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水子のココロ7
あのあと、さなにはいろいろ聞かれたけどのらくらすっとぼけた。
結局さなの生理不順は深刻な病気でもなんでもなくて、今はやりのデトックスだかなんだか、夜更かしと夜食の生活習慣を改めたらよくなったと自慢していた。診てもらい損じゃねコイツ。
以来、産婦人科には行ってない。用もないのに足を運べない。
しまむらさんがどうなったかは気になったけど、待合室でたまたま一緒になっただけの他人がそこまで深入りするのもどうかと躊躇し、私はただ、彼女のお腹に宿った命ができれば消えないようにと願っていた。
私は何も知らない子どもで、ひどく身勝手な人間だ。だからこそ、あの時「産んでください」なんて口が裂けても言えなかった。悩んで悩んで悩み抜き、ぎりぎりまで選択をくだせないでいるあの人に、そんな残酷なお願いはできなかった。
待合室のソファーの隅っこ、ポツンと座ったしまむらさんが思い詰めた顔で凝視していたのは、出生前診断のポスターだった。
私もニュースで聞いたことある。赤ちゃんに障害があるかどうか、生まれる前にわかる検査だ。最近じゃ受ける人も少なくないと聞く。
しまむらさんは出生前診断を受けようかどうか悩んでたのだろうか。
受けたから悩んでいたのだろうか。
これもまた私の勝手な思い込みだ。
しまむらさんが悩んでたのは違う理由かもしれなくて、お金とか病気とか家庭の事情とか、どうしようもない理由でお腹に宿った命の行方を決めかねていたのかもしれない。
私は馬鹿な中学生で、学校の成績も低空飛行で、世間のことなんかまだ何もわからなくて、空気も読めないからクラスで浮いてる変なヤツだけど、目の前にお母さんを心配して魂を飛ばした赤ちゃんがいて、その赤ちゃんを想ってお腹をなでるお母さんがいたら、見て見ぬふりはできっこない。
数か月後のある日。
生理不順が改善され、すっかり明るくなったさちと一緒に繁華街を歩いてた時、ベビーカーを引いた女の人とすれ違った。
某ファッションセンターにあった服を着てたから反射的に振り向いたけど、もう人ごみに消えていて、結局しまむらさんかどうかはわからなかった。
「どうしたんサチ」
「ん、なんでも。知り合いっぽかったから……何の話だっけ?」
「もーちゃんと聞いててよ、名前の話だよ。どんな意味があるのって」
「あー……さなはいいよね、おしゃれだよね。糸へんに少ない紗と東西南北の南」
「おかーさんが好きだった漫画の主人公の借りパクだよ。サチは?」
「にんべんにしあわせ」
「人の幸せで倖かあ……いい名前じゃん、愛されてんね」
宙に字を書いて教えてやればさながにっこり笑い、私もなんでか釣られて微笑む。
さなとじゃれあって反対方向へ歩きながら、今のがもししまむらさんだったらかけたかった言葉を、胸の内だけで反芻する。
あなたの子どもは普通じゃないかもしれないけど、優しいいい子ですよ、と。
潮騒のように寄せては返すざわめきに紛れて振り返ったさなが目を見張る。
「さちどしたん」
「え?」
「泣いてんの?」
知らない間に涙ぐんでいたらしい。気恥ずかしさに目尻の露を弾き飛ばし、きっぱり言いきる。
「心の羊水だよ」
「え……」
さちはドン引きするが、私はまあいっかと開き直って遠く青い空を仰ぐ。
きっとしまむらさんは世界中にいる。
待合室のソファーでお腹を抱えてうなだれるしまむらさんを心配する赤ちゃんだって、気付いてもらえなくたってきっとたくさんいる。
まだ瞼や目ができてない赤ちゃんは泣けないから、今だけ代わりに泣いてあげてるんだ。
その時、雑踏の喧騒に紛れて赤ちゃんの笑い声が聞こえた気がしたけど……
それがあの子かどうか、振り向いて確かめるのはやめにした。
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