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オオルリとコルリ
軽バンに乗り込み、エンジンをかける。
古い車のぶるぶる震えるハンドルを握りしめ、昔ながらの入り組んだ道を走る。高台のちいさな森の手前が先生の家だ。「高橋」さんの表札を探してこのあたりを延々とさまよったのが懐かしい。(おかげであんな事件が起きてしまったのだけど)
アーチ窓のある二階建ての立派な家は、大正期の建築だという。先生は「ボロ屋だ」と謙遜していたけれど、時間にも流行にも流されずいまも美しいこの家が私はとても好きだ。
鷹觜という表札の埋まった門扉のそばに車を停め、花束の包みから「タカハシさま」と書かれた付箋を剥がしダッシュボードに貼った。
私はひとかかえある白い花束を抱く。
今ではこの花の意味を知っている。
これは、先生の大切な花束だ。
インターホンを押す。古いタイプで外との通話は出来ないから家主が出てくるまで少し待つ。足音が聞こえた。扉が開く。
「フローリスト・カンパニュラです。ご注文の――」
「世話になった。すまないが手が汚れている。そこに置いてくれないか」
ドアを背で押しながら、鷹觜先生は私に玄関脇の靴箱を指さした。うなずいて棚の上に花を下ろす。包み紙のフィルムがパリパリと乾いた音を立てた。
いつ来ても、人の気配の薄い家だ。玄関先は暗い。けれど、先生が手の甲で探りあてた明かりのスイッチが入ると、壁一面の極彩色があらわになる。
ガラスの蓋のついた薄い標本箱には、色とりどりの鳥の尾羽根が一枚ずつ納められている。鳥類学者だと聞いてようやく納得できる量だ。
「いつ来てもすごいですね。私、ここ見るのとても楽しみで」
「気味悪がる人もいる」
「私は全然。鳥、好きですし」
「好きに見てくれ、あまり変わりばえはしないが」
あの醜態を晒してなお、今では少しだけお話をしてもらえる関係になれたのが私としてはうれしい。
先生はふいっと左手にあるリビングの方へ入っていく。ついで、水音が聞こえた。
「おじゃまします」と断って、出してあったスリッパを履く。訪問を待っていてくれたような、ささいな気持ちの動きがうれしい。
標本箱を眺める。ケツァール、ラケットハチドリっていう名前はここで覚えた。カラフルな羽根のコレクションはクジャクぐらいは私にも見分けがつくけれど、見た目からは想像できないものも多い。ラベルを見てようやくハヤブサってこういうものかと納得するぐらいだ。
色とりどりの羽ひとひらは、まるで花びらのようで見飽きない。
水音が途絶えると、先生がいつもの険しい顔のまま戻ってきた。
「鐘ヶ江店長がよろしく伝えてとおっしゃってました」
「元気らしいな、なによりだ。酒を控えるように言ってくれ」
そっけない口ぶりだけは店長にそっくりだ。
ふと、目立つところに飾られたひと箱が目についた。
白い紙の上に翼を広げるような形で羽根が一枚一枚留められている。全体的に黒っぽく、けれど扇のように広げられた尾羽根をのぞき込むと一瞬目の覚めるような青が光り、思わず「キレイ」と感嘆が口をついた。
「前にもありましたか? この標本」
「いや、新しい。近所の人が届けてくれたもので、住宅の窓にぶつかって死んだオオルリだ。T―3の羽根以外無傷で貴重なサンプルになる。骨格標本はもう少しかかるが、羽根の方はじきに大学に持って行くつもりでいる」
「そうなんですね。死んじゃったのはかわいそうだけど……。オオルリって青い鳥ですよね。どの羽もイメージより黒くて驚きました。」
「この鳥の鮮やかな青は構造色で構成されるところが大半だ。尾羽根を例に取ると、羽軸を中心に両側に斜めに伸びた羽枝は青い。だが、その羽枝の両側に細かく生えた小羽枝は黒色。我々の目にする青は羽枝の内部構造が光の干渉性散乱を起こして作りだす。重なりあった羽枝が一定の青の波長だけを反射するんだ。標本にすると黒色の割合が目立つから、元の個体を想像するのが難しいかもしれないな」
情報の洪水にパチパチと瞬いていると、先生がすまなさそうな顔をした。
「細かい用語はわからないんですけど、面白いです。花の青とは違うってことでいいですか」
「そう、色素の青と違うという理解ができればいい。羽根の構造は芸術的だが、こうして標本にするよりは、私個人は生体として見るオオルリの方を好ましく思う。あまり個体数の多い鳥ではないが、時折は我が家の庭に来ることもある」
「そうなんですか! 見てみたいです。私と似ているし、ちょっと親近感あるんですよ」
「君と?」
「私、ルリって言うんです。葉月ルリ」
「ああ、そうだったな」
「忘れてました?」
「いや、憶えている」
先生が向けた穏やかな顔がいつもよりやさしく感じられて、赤面する気配を悟った私は、そっとほかの箱に視線を移した。
「いいですよね、青い鳥。お花でもそうですけど「青」って心をスッとさせてくれるような心地よさがあって好きなんです。どうですか、いつかなんでもない時に青い花束とか。って、営業です!」
「……そうだな、いつか」
「ぜひ! 元気な時は背中を押してくれて、落ち込んでるときは心に寄り添ってくれるそういうイメージなんですよ青。心のお守りみたいな。花はあまり持ち歩くイメージないかもしれませんけど、鳥の羽はお守りになりそうでいいなぁ。幸せの青い鳥」
「どうだろうな」
先生はそれきり会話を断ち切って、玄関右手の階段をスタスタと上がっていった。失言、だっただろうか。花束のくだりは余計だったのだろう。
無邪気なふりをした、ほんの少しの嫉妬だったから。
あまり長居するわけにもいかない。上階をうかがいながら帰りの靴を履いて家主を待っていると、先生は特に急ぐ様子もなく降りてきた。
そして、私にアクリルのフタのついた、ちいさな木箱を差し出した。
「あいにくオオルリの羽根は手持ちがないが、昔採取したコルリの背の羽だ。青がよく出ている。お守りになるかは――」
「ええっ! もらっていいんですか?」
「つまらない話に付き合わせた詫びにもならないが」
「とんでもないです、私先生のお話聞くの好きで、こちらこそお邪魔しちゃって……」
「いや、また来るといい。羽根が私に見られるだけにとどまるより、かすみもよろこぶだろうから」
舞い上がった私は気持ちをしずめて笑顔でうなずく。
白い花束を手向ける相手。
かすみさん、先生の奥さんだった方。
「これは元は妻のコレクションだったものだ。私はあまり家に飾る趣味はなくてね」
それでもまだそのままであるという意味。
私は先生へのお届け物がうれしくて、見ているだけでよくて、話ができるだけでよくて――。
でも、本当は。
「わぁ、そうなんですね。亡くなられた奥様も優秀な学者さんだったって、前に鐘ヶ江店長から聞きました。あ、すみません……そろそろ戻りますね。ありがとうございます」
素敵な人で、賢い女性だったとも聞いた。
そんな亡くなった奥様がいる事実は、少し苦しい。
かすみさんの名を呼ぶ先生の声はとてもやさしい。
ただの花屋で、とりえのない私に、見込みなんてあるわけない。あって欲しいけど。きっとない。そんなふうに思ってしまう。
手のひらに残されたコルリの羽の箱を握りしめ、私は「またおねがいします!」と笑って家を出る。
「鳥が好きなら、いつか庭を見に来るといい。近頃はコゲラがつつきに来るから」
「わ、いいんですか。キツツキですよね? 見たことないです。お邪魔したいです」
「朝早いが」
「花市場行ってますから、朝は平気です!」
食い気味の返事を聞くと鷹嘴先生は、楽しそうに笑ってくれた。
先生は私が「明るくて元気でいい」と前に店長に話してくださったらしいので。
私はそのとおりに、振る舞いたいと思っている。
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