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秋が深まり、日が照っていても肌寒く感じるようになった日の昼下がり。大学構内が最も騒がしくなる、講義の合間の時間。学生たちは、次の講義へ向かう者、サークル棟へ向かう者、帰る者などに分かれ、群れたり離れたりしながら移動していた。
厚手の蓋付き紙コップを両手に持ち、次に受ける講義の教室に入った私は、いつもの窓際の席で頬杖をつきながら外を見ている友人を見つけた。私もいつも通り、その隣の席に座ろうと歩き出す。が、私が碁盤目状の通路を東に移動している途中で、目当ての席に他の人が座るのが見えた。
「あー……」
今日はこれを買っていて遅くなったからな。約束してるわけじゃないから席を取っておけとも言えないし。うーん、どうするか。私はひとまず友人に近づいていく。
友人とは、この科目の初回の講義でたまたま隣の席に座り、私が半壊したシャーペンと格闘しているところに声を掛けてもらったことがきっかけで話すようになった。それから何となく隣の席に座って、講義前後に少し雑談して別れる程度の関係、つまり講義友達だった(そんな言葉があるのか知らんけど)。
私は左折するはずだった大通りをスルーし、窓際の突き当りで曲がった。友人の横顔が近づいてくる。物思いにでも耽っているのか、妙に愁いを帯びた表情。……高校生かよ。
私が黙って後ろの席に腰を下ろすと、友人がすぐに私に気づく。
「あ、今日はそこなの?」
うれしそうな顔がいつもよりよく見える。隣の席よりも距離が近いのか。
「後ろの方が気づくの、おもろいね」
「え?」
「だって、隣」
私は少し小声で言う。友人は横目で隣を見た。講義が始まるまで寝入る主義のおかたのようで、机に突っ伏していらっしゃる。こうなるとむしろありがたい。
「あ……ごめん」
「別に、約束してるわけじゃないし」
そういえば、いつもは私から声を掛けて振り向かせていた気がする。
「席、移ろうか?」
「ううん、いい。たまにはいいでしょ。……コーヒーいる?」
「あ、ありがと」
私は片方の紙コップの下部を持って差し出した。少し熱い。……無事に受け渡しが完了し、ほっとする。
「あったかい」
そうだろう。
「でも、これって休憩所で飲むものだと思うけど」
「え、講義棟で売ってるから教室で飲んでいいのでは?」
「そうかなあ」
言われてみれば、これはあまり経験したことのない状況だった。前方の扉が開き、心配性の教授が入ってくる。漂うコーヒーの香り。教室に休憩所を作ってしまった気分だった。
「まあ……共犯ってことで」
「えー……」
借りを返すつもりが、罪を重ねてしまった。いつか倍返ししよう。次は何をして差し上げるか、横を向いて紙コップを眺める友人を見ながら考える。目がこちらに寄る。
「……今度から、ちゃんと隣の席取っとく。……なんか落ち着かない」
「うん、お願い」
講義が始まる雰囲気になり、友人が前を向く。こやつは直前の講義がすぐ近くの教室らしいから、席を取っておいてもらうことは借りのうちには入らないだろう。これで来週からはゆっくり移動できる。
「あちっ。……ふー、ふー」
体を傾けて覗くと、友人は真剣な表情で冷まそうとしている。猫舌だったのか。
同じく猫舌の私は既に講義開始前に飲むのを諦め、紙コップを両手で掴んで暖を取っていた。講義が始まり、少しずつコーヒーの香りが薄れていく。やっぱり来週も早足で来ようと思った。
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