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13.放浪する現実主義者
自宅に帰る道すがら、俺はさっき会ったばかりの曲者先輩たちのことを思い返していた。
(この話は、どうも怪しい)
痴漢を助けてもらった女性が恩義を感じるというところまでは、例え作り話だとしても話として分かる。それから十か月も後に再会して、向かい合う電車のすれ違いで「あなたが好き」と告白。あり得ない。
感想には俺のやっかみも大いに含まれているのは分かるが話がうますぎる。うますぎるというか、こんなシチュエーションは、姉が昔買ってたコミックとしても盛り過ぎの設定で演出過剰。絶対成瀬の嘘だ。
では、誰が聞いても嘘臭いシチュエーションをわざわざ皆の前で話す成瀬の狙いは何なのか?
もう一度状況を考えて見る。
痴漢を助けた女子とばったり再会した、それで今付き合ってる。それでいいじゃないか。嘘でも本当でもそれで済む話なのに、なぜそこで窓越しに「あなたがすき」なんて古風なドラマを作る必然性があるのか?
話をしたときは皆なで成瀬をイジリまくった。本人もやっぱりという顔で困惑していた。馬鹿にされることをあえて言うほど愚かではないはずだ。と考えると、やっぱりそれが『本当に起こった事』ととしか思えなくなる。
百歩譲って本当にあった話だとする。そうなると答えは一つ。そこには成瀬先輩の大いなる誤謬、勘違いがあるはずだ。
自宅に帰って、夕食を食べて、風呂に入って、自分の部屋に戻って、早めにベッドに入って寝てしまおう……寝られない。音楽聞きながら瞑想でもしよう……集中できない。前はサッカーをやっていれば気分が良かった。勉強とは頭の別の場所を使うからか心地よい疲労があった。最近はスポーツをやってないから脳のバランスがおかしくなっているのかもしれない。明日起きたら、走ろうかとも考えた。でも昼間、文連の連中の前では言えなかった俺の中の疑問が渦巻いていた。
俺は、ベッドを抜けてデスクの前に座った。なんでもいいから疑問を紙に書き残しておきたい。赤のサインペンを手に取ると、レポート用紙に俺は疑問を書いた。
問題
成瀬のことに先に気づいた彼女は、出発まで時間があったのにも関わらずそのまま行ってしまったのか?
仮説
「あなたがすき」という言葉は、成瀬先輩に全く関係なくその言葉を発したという可能性。
仮説検証
駅の周りに広告があって、その文字を思わず口に出してしまった。地下鉄の中に映画のポスターがあって、ラブストーリーで、そのタイトルが「あなたが好き」とかいうキャッチコピーがあった。塾の広告でクロスワードパズルがあって、解いているうちに答えがその言葉だった。
「いいんじゃない」
書いた直後はちょっとすっきりしたが、想像するだけでどんどん別の可能性が頭の中に出てくる。
「うーん、違うような気もしてきた」
まだ心のモヤモヤは晴れない。心配事や約束事が気になる立ちで、昔から宿題を先に延ばせないタイプだった。おかげで学校や塾での成績は良かったが、試験の度に悔いや悩みが頭を占めて、成績が良くても達成感は無かった。
人からはそっけない、クールに見えると思われがちな俺だが、本当は人一倍、世間体を気にして、相手の考えを想像し、気になることは後々までも気にしてしまう、どうしようも無い陰性粘着質な性格だと自分でもわかっている。だからなるべく、クラスに馴染みすぎず、部活も楽なものを選ぼうとしていたのに、文連の会長連中はなんだ。全員気になりすぎるじゃないか。特に今日聞いた成瀬先輩の恋の話が気になる。答えが知りたい、真実でなくても俺だけが納得できればいい。このままだと五年、十年と覚えていそうだ。
そして翌日の日曜日。
いつもは昼過ぎまで寝ている俺は珍しく早起きした。
検証のため、成瀬先輩が乗っていた電車の時間に合わせないといけないからだ。(面倒くさいな、でも約束しちゃったし渋々だよ)
いや嘘だ、本当は行きたくてしょうがない。自分の目、自分の感覚で確かめたい。
日曜日に電車に乗って一人で出かけるなんてめったにない。
「あれ今日はお出かけ?どこいくの?」と母親が聞いてきた。
「別にいいでしょ。友達と会うんだよ」
「あっ、もしかして合同デートとか?」
下の姉が余計なイジりをしてくる。
「そんなわけないだろ」
「怪しい! ひゃひゃひゃ」
女の本性は怖いと俺は良く知っている。
「友達と渋谷に本を買いに行く」と適当に嘘をついて東急武蔵小杉駅から、東横線に乗った。
いつもと違う空いている電車に乗り、遊びに行く大学生を見て、多摩川を越える超陸橋を渡る時、河原で遊んでいる人たちを見て、急速に俺は心の好奇心がしぼんでいくのを感じた。
(こんな事しても何の得にもならない。なんて馬鹿なことをしているんだ)
自由が丘の駅前ロータリーで楽しそうな人々の姿を観た時に、激しく反省した。
やがて十五分程で電車は中目黒駅についた。下車するとまず成瀬が見たと証言する女子がいたはずのホームの反対側を見回した。
休日でも中目黒駅は結構乗降客がいる。港区の高校に通っているのに、恵比寿も六本木も通り過ぎるだけ。渋谷・代官山は行く用事がない。毎日通るが普乗り換えるだけの中目黒駅は、エグザイルの事務所LDHがあったり芸能人がお忍びで通うお店のあるという。でも俺にとって今まで人生に無関係な場所だった。それが、こうして中目黒駅の周りを注意深く見まわしている。とにかく自分の中での疑問はできるだけ消しとかないとあとあと気持ち悪くなる。
ホームで誰かを待っているようなふりをして駅付近をじっくりと見ていった。居酒屋が多い、パチンコ、ラーメン屋もあるが、女子高生が気に止めるとは思えない。上の方を見ると映画の看板があったがSFと連続殺人が融合しためちゃくちゃな内容のものでラブ要素はない。
まぁここで看板が見えても地下鉄に乗ってまで思い出すようなことは考えにくい。
少し待っていると地下鉄日比谷線が地上の引き込み線から入ってきた。
駅の行先掲示板を見ると『八両編成北千住行き』と出ていた。
時間が合っていれば日曜でも同じ車両が来るかもしれないというのは、浅はかな推理かもしれないが、こうなったら気持ちの問題だ。
確か成瀬先輩が乗っていたのは『六号車三番ドア』だ。俺はホーム上の乗車表示と停車した車両の番号を確認した。
ドアが開き、彼女が乗っていたかもという気持ちになって日比谷線に乗り込んだ。車内は空いていたが、俺はドアの横に立って車内を見回した。
この車両の中に、思わず『あなたがすき』と言いたくなる何かしらの表示があったに違いない。
まず考えたのは『車内でポスターとか見ていただけ説』だ。その広告を見ていて、思わずキャッチコピーを読んでしまった。横にアイドルとかの写真とかも出ていたら確定だ。思わず口が動いてしまった。ありえる、ありえるよ!
若干の興奮した気持ちで、ドア横に立ちながら車内の吊り広告を見始めた。
結構思ってたより多いなぁ。
いつもは電車で俺はスマホを観ていたので、車内の中にこんなに沢山ポスターがあることを初めて知った。目立つのは中吊り! 特に雑誌が多い。この中の見出しになにかヒントはないか?
(アエラ)年収一千万円の研究。あの人はなぜいい生活にみえるのか? → 劣等感を食い物にしてるな
(ダイヤモンド)銀行再編の黒幕 生き残れる地銀ランキング → どうでもいいわ
(週刊文春)安倍もう疲れた! あの人が動き出す。 → 誰でも変わらんだろ
(週刊新潮)大発見! 医師がすすめる本当に効く薬はこれだ! → ちゃんと教えてくれ
(SPA) ゴキブリVS人類最終決戦! → もうどうでもいい
どれもテンション高めだが、非モテ系おじさん雑誌の広告だ。こんなの女子高生はまず見ないだろう。
女性むけはどうか?
(週刊女性)小室さん母激白! 話が違う! 芸能人おねだり番付! → くだらん
次はファッション誌
(美的)愛され顔してますか? → なんだよそれ
(WITH)ちょい可愛レディな着まわし → どういうこと?
(GINZA) 秋の楽コーデこれさえあればカタログ → いろいろ必死なんだな
(アンアン)女の快感特集! ちょいエロな女で夏!! → 露骨すぎる
愛とか好きとか出てくるが情報量が多すぎる、逆にこっちはこれだという確証にかけた。俺は車内を不審者さながらに吊り広告をチェックしているうちに、地下鉄は次の恵比寿駅に着いた。乗ってくる人が結構いる。進行方向右側の元いたドアの横に戻った。
地下鉄の暗い外側を見ると、ガラスにも大量のシール広告が貼られている。
優先座席付近では携帯電話の電源をお切り下さい。
引き込まれないようご注意下さい。
開くドアにご注意ください
新型コロナ感染対策のお願い。
戸ぶくろに引き込まれないよう開くドアにご注意下さい。
いや手を引き込まれた人見たことないぞ。お願い! 注意! ばかりで、どれもラブ要素はない。
その他に一番目立つドア横のシールは、
転職決定率No1
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つらい頭痛に即効!ナロン
つまり、ドア横に立つ人は、仕事に悩み、容姿に悩み、頭痛がある人が多いのだろうか?
まぁ、どれも俺の探しているものとは関係ない。
茅場町まで乗って行ったが、俺の仮説を立証してくれるような気になるものは無かった。
(無駄だったなぁ。そろそろ折り返すか)
秋葉原駅で下車し、反対側ホームに移動した。今度は中目黒行きに乗って戻る。
茅場町から銀座、霞が関、六本木と戻る中で、俺は日曜日に何をやっているんだろうという気持ちに全身がとらわれ始めた。モヤモヤ解消のつもりが、何も解決しなかった。
まぁ『分かりませんでした』も答えとしては悪くない。だって、ここでの話は文連の文化祭の出し物の落語ときっと関係ないし、第一俺とあの変な会長たちとは元々なんの関係もない。
(そうだ、そうだった。ハハハは)
俺はなるべくそれでこの話を終わりにして、心の奥のアーカイブフォルダにぶち込むことで話を終わらせようと決意した。
終点の中目黒駅についた時、ちょうど反対側のホームにも上りの地下鉄が止まっていた。
その時気づいた。
違う!
位置が微妙に違う。ドアがずれている。
中目黒駅の二つホームで相対する電車。それがどうもずれている。
(そうだった!)
同じ駅でも上りと下りが同じ乗車位置とは限らない。
俺は日比谷線を降りると、ホームに立って向かい側の乗車位置を確認した。
(やはり、ずれてる)
今度は一番端に行った。そこから見比べても上り下り二つのホームの長さと形が違う。ホームの端の位置がずれているようだ。
東京の私鉄の駅は関西の阪急や近鉄に比べると前から小さいとは思っていた。狭いスペースに駅を作っている、土地代が高いからだろう。
俺はそれに気づくと、家に帰る横浜方面行きの東横線には乗らず、もう一度階段を降りて登って、また上り日比谷線のホームに戻った。
なんて馬鹿なことをしているのかとも思ったが、気になると不安になり確かめたくなる性分だ。
ちょうど来た反対側の日比谷線に乗りこんで、確認するとやはりドア位置が一列ずれている。成瀬先輩の乗っていた下り六号車三番ドアに正対するのは上り六号車二番ドアだ。
出発間際に飛び込んだ俺を、ベビーカーに乗っていた赤ちゃんが驚いた様な顔で見ていた。
(驚かせてごめんな赤ちゃん)
俺でも馬鹿な事しているのはわかっている。これでおそらく成瀬が見た彼女が立っていた真の場所に立っているはずだった。
ドアが違うと、ここから見える車内の広告はさっきと違うはずだ。例えば『声に出してみよう愛の告白』とかそんな露骨なコピーの広告でもあれば大満足だ。スマホで写真を証拠にしておくだけで俺の心は平穏に満ちる。祈るような気持ちで車内を見回した。
吊り広告はさっき乗ったものと同じものが掛かっていた。
こういうものは、広告会社が各車両ごとに数枚づつ同じ広告を週間で掲示する契約があるのかもしれない。二度目の日比谷線で中目黒出発早々、俺は落胆した。
「あああうい」
近くでさっきの赤ちゃんが俺に向かって何か話しかけていた。
俺の心の憂鬱が見えるのか? 無駄な事に午前中を使っている俺を憐れんでくれているのか?
赤ちゃんは無邪気で可愛いものだ。俺はいつからこんな素直さをしまったのか。
地下鉄は恵比寿駅を出ていた。広尾駅までの間に最後の確認の意味で、ドアの周りのシール型広告を確認した。
さっき見た、ドア引き込み注意! 飛び込み注意! など注意の広告と、美容整形、自動車免許、転職の広告が貼られている。
「あうあう」
まだ赤ちゃんが俺に喋っている。しかし俺は君の相手ができるほどもう純粋ではないんだ、すまんゆるせ赤ちゃん!
注意広告の下に、新刊発売の広告が貼られていた。これはさっき無かった。
「新刊発売 あなたは朝型? 夜型? 自分の睡眠タイプについて知ろう!」
朝型の人は、夜遅くまで勉強や作業をすることがないよう、早く寝ることを大切にしていきましょう。また、入眠前に強い光やブルーライトを浴びてしまうと、体内時計がずれて、脳が活性化してしまい満足な睡眠を得られません。ですから寝る前のテレビやパソコン、スマートフォン操作などは避けるようにしましょう。朝型の人は、起床後すぐに脳が活性化するという特徴もあるため、頭を使うような作業は朝におこなうよう心掛け、早く寝る睡眠習慣を優先していくといいでしょう。
その様などうでもいい注意書きの最後に大きな文字で「朝型注意!」と赤色に青フチで書かれていた。
「あさがたちゅうい」
俺はその言葉を口にしてみた。
「あっ!」
思わずハッキリと声が出てしまった。その時、俺の体に天球を引き裂いてい雷鎚が走った、啓示だ! 啓示はキリスト教だから、いいかえると大日如来の甘露が天より俺にふりそそいだ! ような気がした。
もう一度、さっきの赤ちゃんを見た。赤ちゃんは笑顔で俺の方を見ている。
そうだ「あなた好き」と口が開いたとはいえ、同じ音が発せられるとは限らない。
「そうなのか……、そういうことなのか!」
俺は赤ちゃんの目を見ながら心で確認した。
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