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 店の最奥にある丸卓子席に腰を落ち着けた僕は、落ち着きがないと思われない程度に周囲に目を走らせ、店内を観察した。  天井の近くに明り取りのような小窓があるほかに窓はなく、店の壁は白壁にこげ茶の木製の羽目板と長押が張り巡らされて、壁面に等間隔にランプがついている。  ランプにはどうやら油ではなく本物の蝋燭(ろうそく)が使われているらしい。  僕たちが入った時にはランプは全て灯されていなかったけれど、さきほどの給仕らしき青年が火を入れてくれたのでたちまち店内は明るさを増した。  店内はそれほど広くはなく、四人掛けの卓が二つに、二人掛けの小さなものが一つ。  あとは奥の厨房との間を仕切っている机のような背高の台の前にこれまた背の高い椅子が二つ並べてあるだけだった。 「君、こういう店は初めてかい?」 「ハイ……酒場自体、初めて来ました。しかもこんなハイカラなところは……」  実家では西洋人のためのホテルやレストランに野菜を卸していたので、これまでにも西洋風の建物は見かけたことはあったけれど、ここまで本格的な内装の店は初めて見る。  さすが、東京だなあ……。  そこで僕ははたと気が付いた。 「あっ、僕……これで、失礼します」 「ん? 何か用事でも思い出したのかい」  腰を浮かしかけた僕を見上げて白神さんは尋ねた。 「え……いえ、実は……その、持ち合わせが少なくて」  恥ずかしさから小声でそう答えると、白神さんはさっと立ち上がって僕の両肩に手を置いた。 「そんなことなら、座った座った。心配ないよ」  (さと)すようにぽんぽんと僕の肩を叩くと、白神さんはニッコリと笑った。 「今夜、君は僕のお客様だ。僕から誘ったのだから、いいだろう?」 「それは……有難いですけれど」  ちょうどその時、給仕の青年が奥の厨房からこちらに向かって歩いて来た。  立ったまま押し問答をしている僕たちをちょっと驚いたように見つめた後、先ほどと変らない甘やかな笑顔を浮かべて言った。 「ご注文は、いかがなさいますか?」 「まずは、麦酒(ビール)を二杯。それに腸詰の盛り合わせとウィーン風カツレツ、ポメスも大皿でいただこう」 「承知しました。食後には珈琲と……『例のもの』をお持ちしますね」  心得たというように青年は(うなづ)くと再び奥へと戻っていった。 「さあ、座り給え。遠慮はいらないよ。私がこうして頼んでいるのだから」 「ハア……では、お言葉に甘えて……」  そこまで言われては無下に断ることもできない。  それに実際、白神さんの申し出は僕には非常にありがたかった。  忍ぶように今朝家を出てから、水以外にはお昼に買い食いしたあんぱんくらいしか口にしていない。  空きっ腹を抱えて街をさ迷いつづけるのは、並外れた大食漢というわけでなくとも、食べ盛りの年頃には結構辛いものがある。  だから青年が奥へ入ってからほどなくして奥から漂ってきた何とも言えない香ばしい香りに、うっかり気を抜くと腹の虫が暴れだしそうだった。 「お待たせいたしました。麦酒と『ポメス』をお持ちしました」  表面が真っ白に泡立った琥珀(こはく)色の液体がなみなみと注がれた透明なガラスの杯が二つと、黄金色で長細い棒状の、油で照り輝く料理が山盛りにされた大皿がテーブルに供された。 「先ずは、乾杯と行こうか、明朗君!」  見よう見まねで白神さんの動作にならい、グラスを合わせた。  初めて飲む酒――麦酒の味は、素晴らしいものだった。  軽いほろ苦さの後に何とも言えないまろやかな甘味と香ばしさが口いっぱいに広がっていく。
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