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――サイファ、ここは監視されてる?  自室のビーンバッグチェアに横たわり、わたしはコンパクトの鏡面に文字を綴った。 「それなりの盗聴器と監視カメラがそれぞれ三つ」コンパクトが応えた。「盗聴器にはイビキ、監視カメラには輝理香がヨダレ垂らして寝てる映像を流してる。安全だよ」 「読書にしてくれればいいのに」 「バッカだなぁ。脳波もモニタされてんだぜ。ヨダレまみれで、ヘソの穴ボリボリ掻いてるほうが安全なんだよ。  本読んでたら、内容と心の動きの対応まで詮索されっだろ。ヨダレ姿ならデルタ波流すだけですむじゃん」  なるほど。 「ブレイン・ロック、解除できる?」 「とっくにやってる。  気づいてないのか。十秒おきの監視が入らないから、頭軽いだろ。  ああ、もともと軽いから気づいてないのか」 「いつか初期化してやるわよ、サイファ」  サイファはわたしの実の母、射千花(いちか)のAIだった。  舞台女優だった母の稽古相手を務め、演技を解析し、最も美しいアングルと動きを割り出した。  冴えない役者の代わりにセリフだけ代行したこともあった。 「マクベス役がなぁ。あと五年頑張れば幼稚園のお遊戯会で主役を張れたんだけどさ」  その年のマクベスはこの上なく酷評されたが、一年後母を主役にリメイクされた。 「レディ・マクベス」。夫を狂気に駆り立てても悔いることなく、王国を手に入れる美しいマクベス夫人の物語。  両手を染める血を愛おしそうに見つめる母のホログラムは、亡くなって十年経った今でもよく見かける。 「ブレイン・ロックとは恐れ入ったね。彩神音(あかね)さン、よっぽど追い詰められてる」 「誰に、何に」 「いけ好かない十八の小娘に。きみにさ」 「あなた、あの女の味方なの。カネ目当てで父と結婚した女よ」 「後家入りは金蔵抱いて寝る見込み、ってかい?」 「ごけいり?かねぐら?」 「ちっとは文系の勉強もしろよ」  口の悪さには慣れているが、さすがに苛ついてきた。  ただでさえ、自分が死んで生き返ったことと折り合いをつけるのはむずかしいのに。 「いじわるな継母、生意気な鏡。ギリシャ神話かイソップのお話みたい」 「ギリシャ神話ぁ。輝理香、本当にきみは文系の素養がないなあ」  その一言でわたしのストレスは閾値(しきいち)を超えた。 「うるさい!」  わたしはコンパクトを壁に投げつけた。  投げた瞬間には後悔していた。  壁に届く前にコンパクトは内蔵ジャイロで鮮やかにコースを変え、分厚いドレープカーテンに飛びこんだ。カーテンに受け止められ、そのまま床まで滑り落ちた。  コンパクトが開いた。 「すこしはすっきりした?」 「ごめん」 「俺も悪かった。だけど、大事にしくれ。射千花(いちか)の形見なんだ」  四つの時、母はわたしにコンパクト・ミラーを差し出して言った。 「鏡よ、世界でいちばんかわいい女の子はだれ?」  輝理香です、とサイファが応えた。  わたしは鏡に精霊が宿っているのだと信じた。  翌日、いつも護符のように離さないコンパクト・ミラーを置いたまま、母は劇場に行った。反長命者(メトセラ)グループのひとつ『真理宣告者たち(トゥルース・セイヤーズ)』が劇場を爆破した日だ。  母は百二十歳だった。クローンは用意していなかった。記憶のバックアップも取っていなかった。父はその日から延齢医療(メトセラ)処置をやめた。  精霊のくせに母を守れなかったと、わたしは大声でなじり、一年間サイファと口をきくことはなかった。だけど、結局わたしに母の話をしてくれるのはサイファだけだし、コンパクトは母の形見なのだ。  サイファは鏡の中にはいない。ケースはただの端末で、本体はこの屋敷の地下に鎮座している。  グレード7の自己更新能力を持ち、自意識を持つ、ゾディアック級、サジタリアス・シリーズのAIだ。  規格としては半世紀前のものだが、ハイエンドのサジタリアスは、最新型アクエリアスのミドルクラスに引けを取らない。ガタイがでかく、冷却コストが高いことをのぞけば。  AIの市民権と参政権を認めるアフリカのリンバニ共和国で、法人格として登録され、国連機関やいくつかのNGOの演算処理を有給で引受け、日本とリンバニに納税している。  メインフレームの所有権は母からわたしに移ったが、許可なくサイファを初期化すれば、殺人に準ずる罪「人格抹消罪」を問われ、わたしはリンバニの法で裁かれる。コンセント抜くわよ、と脅すだけでも脅迫罪なのだ。  幼い頃、サイファだけがわたしの友だちだった。
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