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 大人しく家に帰ると、離乳食のように柔らかく茹でたパスタを食べた。  ブレイン・ロックは、まだわたしを骨抜きにしていたが、病室にいたときほどではなかった。 「走りたい」  わたしが言うと継母がうなずいた。うなずくとは思わなかった。  ランニング・マシンで十キロ走った。  走れば何も考えずにすむ。  継母はしばらくの間、走るわたしを見ていたが、そのうち姿を消した。  走ったのは正解だった。  五分走ると、新しい身体が好きになった。  走るのに夢中になった。  新しい身体は培養槽の中で与えられた筋肉刺激と深層脳刺激(DBS)で、筋肉も運動神経も念入りに整えられていた。  筋肉の張り、特に背筋の緊張感がすばらしい。  速足から始め、十分ごとにピッチを上げた。  最後の百メートルは秒速五・二メートルで走りきった。  そして、スロー・ダウンした時の大腿四頭筋のストレッチ感、その心地よさ。足の小指と土踏まずに肉刺(まめ)ができて潰れてしまったが、にじんだ血の色が前と同じだったのに安心した。  前より美人になったわけではなかった。その逆でもなかった。気になっていた眦の小さなホクロが消えていたのがすこしうれしい。それに日焼けしていない。胸は、まあ、絶望も狂喜もない、明日のポテンシャルに期待するしかない。  バックアップから移植(サイドロード)された記憶にも齟齬はなかった。  突然、レーズンバターが好きになったり、源氏物語を読みたいと思ったりはしなかった。  円周率は小数点以下三十桁まで憶えていたけど、天啓のように素数分布予想の証明は降ってはこなかった。  前が凡人なら、今も凡人だ。  脳を包む超伝導メッシュと分子機械が前身の脳の神経動態(ニューロダイナミクス)を再現していた。  わたしが生まれて、一週間後に培養され始めた身体だ。  引っ越したといっても、結局は同じ間取りの家、自分の遺伝子から作られたクローン・ボディなのだ。それでも、新調した家具とカーテンで模様替えしたように楽しくて、不思議なほど前の身体への喪失感はなかった。  わたしの再生は早かった。  突発的な事故死の場合、通常、クローン再生倫理審査機構に申請を出しても承認されるまで一週間は待たされる。わたしは死亡判定から二日半だ。  百舌口(もずぐち)彩神音(あかね)が必死でコネを使い、カネをばらまき、再生を急いだのだろう。  どんな事情であれ、わたしが蘇生できなければ、彼女は父の遺産を相続できない。相続できなければ彼女は破滅する。彼女と彼女の一族は。  わたしが二十歳の誕生日を迎えるまで、わたしを生かし続けること。  それが百舌口(もずぐち)彩神音(あかね)と亡くなった父との婚姻契約条項の絶対条件なのだ。  そもそも、わたしはなぜ死んだのだろう?  やっと、それを確かめる勇気が湧いた。
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