1,狸穴とは?

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1,狸穴とは?

 東京港区の狸穴(まみあな)学園は私立中高一貫制の進学校として開校100年の歴史を誇る仏教系の伝統校。中学入試では「御三家に次ぐ御三卿」などと一部塾業界ではいわれているとか、いないとか。  最寄り駅は日比谷線の六本木駅。  夜の町六本木を無視してずんずん南に下って行って、飯倉交差点を越え急に寂しくなり出したあたり。ロシア大使館の坂の下、狸穴町に学園はある。地名からして昔は狸が出るような田舎だったということか。  その校風は人間教育、個性重視で自由尊重。なので受験の詰め込み教育はしない。勉強は各自勝手にどうぞという放任スタイル。ヤル気のある人は中学から受験勉強を始めて東大、京大、東工大にストレートで毎年何人も入る。またスポーツに打ち込む人は都大会上位に食い込む。その両方でない大多数の一般学生は、その自由な校風のぬるま湯にどっぷり浸かり、ただ時間を持て余す。  俺は中学三年三月ににある同じ宗派の森ノ宮学園から編入試験を受けて転校してきた。銀行員が親だと転勤は宿命で、俺も転校は三回目。もともと小学校5年までは東京に住んでいた。今回の引っ越し自体はアウェイに来たというより、ようやく戻ってきたという感じだ。  一番ショックを受けたのは別のこと。以前いた大阪の森ノ宮学園は男女共学、転校してきた狸穴学園は純粋男子校。書類上は理解していたが、これは通ってみて初めて実感した。家でも姉が二人いて母親も含めて、常に女性に囲まれて生活することが普通だった。  高校の入学式で体育館に並んだ総勢一二〇〇人、同じような顔に見える冴えない感じの学量産型男子の学ラン集合体に囲まれたとき、精神的圧迫から嘔吐衝動が起こった。しかも彼らはそれが普通じゃないことに、全く気づいていない。強い違和感と孤独を感じた。  授業が始まってからも、男たちのゆるくじゃれ合うような、ある意味平和だが、刺激のない毎日が繰り返された。女子がいないとこんなに男は緊張感がなくなるのかと思う。クラスのみんなは小学校卒業後この特殊な集団に長く適応してしまっているので、俺の違和感にシンパシーを感じてくれる仲間も出来ず。俺はだんだんと孤立していった。  もう一つこの学園の特徴は部活が必須であること。文武両道、質実剛健の精神から全員何かしらのクラブ活動に入らないといけない。俺が大阪にいた中学時代はずっとサッカーをやっていて、女子からも人気でそれなりに楽しい生活を送っていた。転向して途中から別のチームに入るのも気が引け、他のスポーツ部活入るのも論外。四年(高校一年のことを狸穴ではこう呼ぶ)になってからも帰宅部状態を引き延ばしていた。五年(高二)になれば受験勉強も始まるし、わずかな期間だけ部活に入ってもしょうがないと思っていた。  やがて夏休みが終わり、二学期最初のホームルームの際、担任の先生から職員室に呼ばれた。 「渡辺、このままどこの部活に入らない状態を見過ごすわけにはいかない。途中から入るのに気後れする気持ちも分かる。だから活動日が少なくて、勉強に支障が出ないような文化系クラブを見てきたらどうか?」  担任は中学入学式で配る部活紹介のシートを俺に渡した。完全中高一貫校の狸穴高校にはそもそも高校だけの入学紹介パンフレットは存在しない。なので俺はクラブ活動、とりわけ文化部の活動のことはよく知らなかった。流し読みで部活の紹介ページを見ていくと、最後のページに手書きで走り書きされているようなコーナーがあった。読みにくいのでページをめくる手を止めた。 「そうだ、そこに書かれている文連系の同好会や研究会はいいぞ。土日活動なし、受験勉強との両立がモットーだそうだ。どこも今部員が少なくて困っているようだから。先生が言うのもなんだが名前だけでも登録したらどうだ? そうだこれなんてどうだ?」  担任にすすめられた部活の名前は『外画研究会』だった。 「先生、外画研究会って何する部活ですか?」  名前からは美術系のような気もするが、初めて聞く名前だ。 「俺も良く知らないんだが……」  担任の説明によると、外画研究会は戦前から続く、文化系部活で一番歴史が古い由緒ある部とのことだ。そんな担任も外画研の活動内容は「映画関連の研究会らしい」という以外「よく知らん」という適当さだった。 「ちょうど今日は、それぞれの会長たちが文連ルームに集まっているらしい。渡辺、これから行って話を聞いてきたらどうか、というか必ず行きなさい」  担任は最後は面倒くさそうに言い切った。  こうして俺は半ば強制的に、深い考えもなく、同好会・研究会が集まっているはずの別館にある文連ルームに行くことになった。
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