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序
多分、観光で訪れるのなら良い場所なのだろうと、茜 一花はバスの外に広がっている風景に目を細めていた。
神奈川県の葉山町は、全国でも名前の知れた観光地だ。
温暖湿潤で、海と山の自然に囲まれている。
都心からのアクセスも良く、近年では、私鉄電鉄が販売している「女子旅きっぷ」なるものの効果で、日帰り旅を楽しむ人達も格段に増えているらしい。
ただ、実際来訪して一花が感じたのは、逗子や鎌倉の海に比べると、こぢんまりした雰囲気で、夏の最中でも、平日はひっそりと静かなことだった。
シンボリックな場所は、少ないために観光客もばらけるのかもしれない。
人混みが苦手な一花にとっては、ありがたいことではあるが、やはり、憂鬱だ。
碧色の海は、陽光に乱反射して、きらきらと宝石のように輝いている。
今は時間帯は、地元民しか乗車していないのか、バスの中にいる乗客は、みんな落ち着き払った顔をしているが、もしも、一花が楽しい旅行でこの地に来たのなら、滅多に見ることのできない自然の美しさに、多少テンションを上げていたはずだ。
……だけど。
(今日は、泣いちゃいそうだわ)
灼熱の太陽の容赦ない明るさが、一花の体力と思考能力を奪っているようだ。
最近、まともに睡眠を取っていないせいなのか、それとも、身体に何か大きな疾患でもあるのか……。
…………いっそ、このまま、並々ならぬ倦怠感に従って、意識を飛ばしてしまいたい。
そんな後ろ向きな願望に支配されていたら、緩やかにバスが止まった。
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