
避暑のために東京から訪れた宣教師は標高一千米の高地にある軽井沢の夏も涼しい気候をいたく気に入り、翌年は知人夫婦も伴って再訪し、その後も当時は寒村だった軽井沢の山に別荘を建てるなどして交流が続いていった。
こうして避暑地として外国人宣教師により『発見』された軽井沢は、その後もホテルや別荘が次々に増え、かつての賑わいを取り戻していった。
ほぼ同時期に鉄道がついに軽井沢にも到達したことも、この町にとって幸運だった。
数年後に東京の上野駅と結ばれるようになると駅前に商店も増え、次第に日本人の別荘も建てられるようになっていったのだ。
夏ともなれば外国人たちがごく当然のように訪れるようになった故郷・軽井沢で、僕はある夏、東京で独逸語講師をしているベッケンバウアーさんと出会ったのだった。
日本語や英語、時には僕の拙いドイツ語を交えて会話するのはとても楽しかった。
多分、白神さんと同じくらい、食に対するこだわりが強いベッケンバウアーさんは、僕に独逸料理の話を特に好んでしてくれた。
『それはね、Kartoffelpuffer、カトーフェルプッファーという揚げ物なのですよ。地域によってはReibekuchen ライベクーヘンと言ったりもしますね』
ジュワジュワジュワ―と、口真似で天ぷらを揚げるような音を立ててベッケンバウアーさんは、あはは、と笑った。
『日本語でセンギリ、というんですかね? 細ーく切った馬鈴薯か、すりおろしたものを使います。それと玉ねぎと卵、小麦粉と香辛料を混ぜてね。それを、多めの油の中に落として揚げ焼きにするんですよ』
実際に台所に立っているが如く右手を包丁に見立てて素早く振り下ろしたり、具材を混ぜる素振りしてみたり、ベッケンバウアーさんは実に愉しそうに説明を続けた。
クーヘンというからには、甘いお菓子なんですか? と僕が尋ねると、ベッケンバウアーさんはいやいやと頭を振った。
『カトーフェルプッファー自体は甘くないですよ。ただ、食べ方はいろいろで塩味で食べたり、甘いリンゴのムス(ムース)をつけたり、ジャムをつけることもありますねえ……』
白神さんと台所に入った僕はとりあえずそこにあるだけの材料を確認してみた。
小麦粉ヨシ、卵ヨシ、玉ねぎヨシ……、ちょっと芽が出ているけれど、馬鈴薯ヨシ……。
「うん、これなら大丈夫そうだ……」
「明朗君、マーマレードジャムもあったよ!」
壁際に設えられた作業台付の戸棚を漁っていた白神さんが満面の笑顔でマーマレードの瓶を差し出した。
瓦斯の焜炉に、機能的な作りの木製の調理台……初めて立つ洋式の台所に自然と僕もわくわくとした気持ちになっていた。
「では、カトーフェルプッファーを作りましょう!」
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