4人が本棚に入れています
本棚に追加
本山裕美は、ごく普通の主婦であった。二十年ほど前に結婚し、やがて子供が生まれる。裕美は、息子の博には幸せになって欲しい……と願い、教育には力を入れていた。それ自体は、どこの家庭にもあることだ。
ただ彼女は、よその家庭よりほんの少し教育熱心だったかもしれない。やがて、息子を少し離れた地域の塾に入れた。それもまた、今の時代では珍しくないだろう。
裕美は、塾の費用を捻出するため週四回パートに出ていたが、これまた有りがちな話である。
ところが、博が十二歳になったある日……あってはならない事態が起きた。
その日、午後九時になっても博は帰らなかった。普段なら、遅くとも八時には帰って来ているはずなのに。
まさか、夜遊びでもしているのだろうか。裕美は不安になった。この大事な時期に、おかしな連中と付き合っているのかもしれない。
やがて十時を過ぎたため、彼女は塾に電話してみた。ところが、誰も電話に出ない。一体、何が起きたのだろうか。裕美は、警察に捜索願いを出す。
彼女が息子と再会できたのは、翌日になってからだった。
「本当に、見るのですか? 息子さんの遺体は、損壊が激しいです。見ない方がよいかと……」
刑事は、そう言った。だが、裕美は遺体を見ることを希望した。
見た直後、彼女はその場に崩れ落ちる。号泣しながら、胃の中のものを全て戻していた。
そこに寝かされていたのは、もはや人の姿をしていなかった。無惨に焼けただれ、顔の見分けもつかないものだった。しかも、腕や足の形も変形していたのだ。
刑事の話によれば、博の遺体が発見されたのは、塾から歩いて十分ほどの位置にある空き家だった。その敷地内で、夜中に何かが激しく燃えていた。近所の住民が消防署に連絡する。
消防署員が駆けつけ、すぐに火を消し止める。だが、その正体が判明した時、全員が顔をしかめる。
燃えていたのは、横たわる人間だった。しかも、大きさからして子供である。
死体を調べた結果、全身の二十ヶ所の骨が砕けていた。付近にある角材で目茶苦茶に殴られ、焼かれる前に既に死亡していたのだ。
さらに、死体のすぐ近くには自転車が放置されていた。壊れた防犯ブザーも。
近所の人によると、防犯ブザーの音を聞いたような記憶があるという。さらに叫び声らしきものも。
ただし、それはほんの一瞬のことであった。さらに、空き家は以前から不良少年の溜まり場となっていた。今夜も奴らが騒いでいる、その程度の認識でしかなかった。
また、付近の小学生たちに聞いてみると、現場の空き家の庭を突っ切ると近道できる……と、もっぱらの噂になっていたという。空き家の塀には大きな穴が空いており、自転車に乗ったまま通り抜けられる。迂回するより、庭を直進した方が時間を節約できるのだ。
博は、補習のため帰る時間が遅くなった。そのため、近道をするために空き家の庭を突っ切ろうとした。そこで運悪く、不良少年たちと遭遇してしまった……警察は、そう判断した。
犯人は、すぐに逮捕された。付近にて、たびたび目撃されていた三人組の不良少年である。最初は全員が否認していたが、刑事の取り調べの前にすぐに自供する。
「俺たちが空き家の庭で話をしていたら、いきなりガキが自転車で入り込んで来て、挨拶もせずに通り過ぎようとした。無理やり止めて話しかけたが、無視して行こうとしやがった。頭にきて首根っこ掴んだら、防犯ブザー鳴らしやがった。ムカついたから、ブザーぶっ壊した後でブン殴ってやった。そしたら叫び出したから、角材でボコボコに殴ったら死んじまった。だから、ジッポオイルかけて燃やしてやった」
不良少年たちの言葉である。罪の意識など、まるで感じられなかった。この事件の前にもたびたび補導されていた。
また彼らは、覚醒剤の常用者でもあった。特にリーダー格の少年は当時、覚醒剤の切れ目で異様なほど凶暴になっていたという。
当然、裕美は厳罰を望んだ。だが、彼ら三人は十六歳だった。未成年であったため、五年から七年の不定期刑を言い渡される。
事件は、それで終わりではなかった。さらなる不幸が裕美を襲う。
「博は、俺に言ってたんだよ! 本当は塾なんか行きたくないって! でも、お母さんがパートで塾のお金を出してるから……そう言って、いやいや塾に通ってたんだ! あいつが殺されたのは、お前のせいだ!」
夫は、そう言って裕美を責め立てた。
ほどなくして、二人は離婚する。双方ともに、肉体的にも精神的にも限界に達していた。結婚生活を続けることなど不可能だった。
何もかもかも失った彼女は、心に誓った。博の命を奪ったクズ共を、自分の手で始末しようと。
博の将来のための預金で探偵を雇い、犯人全員の居場所と生活パターンを調べた。
そして今日、犯人のリーダー格であった加藤隆弘を殺すため、スタンガンと大型ナイフを用意した。人気のない駐車場で、不意を突いてスタンガンで気絶させる。意識を失ったら、大型ナイフで刺し殺す。それが彼女の計画だった。
やがて、標的を確認すると同時にスタンガンを手にして、背後からそっと近づいていく。
しかし、標的は彼女に気づいていた。振り向きざまの強烈なパンチを顎に食らい、裕美は膝から崩れ落ちる。弾みでスタンガンが手から落ちてしまう。
倒れたところを蹴られながらも、彼女は反撃を試みる。だが、勝ち目はなかった。隆一がいなったら、裕美は息子の後を追うことになっていただろう。
・・・
「なるほど。こいつが、その加藤か」
言いながら、隆一は倒れている男を指差す。裕美は、こくんと頷いた。彼女の顔は、涙で濡れている。話している最中、感極まり泣き出したのだ。しかし、隆一は容赦しなかった。話し続けることを、裕美に強いた。
そして今、彼女は全てを語った。
隆一は、ちらりと男を見下ろした。十二歳の少年に対し、角材で二十ヶ所以上の骨がへし折れるほど殴った上、遺体に火をつける……まともな神経ではない。ヤク中の中には、異様にキレやすい者もいる。薬がストッパーを外してしまうのだろう。
「ところであんた、金はいくら払える?」
隆一のさらなる問いに、裕美は引き攣った顔で答える。
「ひ、百万くらいなら残ってます」
「それはまた、えらく少ないな。本来なら引き受けないところだが、今回は特別セールだ。俺が手伝ってやる」
「えっ?」
唖然となっている裕美に向かい、隆一は一方的に語り出す。
「わかりやすく言うとだ、俺は裏の世界の便利屋だ。詐欺の手伝いから死体の始末まで、依頼があれば何でもこなす。あんたが俺に依頼してくれれば、こいつの死体をきっちり始末する」
「始末、ですか」
「ああ。残りの二人の居場所もわかっているんだろ? 俺に依頼してくれれば、その二人もさらって来てやる。ついでに、死体の始末もしてやる。料金は、大まけにまけて六十万だ」
「で、でも──」
「断ってどうする? あんたひとりで、残りのふたりを殺れるとは思えない。返り討ちに遭うか、警察に捕まるかして終わりだ。俺が手伝えば、あんたは確実に復讐を果たせる」
隆一の言葉に、裕美はうつむいた。迷っているのだろう。だが、彼女には他の選択肢はない。人を殺すのがいかに難しいか、これで理解したはずだ。
ややあって、裕美は口を開いた。
「わ、わかりました。あなたを雇います」
「わかった。じゃあ、先にこいつを始末しないとな。とりあえず、始末しやすい場所に運ぼう」
最初のコメントを投稿しよう!