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「見つけたぜ。かくれんぼは終わりだ」  エガルドヒーの身体が沈んだ。  瞬間、いつの間にか放たれた「蹴り」が俺の腹を捉える。  鉄か何か仕込んでいるのだろう。  おおよそ人間とは思えない重い一撃。  俺の身体は軽々と宙に舞った。  電車の窓に背中をぶつける。 「ぐは……ッ!」  ユーリのやつ、こんな蹴りを何度も受けていたのか……。 「フィデリオ……」  死にそうな毛虫のように身体を丸めたユーリが、こちらを見てうめいた。 「あっちの赤頭のお友達は、あと一発蹴りを入れたら死ぬだろうな」  エガルドヒーはユーリの方を顎でしゃくり、楽しそうに笑った。  ゲスが。 「キミが立ってくれれば、こっちのお友達は蹴られずにすむぞ」  俺は手をついて、よだれを垂らしながら立ち上がった。  これ以上、ユーリを傷つけさせる訳にはいかない。  だが、さっきの一発で俺の身体も悲鳴を上げていた。  意識を失いそうになりながら、震える身体を支えながら、意地と根性で何とか立ち上がる。 「そいつは……明日……仕事を手伝ってもらわないといけないんだ……」  俺は重い両腕を上げ、構えた。  吐きそうでも、目の前に白い光の粒が見えても。  寝ている訳にはいかなかった。 「ひゅー、友達思いだねぇ」  エガルドヒーは嬉しそうに口笛を吹いた。  余裕しゃくしゃくの顔をぶん殴ってやりてぇ。  ――が、現実は逆だ。  エガルドヒーのデカい身体が揺れ、次の瞬間には目の前にあった。  右から、左から、下から、正面から――拳が迫る。  コンビネーションすべてが入り、視界が血の赤とノイズで染まった。  心臓が締め付けられるように痛い。  カクンと膝が落ち「もう止めておけ」と身体中が叫ぶ。 「ほら、君が立たないと! お友達が殺されるぜ!」  俺は立った。  椅子に手をかけ、何度も息を吐き出して、死にかけの虫けらのようなみっともない姿で立ち上がった。  もうほとんど前が見えない。  口の中は鉄のにおいと味いっぱいで、ぬるっとした血が次々とあふれた。  それでも――。  ユーリに謝りたい。  こんなところで寝ていられなかった。 「ぶっ殺す……クソ野郎」  言い切った瞬間、顔面に蹴りが入った。  歯が何本か飛んだ。  何なら一本飲み込んじまった。 「止めろ……」  ユーリがエガルドヒーの足にすがる。 「赤頭のお友達に免じてちょっとインターバルだ」  エガルドヒーはタバコをくわえ、煙を吐き出した。 「お前ら俺と一緒だろ? 捨てられて、手足失って腐ったガキ」  鉄板でも入ってるのかと思ったエガルドヒーの手足は機械仕掛けだった。  どうりで肩に鉄パイプ振り下ろしても平気な訳だ。  エガルドヒーは顎髭を触りながら俺の腹を蹴った。  強烈な蹴りは腹をブチ抜く勢いで刺さった。 「お……おえ……」  胃液と血の混ざった激マズスープが口から流れ出た。  意識が混濁し、もう一撃で死ぬと直感する。 「お前らの気持ち、分かるよ。俺も孤児だったからな。毎日、背中と腹がくっつきそうなくらい空腹でよ。草でも鼠でも何でも食った。水がありゃ奪う。その気持ち、よーく分かるよ」 「……」 「だからお前たちの未来が見える。今は嘘吐いて、盗みぐらいしかやってねぇだろうがな。そのうち人を殺すようになる。そっちの方が安全だからだ。目撃者は仏になる。罪は誰にも咎められなくなる。嘘つきは泥棒のはじまりって言うがな。泥棒は進化すると人殺しになるんだよ」 「人なんて殺す訳……ないだろ……」 「なるよ。最初は難しいかもしれない。ダメなことだって習うからな。でも、何人か殺してれば慣れてくる。こんなもんか、と思うはずだ」 「……」 「人を何人殺そうが天罰なんて下らない。何も起こらない。何度も繰り返せばしょんべんするのとさほど変わらなくなる。そう、これがお前らの未来だ」 「黙れ……」  俺はまともに動かない頭で考え、絞り出すように言葉を吐く。 「この俺が! お前らのいきつく先だ! ハハハハハッ!」  黄色い歯を見せて笑うエガルドヒーは、ホルスターから銃を出した。  その銃をユーリの頭に向ける。 「そこのボウズ、立てよ。じゃないと赤頭を殺す。クソみたいな未来さえ、なくなっちまうぜぇ?」  ただなぶり殺すのなんて飽きたんだろう。  遊んでやがる。  俺はもう眠りたかった。  自分の血の池があたたかくて。  もう眠りたかった。  でも――。 「まだ……立……つぜぇ……ゾ……ンビィイイ」  俺は立ち上がった。  血ですべりそうになっても、生まれたての小鹿のように足が震えても。  涙で溢れる視界をぬぐいもせず。 「あと何発いけるかぁ?」  エガルドヒーの蹴りが腹を刺した。  吹っ飛んだ俺の身体は開きっぱなしの電車のドアから転げ落ちる。  地面の上を何回転もして、血と吐いたものと砂の味が口内に広がる。  仰向けで空を見上げると、星一つない暗闇が広がっていた。  暗闇の中で、補助照明が小さく輝いていた。 「もう一回! もう一回! キミたちの友情をオジサンに見せてくれ」  エガルドヒーはタバコを捨て、ケタケタ笑いながら電車を降りた。  手拍子が無性にムカつく。  あぁ、でももうダメだ。  これ以上痛い思いをしたくない。  もう死にたい。  許してくれ。  でも、俺がここで諦めたらユーリは……。  その先を考えると、身体に力が入っていった。  ユーリなんて……。  いけすかないやつだし、死ねばいいと思っていたのに。  そんなやつの為に何で頑張っているんだろう。  分からなかったけど、今この瞬間、不意に気づいた。  そうか、ユーリは俺に似ているんだ。  親に殴られ、捨てられ、ふてくされて、愛されたくて。  そんな俺に似ているんだ。  だから、放っておけないんだ。  そう思うと笑い声がこぼれた。 「はは……ふふ……」 「何だ壊れちまったか?」  俺は最後の力を振り絞って立ち上がる。  脚が震えても、意識が飛びそうでも。  あと一発なら耐えられる。  俺だって勝算なしに飛び込んだ訳じゃない。  ここからが勝負だ。  ユーリだったら気づく。  そう信じて言葉を紡ぐ。 「おい、社会のダニ。お前の蹴り効いてないぞ。こんなガキ一人殺せないのかよ」  俺はフラフラになりながら手を叩いた。 「ダニの……うんち、見せてくれ! ほら……もう一回! もう一回!」  自分で言うのも何だがクソうぜぇ。  膝ガックガクで目もまともに開いてないことを考えれば上等な挑発だ。  エガルドヒーの顔から表情が消えた。 「お前たちの身体全部うっぱらって金にしてやる。髪の毛一本、爪の先からチンコの先まで全部だ」  俺のクソみたいな挑発には意味がある。  それに気づいてくれ、ユーリ。  電車内で地を這っていたユーリが何かに気づいた。  グローブPCでホログラムを立ち上げているのが見える。 「その……調子……だ……」  エガルドヒーが銃を構える。  あの引き金を引けば終わる。  俺の人生が終わる。  しょんべんちびりそうなギリギリの状況。  五秒ともたない強がりが解けしてしまいそうで。  急に足が震えた。  ガクガクとみっともなく震えた。  もう耐えられなくて、その場に崩れ落ちそうになる瞬間。  エガルドヒーの指が引き金に触れた瞬間――。  バーン。  俺のうめき声をかき消すように破裂音が響いた。  銃声ではない。  鉄球を落とした音だ。  エガルドヒーの右半身は鉄球で潰されていた。  右半身は機械らしく、オイルをぶちまけている。  予想外の状況に、エガルドヒーが情けない声を上げる。 「は、何だよコレ。てめぇ、てめぇええええッ!」  鬼の形相がこちらを見ている。  ――が、こうなっちまえば怖くも何ともない。  エガルドヒーは必死に右腕を引き抜こうとするも微動だにしない。 「はは、ナイス……ユーリ」  俺はその場に尻もちをついて倒れた。  もう動けない。 「あははは……はは。フィデリオ、お前な、人殺すところだったぞ」  立ち上がったユーリが、電車にもたれかかって肩を揺らす。 「こんなヤツに殺されるくらいだったら、殺した方がマシなんだよ」 「違いないな」  俺もユーリも笑っていた。  ――が、その声をかき消すようにエガルドヒーが叫んだ。 「うが……! あが……! がぁあああああッ!」  充血した目を見開き、力を入れ、無理やり右腕を引き抜いたのだ。  ベリベリと人工神経や機械が壊れる音とともに、エガルドヒーは右腕を千切り捨てた。  相当な根性だ。 「マ、マジか……」  正直、もう身体は一ミリだって動かない。  それはユーリも同じだった。  乾いた笑い声しか出てこない。 「殺すッ! 殺すッ!」
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