かたち

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 ──ガタン、ガタン。ガタン、ゴトン……。  身体の揺れと、耳から入ってくる規則的な音で不意に目を覚ました。急激に意識が引き上げられるような感覚だ。けれども、不思議と不快感はない。  ここはどこだろう……? わたしは何をしていたっけ……?  見回してはみるものの、結局はわからないまま。ただわかることは、ここは列車の中だということかな。  田舎の単線列車だ。クリーム色の壁に、緑色の長椅子。一車両だけの小さな箱の中にはわたし以外にも、ちらほらとまばらに人が腰を落としていた。  車窓から外へと視線を向けると、パノラマの、真っ青な海が広がっていた。わたしは海の見える窓を背後に眠っていたようだ。こんなに美しい景色に背を向けていたなんて、寝る前のわたしはいったい何を考えていたの。 『プー、しのぶの駅です。お降りの方はどうぞお足元にご注意ください』 「……あっ! 降ります、降ります!」  ふと、何を思ったか自分でもわからないままに声をあげて出入り口の方へと進んでいた。何故だろうか、わからないけれど、降りるべきは今だと思ったのだ。 「ありがとうございます。切符を拝見いたします」 「え、っと、切符……?」  列車を降りたところで車掌さんに呼び止められた。あ、そうだった。田舎の無人駅では、車掌さんが切符とか定期券を確認してくれるのが決まりごとなのだ。  けれども困った。わたし、鞄も財布も持っていない……あれ。  着ていた制服のポケットに折り畳まれるように、小さな切符がひらりと一枚。  これでいいのかな……切符には実家の最寄駅の名前以外、何も書かれてないんだけど。値段も、行き先も、何も。 「あの、……これ」  やむなし。そう判断して車掌さんに切符を渡すと、じっと手にとって見た後に「ご利用ありがとうございます。どうぞお行きください」と、笑んで言った。車掌さんの顔は帽子で影になっていて全く見えないのだけれど、その口元がふと笑みを(かたど)ったことだけはわかる。  見つめるわたしのことを忘れたように、その人は列車に戻って車体は動き出した。 『しのぶの駅ー。お次はー……』  微妙に何を言っているのか聞き取れないまま、わたしは、よくわからない駅に取り残される。  いやいや、自分で降りた駅なんだから、何をしているの!  しゃきん、と背筋を伸ばして顎を引くと、列車の中で見ていた海が、目の中に鮮明な匂いと共に飛び込んできた。  そういえば、忙しくて海なんて来てなかった。なんでこんなことになっているのかわからないのだけれど、この余暇を存分に楽しむべきだろう。  無人駅の改札を抜けて、駅裏にある石段を降りると、そこは砂浜だった。空を仰げばきれいな夏の空色に、真っ白の入道雲が立ち上がっている。あの形と層の感じがソフトクリームみたい、って言ったのはいつだったっけ。 「そうだなぁ、幼稚園年長さんくらいだったんじゃないか?」  ──え……?  わたしの考えていたことに、背後から的確な答えが返された。  はっ、と振り向くと、背が高く、少し痩せ型の、カラーグラスの眼鏡をかけた男の人がそこにいた。 「お父さん……?」 「どうしたんだ、やお。ソフトクリームが食べたいんじゃないのか?」  ──え、あ、あれ……?  え……、待って待って待って。  今さっき、わたし砂浜に立ってたよね。で、背後からお父さんの声が聞こえて振り向いたよね。  それがなんで、わたしは小さくなって、お父さんと手を繋いでるの……? 「どうした? やお」  『やお』は、わたしの小さな頃からの渾名(あだな)だ。幼い子供では発音しにくい名前だったから、いつも自分のことを『やお』と呼んでいたからと、父だけが呼ぶ名前だった。 「ソフトクリーム……?」 「なんだ、欲しくないのか? 雲を見て『ソフトクリーム食べたーい』って言ったじゃないか」  そう言って繋いでいない方の手から差し出してくれたのは、少し上の方が溶けてきているソフトクリームだ。「お前はいつも、なかなか食べ始めないから溶けるんだぞ」そう言われながら、わたしは繋いでいない左手でそれを受け取る。  冷たくて、美味しい……。  そうだそうだ、今、無性にこれが欲しかったんだ。冷たくて、甘くて、優しい味の。  一気にかぶりつくのがいつもちょっと恥ずかしくて、ガワの方を舐めるだけになる。そうするとじわじわと溶けてきて、結局、毎回手がべとべとになるのだ。  あちゃ、もう溶けて流れてきちゃった。  ぺろぺろぺろ、犬のように必死で舐めているのを、父は笑って見ていた──
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