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あの日、俺の心は死んだ。
「隆一、ちょっとコンビニでお醤油買ってきて」
母に言われた春山隆一は、面倒くさそうに答える。
「嫌だ。今は忙しい」
「忙しいって、スマホいじってるだけでしょ。行ってくれてもいいじゃない」
ブツブツ言っている母を無視し、隆一はスマホの画面を見続けている。高校生の彼にとって、母の頼みは聞かなくていいものだった。
やがて、母は溜息を吐く。
「わかったわよ。もう、あんたなんかに頼まないから」
ぶつぶつ文句をいいながら、母は出て行った。コンビニは、歩いて十分かかるかかからないかの距離である。すぐに帰ってくる、はずだった。
隆一は、ふと顔を上げた。気がついたら、かれこれ二時間以上が経過している。だが、母は未だ帰らない。
その時、いきなりドアが開く。やっと帰って来たのか……と思いきや、立っていたのは制服を着た警官だった。
「すみません。春山亜由美さんと思われる女性が、遺体となって発見されました。確認していただけますか?」
はっきりとは覚えていないが、警官はそんなことを言っていたような記憶がある。春山亜由美は、母の名前であった。
隆一は呆然となり、何も言葉を返せなかった。
それからのことを、隆一は断片的にしか覚えていない。
はっきりわかっていることはひとつ。母はコンビニに行く途中、通り魔に襲われ滅多刺しにされた事実だけだ。数十ヶ所を刺された挙げ句、公園の茂みに放置されていたという。通り魔は、すぐに逮捕された。
その後、病院の死体安置所で、隆一は父と共に母の遺体と対面した。
死体と貸した母の表情は、ひどく歪んでいた。死ぬ間際、どれだけ苦しい思いをしたのかが、こちらにも伝わってくる。
それは隆一にとって、殴られるよりつらいものだった。
・・・
十年後──
都内のとある事務所にて、隆一と二人の男が向かい合っていた。
「ご苦労さん」
中年男は、札束の入った封筒を隆一に渡す。全身から、堅気ではない雰囲気を漂わせている。傍らには、チンピラ風の若者が控えていた。
「ありがとうございます。また何かありましたら、よろしくお願いします」
隆一は一礼し、事務所を出ていく。その後ろ姿を、チンピラは顔を歪めて見つめる。
「兄貴、あいつ気持ち悪いっスね」
「本当だよ。こないだキャバクラに連れてったら、あいつニコリともしやがらねえ。ずっと不機嫌そうな顔してんだよ。おかげで、場がすげえシラケちまった」
「マジっすか。キモいッスね」
「ああ、何があっても表情ひとつ変えねえんだよ。まあ、仕事はきっちりやってくれるんだけどな」
事務所を出た隆一は、地下駐車場へと入っていった。停めておいた車へと近づいていく。が、おかしな声が聞こえてきた。
「ナメてんじゃねえぞゴラァ!」
明らかに普通ではない。隆一は、そっと近づいていった。
大柄な若者が、地面に倒れた中年女を蹴飛ばしているのが目に入る。傍らには、なぜかスタンガンが落ちている。
「ざけんじゃねえぞ、このババア! ブッ殺してやるよ!」
喚きながら、若者は中年女を蹴り続ける。だが中年女は、なおも闘おうとしていた。蹴とばされながらも、必死の形相で足に掴みかかろうとしているのだ。
なんだ、こいつは?
興味を感じた隆一は、無言で足音を立てずに近づいていった。この若者、かなり大きい。身長は百九十センチ近く、体重も九十キロを超えているだろう。このままだと中年女は殺される。
隆一は、音も立てず若者の背後に回る。と同時に、落ちていたスタンガンを拾う。
次の瞬間、若者に押し当てた──
若者は悲鳴をあげた。完全に不意を突かれ、地面に倒れる。しかし、意識は失っていない。すぐに立ち上がろうとする。
立ち上がらせてはまずい。この男、体は大きく力も強そうだ。起き上がろうとしている若者に、もう一度スタンガンを押し当てた。途端に、若者は転げ回る。その隙に、若者の首に腕を巻き付けた。そのまま、一気に締め上げる。
若者はじたばたもがいていたが、やがて体の力が抜ける。そのまま動かなくなった。
トランクに積んであったロープで男を縛り上げ、車の後部席に無理やり乗せる。
次に中年女の方を向いた。彼女は、呆然とした表情でこちらを見ている。
「あんた、こいつとどういう関係だ? よかったら聞かせてくれよ」
隆一に促され、中年女は語り出した。
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