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「ここか......」  ......2020年の12月某日、しがない新聞会社の社員である久賀 充(くが みつる)は、とある場所に取材で訪れていた。  彼の目の前にあるのは、原型こそとどめてはいるものの、荒廃し寂れた"廃墟"。  玄関口は大きくて、外から見ただけでも中に多数の部屋があることが分かる。窓は割れてコンクリートの壁には誰がやったのか、落書きがある。ゴミも放置されている。  そんな長年放置され汚れたこの廃墟......若葉病院緩和ケア病棟で、久賀はとある人物と待ち合わせをしていた。  多分、もうすぐ来るな......とぼやきながら、久賀が辺りの景色と病棟の建物を交互に見回っていると、 「久賀さーん!」 「あ、来たっぽいな」  そこに、久賀の名前を大声で呼びながら、一人の女性がやってきた。  その女性は、髪をやんわりと一(まと)めにして、Tシャツにカーディガン、淡い茶色のチノパンと比較的穏やかでカジュアルな格好をしている。若干つり気味の目がどこか優しげに細められ、今を実に楽しんでいるんだな〜と直感で感じさせられるような雰囲気を身にまとっている。  彼女は、ここ若葉病院緩和ケア病棟の元看護師·春崎 領子(はるさき れいこ)である。 「はあ、......お待たせしてすみません、ちょっと用事が」 「別に大丈夫ですよ。むしろ、無茶なお願いを聞いてもらって申し訳ありません」 「いえいえ」  社交辞令的な挨拶を交わすのと並行して、久賀と春崎は元病棟前の広場にあるくたびれたベンチの元に移動し腰掛けた。  日が微かに傾き始めた程度である今の時刻は、日光の恩恵にあずかってダウン1枚で外に出ても大丈夫な程度の気温。  しかし、カーディガン一枚ではさすがに寒いのでは......と久賀は春崎のことが少し心配だったが、春崎本人が気にしていなさそうだったので、声はかけなかった。  そんな会ってから今までの数分間の中でも時折笑顔を見せた春崎を、久賀は微笑ましそうに、そしてどこか淋しそうに眺めていた。 「取材、とはいっても......お互い色々あるので、短い時間で少し話を聞かせてもらうだけです」 「OKです」 「そんなに気を張られなくても大丈夫ですからね」 「分かりました」 「それでは、まずー......ここ若葉病院緩和ケア病棟は、他の緩和ケア病棟や週末病院と同じようなことをしてらっしゃったんですよね?それで、本日は若葉病院緩和ケア病棟についてお聞きしたくて、やって来ました」 「......なるほど、了解しました」 「ありがとうございます。では、まず初めに......」  久賀の口から絶え間なく紡ぎ出される問いに、春崎は延々と素直に、さっと答え続けた。  この病院は創立何年目で、どんな病院だったか。自分はいつ頃に入ったどんな性格の看護師で、どんな患者とどう過ごしてきたか。  自分は人から恐がられ気味の、愛想が悪い看護師でした。でも、患者さんたちにはなぜか好かれていて......同僚の○○が、患者さんが恋人とキスをしている所で病室に入ってしまって......ヘルパーさんが三階廊下の突き当たりで、この間亡くなった□□さんがお弁当を食べているのを見た......  春崎は、それらをありのままに、身振り手振りしながら、笑いながら、少し赤面しながら、時にはほんの少し涙しながら......表情豊かに、そして久賀にも分かりやすく言葉を選びながら語ってくれた。 「......でしたね、あれは今思い出しても恥ずかしい話です。......はは、」 「次に......患者さんの中に、特別若い患者さんがいたと聞きました。その患者さんについて、詳しく聞かせていただきたいのですが......」 「あー、なるほど............ふふ、」 「?」  そんな感じで、簡易取材に応じていた春崎が突然声を上げて笑いだしたので、久賀は思わずその顔を覗き込む。 「いえ、私が覚えている限りであなたが初めてだったもので......あの子の、(しろがね)さんの話を聞きに来たのは」 「え、そ、そうなんですか!? ............くそ、あいつら......」  それに気づいた春崎が、久賀の方に微笑みかけながら答えると、その答えに久賀は目を見開いて驚いた後、忌々しげにぽつりと何かをぼやく。 「......ふ、」 「あ、すみません......つい......」  その様子を見ていた春崎が再び微笑み、久賀は次はおそらく自分の様子を見ていて笑ったのだろうと、小さく頭を下げて謝る。  が、その謝罪を気にも留めずに、なんなら謝られたことにすら気づいていないのか、春崎は今度はけらけらと楽しげに笑い始めた。 「ふふ、ははっ..,く、ふふ............はあ......あなたも、璙家のお祖母様や、璙家の分家である黔賎(くろい)家が怖くて、来られなかったんでしょう?」 「え、」  春崎からの思いもよらぬ問いに、久賀は先程以上に目を見開いて驚いた。 「な、なんでそれを!?」 「............以前、璙さんが話してくれたんです」  久賀の口から突発的に飛び出てきた純粋な疑問に対して、春崎は笑みは崩さず、でも先程までとは打って変わって、どこか悲哀の情を感じさせる表情を浮かべた。  そして春崎は、何時(いつ)ぞやの璙との他愛ない会話を思い返しながら騙り始める。 「私のお父さんは、すっごく優しい人なんだって。でも、優しすぎるから、お母さんとおばあちゃんが怖くて、きっとここには来られない。でも私が死んだら、ここのことはもうお母さんもおばあちゃんも気にしなくなるから、その時に来るだろうって......」 「え......そう、だったん、ですか......」 「その時の、一回きりだったんです。璙さんが、自分が死んだ後のことを話すのは」 「......」 「なので、私はあなたが来るのをずっと待っていました。私は今は、ここの近くにある小さなカフェで働いています。連絡さえ貰えれば、三分もかからずにここまで来られて、すぐに戻ることができる場所で」 「......」 「彼女は自分が死ぬことを、意識しないようにしていたんだと思います。ずっとずっと、自分が生きていたらと仮定して、先のことを話していたんです。でも、そんな彼女があなたのことになると、一回だけでしたけど、自分が死んだと仮定した先のことを話していた」 「......」 「それほど、璙さんはあなたのことが大好きだった。それは、あなたが璙さんのことをそれほど大切にしていた証なんだろう。そう、私は思うことにしたんです」 「......」 「そんな人が、ここに来ないはずがないでしょう?あなたも私の立場だったら、そう思うはずです」 「......」  春崎が語っている間、久賀はずっと黙りこくっていた。 「............でも、俺は、あの子が生きているうちに、会ってやることができなかった......それを、ずっと悔やんでいました。だからあの子は......満希は、それを恨んでいるものとばかり......」 「......ふ、ふふっ......そんなわけ、ないじゃないですか」  久賀の、後悔と、娘に会ってやることができなかった自分に対する自責の念の垂れ流しを、春崎は笑って一蹴(いっしゅう)する。 「恨んでいる人に対して、人は感謝の念を心から述べたりしないものですよ。きっと」 「え......」 「それこそ、余命が幾許(いくばく)もない、体の自由すらきかない少女が、ですよ?」 「......なるほど、それは、言うはずないですね。......優しいあの子なら、なおさら......」 「でしょう?」  互いに"璙 満希(しろがね みつき)"という名の少女に思いを馳せながら空を見上げる二人の間を、冬の乾いた風がヒュウと音を立てながら通り過ぎていった。 「にしても、なんであいつらは満希をここに残して縁を切るなんて真似を......」 「自分の一族を理由あって出て行った者の娘は、邪魔でしかなかったんじゃないですか?そう思っていた矢先、都合よく璙さんが病気になったから、ここへ」 「なんだと!?ふざけてるにもほどがあるだろう!!あいつらはそんな奴らだったのか、くそっ......」  久賀の怒り混じりのぼやきを、春崎は気にせずに流した。 「......なんであんな一族の娘と、結婚してしまったんだろう......確かに、あいつは優しいやつだったが......満希があいつとの間の子じゃなければ、幸せになれていたかもしれないのに......」 「そうですか?」 「え?」  そして、その次の久賀の後悔のぼやきは、流さずに拾い上げた。 「璙さんは、あの家に生まれてよかったと言っていました」 「なっ、」  春崎からの意外な返答に、久賀は目を丸くする。 「だって璙さんは、璙家の他の方々にも黔賎家の方々にも、疎まれているとは思ってなかったですから」 「え......」 「......いや、これでは少し、語弊がありますね。正確にいうと、自身が病気になってお金を払わせなければならなくなった、迷惑をかけたことで、あの人たちに嫌われたと思っていました。でもそれも、それぞれの一族全員が彼女のことを忌み嫌うほどだとは、とても」 「......なんで......あいつらは、満希のことは影で散々......」 「たとえ酷い扱いを受けていたとしても、それは本人の知らないところで、だったんじゃないですか?」 「......かも、しれない」  いつの間にか、久賀が敬語を使わなくなっていることにも、春崎が会話の途中に笑みを交えなくなっていることにも、二人はつっこまない。  ただ、二人が共通して知っている、けれども、知っている面はそれぞれ違う一人の少女について、真剣に話し込んでいた。 「あとは............一人だけ、彼女のお見舞いに来てくれていた人がいました」 「それは......」  そんな中、春崎は璙とは別にあと一人、自身が緩和ケア病棟にてよく顔を合わせていた人物の顔を思い浮かべながら、そう呟く。  どうやら久賀には心当たりはないらしく、怪訝そうな、不思議そうな顔をしていた。 「黔賎家のご隠居様の、お孫さんです」 「ご隠居様の......黔賎、(はるき)くんか。なんで、黔賎家の子が......」  ......黔賎 陽。(くだん)の璙の元にお見舞いに来ていた、唯一の人物である。常に生気を失いかけているかのように光の淡い瞳に、艶のある髪、普通に健康的な体。でも、病気であった璙少女よりも、ずっと日々に退屈していた。  そんな黔賎と春崎は親しいほどの仲ではなかったが、彼のことはよく覚えていた。  ......なぜなら、あの日......2012年11月15日、璙が亡くなった時、元気のない綺麗な瞳に溢れるほどの涙を溜めて、人工呼吸器の外される瞬間、璙が息をしなくなる瞬間を眺めていたからだ。  家族に見放され、病院関係者以外の誰にも存在をよく知ってもらえていなかった入院中の璙のことを、唯一気にかけてくれた人。 「ええ。あの子は、毎月一回、来られない月もありましたが、来てくれていました」 「へえ......あの子が......」 「時には差し入れも持ってきてくれたり、彼女の無茶ぶりに付き合ってくれたり......璙さんが11ヶ月生きたのは、彼がいたおかげです」 「なるほど......」  久賀は本当に数えるほどすら会ったことのない、黔賎に密かに感謝の念を抱きながら、春崎の話に耳を傾けていた。 「......陽くんは、今はどこで何をしているんだろう......いつか、お礼をしなくちゃだ......」 「......今頃二人で、仲良く話してる頃ですよ......」  久賀はしみじみとそう呟き、それに応えるように春崎の呟きが少しだけ重なった。 「......」  春崎が発した短い呟きに、久賀が触れることはついになかった。 「ではまた、これで」 「今度、二人で墓参りにでも行きましょう。ハンバーグと飴を持って」 「はは、そうですね」  久賀と春崎、お互いがそれぞれ話すことを話し、聞くことを聞き終えた頃には、太陽は山の影に今にも隠れて寝てしまおうと、うつらうつらと船を漕いでしまっている。  淡い紫に包まれた冬の空を拝んだあと、春崎と久賀は、あっさりと別れた。  連絡先を交換して、そのあと少し話して、さようなら。  そのごくごくありきたりな一連の動作の中に、"帰ろう"という家を恋しがる以外の情は一切なかった。 「またいつかー!」 「はーい」  余計にもう一言ずつ言葉を交わす間にも、なかった。
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