8月4日

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8月4日

ガラガラガラ...... 「あれ......?今月は早いねー......ついこないだ来たと思ったけど......」  …完全な夏の陽気に当てられて、木々が生き生きと踊っている。カンカン照りの直射日光は、アスファルトに反射して建物4階のこの部屋にもしっかりと届いている。  そんな中、駅から20分ほど歩いてこの場所に来て、彼女のいる個室の扉をゆっくりと開くと、彼女は今まで見ていた窓から視線をこちらに移してそう言った。 「この間って言ったって、ほぼ一ヶ月前ですけどね......」 「あれ......?そうだったっけ......?」  もう忘れちゃったや〜......と言いながら彼女はにへらっとはにかんで、カレンダーを確認して「あ、本当だ〜......!」と声を上げた。  その様子を横目に見ながら、(かばん)から二冊の本を取り出す。 「え?何その本〜......?」  僕が取り出した本を見て、彼女はそう訊ねかけてくる。  一冊は、とある文豪によって書かれた近代文学。もう一冊は、数多あるネット小説の中に埋もれてしまったものが、最近ようやく書籍化したというライトノベル。  両方とも僕が今日、行きがけに書店に寄って買ったもので、二冊とも読んだことはない。ただ、ライトノベルの方は彼女の担当看護師である春崎(はるさき)さんが面白いらしいと言っていたので、買ってみたのだ。 「これ二冊......ずっとここにいると、暇だろうなと思ったので」 「え、いいの......?」  そう言って差し出すと、彼女はぱああっと顔を明るくしながらもおそるおそるといった様子でその本を受け取った。 「へー......なんか、いかにもなスローライフするファンタジーって感じの本だね......!これ......」  タイトルも明るい感じで、挿絵や表紙イラストもどこかほわほわ、ほのぼのした感じの溢れるファンタジー物のライトノベル。主人公もその周りにいる人達も皆、異世界にあるとある帝国の端ののどかな農村でスローライフを満喫している。  しかし、主人公は昔は帝都で兵士として働いており、その当時に起こった他国との戦争にて戦場に出向いていた。  そこで人が殺られる光景や溢れかえった遺体の山、そして戦災難民やそれをまるで元からそこにあった"あたりまえの日常の光景"と思い込んでいる幼い子供達を目撃し、心にトラウマを抱えていて、それを癒すために農村でゆっくりのんびり生活する、という話なのだ。  当然、農村で生活する中でのちょっとした出来事でも、傭兵時の忌々しい記憶とトラウマを思い出しては苦悩する、ということもあった。  ......心に負った傷は、どれだけ"優しさ"に触れようが、人に愛されようが完全に癒えることはない。  それをありふれた日々の中で理解した主人公は、一生心の傷を抱えたまま生きることを心に決め、そのままスローライフを続けて天寿をまっとうするまでの日々を(つづ)った話らしい。......ここまで知っているのは読んだのと同義かもしれないが、あくまで人伝に聞いただけだ。  ......そして、それを聞いた瞬間に、僕の中で"この本を買う"と決まったのだった。  理由は............と、ここで思考するのも我ながらデリカシーがない行為だと思うから、やめておこう。ちなみに、近代文学の方は単純に学校で習ったものが収録されているものをたまたま見かけたからだ。特に深い理由はない。 「......あ、でもこれ......内容はなんか、悲しい話してる......?」  と、色々考えている間に彼女が軽く目を通したようで、彼女もその小説のちょっとした悲しい部分に気づいたらしく、少し目を細めながらぽつりとそう呟いた。 「戦争で心に深い傷を負った主人公が、療養のためにゆっくり暮らす物語です」 「......なんか、深いお話......なの、かな......?」 「かも、です」  その呟きに同じように小さく返してあげると、彼女はそのまま軽く俯いて、 「......今日はもう、時間じゃない......?」  と、伏し目がちに、どこか切なげな表情でぼやいた。 「............そう、ですね。そろそろ、帰るとします」  風が吹けばすぐに散ってしまいそうな儚さ、というのは、まさにこのことなのだろう。そう、今の彼女を見ていて思った。  真夏の陽光が遮光カーテンを経て部屋の中に入り込み、それを受けた彼女は光を浴びて淡くぽわ......と光っている、ように見える。  太陽を背にした人と似たような感じだが、神々しい、とは思わなかった。泡沫(うたかた)、そう思ってしまうのがまるで必然かのように、それ以外の思考は頭の中から殲滅され、忘却の彼方へと消えていった。  数秒、何も考えられずにいた後、僕は無意識のうちに彼女に言葉を返した。  半ば空返事になってしまった。恐らく"帰る"と言ったはず。 「では、また」 「うん......またね......」  彼女の見送りの笑顔が薄まった頃、僕は静かに部屋の扉を閉めた。
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