ファミリーレストランに盛り塩は似合わない 2

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ファミリーレストランに盛り塩は似合わない 2

それが数時間前の出来事だ。 結論からいうが、事態は一向によくならない。 ばかりか悪化の一途を辿っている。 信心深い老夫婦が「浄めの塩が効果的ですよ」と言い出して隅に食塩を盛り始めたのにツッコむ気力もなく、むしろ藁にも縋る一念で黙認した一同は、ゾンビに包囲されたファミレスの店内に寄り集まってる。 空調が切れたのか蒸し暑い。メロンソーダの氷もすっかり溶けた。 「まいったな……まるでサウナだ」 八尋がシャツの胸元を摘まんで風を送る。汗がすごい。 へたばった客たちを見かねてか、意を決した店長がドリンクサーバーから烏龍茶を汲み、ぐったりした老夫婦に笑顔で手渡す。 「ドリンクバーは注文してない方もおかわり自由ですので、水分補給ちゃんとしてくださいね」 「ありがとうございます」 「なんとお礼を言えばいいか」 老夫婦は感謝の色を浮かべ会釈するも、サーバー解禁の報を受けた客たちは脱水症状寸前まで追い込まれてたせいもあり堰を切って押しかける。 「割り込まないでよ私が先でしょ!」 「言ってる場合か引っ込んでろ!」 「押さないでちょっと!」 抗議の声を上げて争い合い、ドリンクサーバーから飲料を汲むなりその場に立ったまま一気に干す。 「皆さん並んでください、水はまだありますから!」 声を張り上げて事態の鎮静化を図る店長だが、極限状態に追い詰められた人間たちは目の色変えて命綱に群がる。 最前列の女が後ろの男に押されて転倒、ドミノ倒しに人だかりが崩れ、メロンソーダにオレンジジュースにアイスティーにカルピス、毒々しい液体が床一面にぶち撒かれる。 「やだもーサイテーどうしてくれんのよ弁償してよ!」 「ゾンビの血を浴びるよかマシだろ!」 ヒステリックな悲鳴と罵声が錯綜する醜い光景から目を逸らし、呟く。 「本当に助けがくるのか……」 「忘れられてるんじゃない?」 サラリーマンが疑念を呈し、ギャルの片割れが追従する。 気詰まりな沈黙に嫌気がさして、隣の八尋に話題をふる。 「お前は?ファミレスで勉強してたの」 「涼しくて広くて気に入ってんだ、ここ。なんかはかどる」 「災難だったな、トラブルにまきこまれて」 「別に。どこにいたってシカトこけないだろ」 「そりゃそうだ、死んでも死なねえゾンビがわさわさ攻めてくるのに絶対安全な場所なんかねーか」 スマホの電池は残り少ない。さっきからカミさんにかけてるが繋がらねえ。内心の苛立ちをおさえ、八尋に聞く。 「お前は?かけなくていいの」 「家族や友達に?」 「カノジョは?」 「……いるけど」 「けど何」 「喧嘩中。最近上手くいってなくて」 そこまで口走ってから、初対面も同然の他人に話すことじゃなかったと唇を曲げる。わかりやすい。 「七瀬サンは……」 「あ~……全然」 「そっか……」 無事だといいな、奥さんと子ども。 そんな気遣いが妙に嬉しく心にしみる。八尋はイマドキっぽい垢ぬけた青年で、認めるのは癪だが結構なイケメンだ。ちょっと皮肉っぽい性格も女ウケしそう。 「もうやだ……明日ARASHIのライブ行く予定だったのに」 「元気だして響」 「こんなとこで死にたくないよ~ゆゆ」 「アタシだってマジ勘弁だし。リュウに告白してないのに死ねるかってのに」 啜り泣きに目をやれば、山姥メイクのギャルがスマホを見せあって互いに励まし合ってる。けなげだ。娘の十年後を想像して親心だか保護者欲だかが疼き、なにげない素振りで歩いていく。 「お嬢ちゃんたちも災難だな」 「は?何オッサンうざ。あっちいってろ」 響と呼ばれた付け睫毛のギャルの目が据わる。 「こんな時にナンパ?空気読めよ」 ゆゆと呼ばれた青いネイルのギャルが舌打ち。誤解だ。 ゆゆチャンの液晶の待ち受けは、根元が黒いプリンカラーのチャラ男だ。コイツがリュウとやららしい。響チャンの待ち受けは今をときめく男性アイドルグループARASHIだ。 みんなそれぞれ明日以降の予定が埋まってるんだと思うと感慨深い。 何もねえのは俺だけだ。 俺はずうずうしく女の子の隣にしゃがみ、手振り身振りをまじえて底抜けに明るくしゃべりかける。 「えーっと……この場に居合わせたのも何かの縁だ、めそめそすんな元気だせ。女の子は笑ってる方がかわいいぞ。それにそのARASHI?だっけ。そっちのカノジョがぞっこん夢中なイケメンアイドルグループだって今頃感染してっかもしんねーじゃん、そしたら仲良くゾンビの仲間入りで嘆くことねーし?肩を並べて歩けるチャンス到来だ、やったね。ゆゆチャンが告白予定のリュウクンだって……」 「サイテー!!」 ゆゆチャンがキレる。 「ぶは」 テーブルのコップをひったくって顔面に水をぶっかけ、ゆゆチャンが怒鳴りまくる。 「こっちは真剣に悩んでんだよ!茶化しにくんな!」 「お、俺だって場を和ませようと……」 「和まねーよばか!」 「もういいよゆゆ……」 「響は黙ってて!てゆーかさ、黙って聞いてりゃなんなの?仲良くゾンビの仲間入りとかさ。おっさんはそれでいいよ、老い先短いんだからさ。けどさ、アタシたちは今がいちばんなの!セイシュンど真ん中なの!恋もしたい、遊びたい、好きな人ができたらいろんなことしたい!」 「いろんなことって」 「そこはわかれよばか!手え繋いだりチュウしたり後ろから抱っこでゲームしたり、まーそんないろいろだよ!漫画喫茶の個室でいちゃいちゃも捨てがてーけど……ゾンビになったらそれできる!?できないっしょ!!あんなうぼーうぼあー言ってる目ん玉はみでたのとチュウとかしたくねっしょ上等!!」 「まあ……口臭キッツイよな……」 「ろくにコトバもしゃべれなくて!歩き方もギクシャクで!脳味噌溶けて人の顔もわかんないんだよ、誰がだれだかわかんないんだよ、そんなんじゃ告白したって意味ねっしょ、アタシのことわかんねーのにさ」 「…………」 「アタシだって……ゾンビになったら、告白なんてできっこない。リュウのことなんかどうでもよくなって、ただの食糧としか見なくなって……リュウがだれだかも忘れちゃって。好きだった気持ちおっことして、好きの一言もいえなくて。そんなのって……ゼツボウじゃん……」 「ゆゆ……」 感情を高ぶらせたゆゆチャンの拳が小刻みに震える。店内の客が心配そうにこっちを見る。 大粒の涙が目に盛り上がり、あとからあとから落っこちていく。 「響だってライブ楽しみにしてたんだ……」 「……うん。あたしなんかその他大勢のファンの一人で、きっと顔も覚えられてないんだろうなってそりゃわかるよ。でも……こんなことになって、ライブもパアになって……すっごい哀しい。ゾンビになったらもう生歌聞けないっしょ?サイリウム振って……あたしはここにいるんだ、ずっと見てるよって伝えたかった……」 響が落ち込む。俺は失言を悔やむ。 頭からっぽに見えて、女子高生コンビもちゃんと悩んでいた。 世間から見ればくだらないかもしれないが、本人達にとっちゃ世界で一番大事なことだ。 軽々しく慰めになんていくんじゃなかった。 「……わりぃ」 しぼりだすように詫びる俺と女子高生のあいだに、やんわりとした声が割って入る。 「人間生きてるとどうしたって心残りはありますよね」 老夫婦の老婆の方がしゅんとした俺をとりなし、旦那がゆゆチャンのスマホをのぞきこむ。 「この子がリュウくんかい?孫にそっくりだ」 「え」 「孫にそっくりならきっと心の広い優しい子じゃ。まだ手遅れじゃないぞいお嬢さん、思い立ったが吉日というじゃろ。その……すまほ?とやらで、想いを伝えてみてはどうかね」 「で、でも……電波の調子悪くて、繋がらなくて……」 「何度でも試せばいい。時間はたっぷりある」 人生経験豊かな老人の含蓄あるアドバイスに、すっかり大人しくなったゆゆチャンがこっくり頷く。 説得力の重みの違いか、俺の時とは態度が雲泥の差だ。 「その……ヤマアラシさんたちだって、今頃上手く逃げてるかもしれないじゃないですか」 「そう、だよね……ライブ中止かどうかまだわかんないもん、明日には全部解決してるかもしれないし……ありがとうおばあちゃん、ちょっと元気でた」 ヒモの功より年の功……当たり前か。 老夫婦が女子高生コンビをなだめているあいだにそそくさ退散する。 ほうほうのていで帰ってきた俺を八尋があきれた顔ででむかえる。 「無茶しやがって」 「うるせえ」 周囲じゃみんなスマホに齧り付いて大事なヤツに電話してる。 仕事の取引先だったり身内だったり、実家の親だったり…… 「お母さん?うん……いまファミレス、昴さんや他の人も一緒。わたしは……いまんとこヘイキ。ゆうちゃん?お義父さんお義母さんが見てくれてる、ずっとだっこしてたから腕が痺れちゃって」 「ええ……はい……約束の時間に間に合わずご迷惑を。それどころじゃない?ええ、ですが大事な打ち合わせをすっぽかしたので一応お詫びの電話をですね……」 「ルミ?よかった~やっと繋がった……もうやだ、はやくうち帰りたい……ゾンビとかマジいい加減にしてよって感じ、アタシまだやりたいこといっぱいあんのに……」 スマホを宝物のように握り締め、それぞれの大事なだれかと会話する連中を見てると、俺だけのけ者にされたみたいでたまらなくなる。 疎外感と孤立感に苛まれ、手近な他人に身の上話の一端を吐露する。 「俺さ。離婚したんだよね」 「……え」 「カミさんに逃げられて……バツイチ。子供もいたんだけどさ、ヒモ同然の甲斐性なしだから……」 「まあそれは……そんなナリで真昼間っからファミレスに入り浸ってちゃ一目でわかる」 「うるせえよ礼儀として一応否定しろよ」 膝の間にがっくりと頭をうなだれ、未練がましくスマホに表示された名前を見詰める。 これまでのぱっとしない人生を回想する。どうにも根気が続かない性格で、相性が悪いヤツがいるとすぐ仕事をやめちまって、カミさんには苦労かけどおしだった。 「おまけにパチスロ狂いの競馬好き、趣味特技マージャンときた」 「ダメ男じゃん」 「るっせ。カミさんとは高校出てすぐデキ婚だったんだけどさ……子供はかわいいよ?そりゃもうすっげーかわいい、笑った時にできるえくぼが俺そっくりでやんの、血の繋がりを感じるね。でもだめなんだよ、どーにもすぐカーッとなっちまうたちで……むかつく上司や人としてやっちゃいけぬえことやらかす同僚がいると、こんなくそったれな職場辞めてやらあってカミさんと子どものことも忘れてすぐ啖呵切っちまう」 「人としてやっちゃいけねえことって」 「コンビニのカウンターにおいてあんだろ?恵まれない子ども向けの募金箱。アレをちょろまかしたり」 「……それ注意したの?」 「したさ。んでクビ」 「は、なんで?悪いのはそのネコババ野郎だろ、意味わかんね」 「だろ!?フツーそう思うよな、なんで俺がやめなきゃなんねーんだ理不尽だ!でもまあそいつ店長の遠縁だからしかたねえか……」 「しかたなくはねーっしょ」 八尋が納得できないと鼻を鳴らす。見かけによらず熱いヤツだ。好感度が上がる。俺はわざと軽薄に肩を竦め、なんでもないふうを装ってほざく。 「まあそんなくりかえしで、カミさんともうまくいかなくなって……もう会いに来ないでって面と向かって言われちまった」 「ずびし?」 「ずびしと」 「そっか……」 八尋が気まずげに呟く。同情が嬉しくて痛い。即席のバリケードを挟んだガラス扉のむこうじゃゾンビどもが暴れてる。このぶんじゃじき突破されそうだ。 俺はやけっぱちに唇をねじる。 「……このシチュでのんびり世間話って場違いだな。いっそ笑える」 「言えてる。みっともなくパニクるよりかいいんじゃない?」 「ゾンビに喰われる最期なんてぞっとしねえな……」 「食べられるなら爪先と頭のてっぺんどっちがいい?」 「どっちもやだ。せめて甘噛みで頼む」 なんて、軽口を叩き合って恐怖心をまぎらわす。体力を消耗したくないならじっとしてるに限る。 自衛隊のヘリは?素通りか?取り残された俺達に気付かず行っちまったのか、薄情な。 「…………」 さっきからチラチラとテーブルに目がいく。 大学生グループが陣取ってた席には片されない食べ残しが雑然と。 この一大事だから下げ忘れも無理ねえが、かえって不在が強調される。 さっきまでだれかがいた痕跡が生々しい。皿やコップが散らかったテーブル席から頑張って目を背ける。 八尋がポツンと呟く。 「アイツらさ……馬鹿だよな。真っ先にとびだしてったらやられるに決まってんのに」 「まあそうだけど……死んだ奴らのこと悪く言うなよ」 俺の注意はしれっと流し、あっけらかんと続ける。 「アイツらさ、元同級生」 「え、マジ?全然そんなふうには見えなかった」 「あっちは気付いてなかったしこっちはシカトしてたもん」 「それ……やっぱアレ?お前だけ落ちたから気まずいとか?」 「まあね……」 「気にするこたねえよ、一浪二浪なんてよくある話じゃん」 八尋は言いにくそうに口を結んでは曲げる。 「……大学生って馬鹿なんだな」 「え」 「俺だけ受験におちて勝手においてかれた気になってたけど……馬鹿さ加減は変わんねーじゃん。そう考えたらこんな時なのにちょっとだけスッとした。ざまーみろ」 「……屈折してんな青少年」 「どうも」 「まあ……アイツらの気持ちもわかんなくはねーから。こんなシチュに直面したらだれだってパニクる」 「死亡フラグ踏んでさ」 「そんだけ会いたいヤツがいたのかも」 思ったままを口に出す。 八尋が物問いたげな流し目をくれ、俺は頬をかく。 「フラグ踏み倒してまっしぐらに逃げ出したんだ。ゾンビをちぎってはなげ、大事なヤツんとこ飛んでこうとしたのかも」 「自分可愛さにしか見えなかったけど」 大学生連中と八尋はあんまり親しくなかったらしく、さっきから辛辣だ。 「まあ……それならそれでいいんじゃね?せっかく生まれてきたんだから生き汚くてなんぼだ。変に悟ったふりしてスカしてるヤツよかよっぽど生きてるって感じがする」 「……嫌味かよ」 「ぶーたれんな、個人の感想だ」 親、恋人、友達。 アイツらにもほっとけないだれかがいたのかもしれない。 俺はよく知らない。知る由もない。 「俺はいのちだいじにのコマンドを選択して連中はがんがんいこうぜを選んだ。そんだけの違いだろ」 「……?」 「……あちゃ~このネタ今の子にはわかんねーかそっか」 自分がおっさんだと痛感するのはこんな時だ。ジェネレーションギャップが痛い。 八尋が神妙な目を床に投じ、ぶっきらぼうに訊く。 「……七瀬サンはがんがんいく派に見えっけど」 もっともな疑問に、こちとら肩を竦めて苦笑いするっきゃない。 「ケッコンしてたらそうだろうな。今はプータローの独り身……カミさんと子どもに会いにとびだして、帰ってこなくていいって言われちゃかっこ付かねえ」 「かっこが大事なの?」 「男だかんな」 「奥さんと子どもより?」 痛い所を突かれた。 俺はガキみたいに膝を抱え込んでふてくされる。 「……怖いんだよ。わかれよ」 「……」 俺はもう、アイツらにとって必要な人間じゃない。会いに行っても迷惑がられるだけだ。 それが怖くて血気さかんな大学生に続けなかった。 ゾンビがあふれて終わりも近そうな世界で、でもやっぱり、俺は俺の家族に拒絶されるのにびびってる。 「もうゾンビになるかなりかけてたら?何してる遅いって責められたらまだマシだ、そうしてくれれば救われる。けど……ドアの外の連中みたくなってたら……」 「わかんねーじゃんそんなの」 「電話にでねえ」 「……わかんねーじゃん」 「メールも」 「うだうだ言わずに会いに行けよ」 「お前が止めたんだろ」 「いやまあいま飛び出してかれても困るけど、ほぼ自殺教唆だし」 「行きてえけど死ぬの怖えよ。俺のせいで全部手遅れになってるのを確かめるのも怖え、怖え怖えめちゃくちゃ怖え。だったらこっからでねーほうがマシだ、しばらく食うのにゃ困らねーし安全だ」 「七瀬サンはいいの?」 「知るかよ」 わからない。わかりたくない。本当はどうすればよいのかなんてわかりたくもない。俺がこだわってんのは全部自己保身だ。子供に会いたい、アイツに会いたい、アイツらに会いたい。 でも、俺の顔を見たアイツらが喜ぶ保証がどこにある? ぎゅっと膝を抱え込み、情けない顔を埋める。 「……ゾンビよりいやがられたら立ち直れねえ」 アイツらの元旦那で元父親の甲斐性なしが、ゾンビ以下に落ちぶれた存在じゃないとは言いきれない。 「……アンタの話聞いてると頭から消臭剤ぶっかけたくなってきた」 「だろうな」 八尋がスマホをいじりどっかにかける。彼女だろうか。目が真剣だ。なけなしの大人の分別を発揮してそっとしとく。 「もしもし……香奈?うん、俺は大丈夫。そっちは……腕に怪我?たいしたことないって……転んだだけ?よかった。ああうん、今ファミレス。前に二人でよくきてたとこ。その……気になって電話したんだけど。は?馬鹿泣くなよわかんねーよ。俺の声聞いて安心して?なんだそれ……」 はいはいごちそう様っと。 少し八尋から距離をとる。 八尋はスマホを握り締めて二人の世界にのめりこみ、頬に興奮の朱をのぼらせる。 「うん……うん……大丈夫だって、自衛隊も動いたんだろ。悪い方へ悪い方へ考えるの悪い癖だぞ。どんなウィルスかしんねーけど抗体だってできるだろうし……え?は?ちょっ待……」 八尋が絶句する。雲行きが怪しいぞ?俺は尻で這いずってまた近付く。 「たんま、もう一度。……デキた?デキたってなにが。子ども……?それマジ?え、だって……中に出して大丈夫な日だって言ったじゃん!?おい泣くなよ意味わかんねえ、ちゃんと説明しろ。たしかなんだな?医者に言われた?どうしようって……親御さんに相談は?まず俺に……って。そりゃそうだけど」 おいおいおいおいおい。 「このトシで父親って……俺もお前も予備校生だろ、今ガキ作ってどうす……産みたい?……わかった、その話はあとでゆっくり……は?ちげーよ、逃げてなんかねえって。ただいきなりの事で頭がパンクして……待て、それが原因で最近会ってくれなかったのか。ひとりで思い詰めて……もういい?もういいってなんだよ、こっちはちっともよくねえよ!!」 気付けば店内が静まり返っていた。全員が八尋と彼女の会話に耳を傾けている。サラリーマンは息を呑み、ギャル二人組は軽蔑のまなざしを送り、孫と若夫婦と祖父母はチラチラ目線をおくってくる。 「馬鹿野郎!!」 最後に大声で罵倒し乱暴に通話を切る。肩で息をして怒りをしずめる八尋に、ウェイトレスがおっかなびっくりおしぼりをわたす。 「あの……よければ……」 「ありがとうございます」 礼儀正しく述べておしぼりをひったくり、荒っぽく顔面を吹く。俺はようやく口を開く。 「あー……おめでとう?」 めでたくねえよとその顔色が物語っている。一浪だか二浪だか知らんが、予備校生にゃ重い報告だ。さっきまでの強がりが嘘のように意気消沈し、スマホを投げ出してがっくり落ち込む八尋に同情する。 ひとまずフォローする。 「元気そうだったじゃん、彼女」 「…………」 「腹の子も」 いけね、余計な一言だ。 微妙な沈黙が店内にたれこめる。外ではゾンビが不明瞭にくぐもった音声を放って暴れてる。 さらに数時間が経過した。 そろそろ客の体力と気力もギリギリだ。みんな顔色が悪い。俺も軽口が減って、さっきからムッツリだまりこんでる。スマホは相変わらず沈黙したまま、もうどことも繋がらねぇ。 「籠城が長期戦になるならキッチンの在庫確認してこないと」 「電気もガスもきてない状況で調理できるんですか」 「直に出せる物を優先して……」 弱りはてた店長とウェイトレスが人目を忍んで相談する。 外は黙示録の世界だ。だだっ広い交差点を徘徊するゾンビども、空は不吉に曇って灰色の雲が敷き詰められている。生きてる連中はどこいった、ちゃんと避難したのか? どうかあの雑踏の中にカミさんと子どもがいませんように。 俺は、祈る。 気も狂いそうに祈る。 「あははははははははは、もうおしまいだああああ!俺達みんな仲良く死んでゾンビに生まれ変わるんだああああらりほおおおおお!」 最初にプレッシャーに負けたのはサラリーマンだった。 突如として四人掛けテーブルにとびのって高笑い、ハードな腰付きで踊り出す。なんだコイツ社交ダンス経験者か?あっけにとられる俺をよそに、ギャル二人組がすっくと立ちあがる。 「……メイク直してくる」 だれにともなく告げ、女性用トイレに連れだってひっこむ。 ギャルでも女の子だ。涙と洟水で醜く溶け崩れた顔を人に見られたくないのだろうと哀れになる。 「ねえおかあさん」 「なあにゆうちゃん」 「お外真っ暗だね」 「そうね」 「ゆうちゃん、おうち帰りたい。そろそろカニパンマンはじまるよ」 「カニパンマンはあきらめてちょうだい」 「やだ!カニパンマン見る!」 「おねがいわがまま言わないでゆうちゃん、しずかにして……」 「やだーーーーーー!!」 小さい子が駄々をこね両親と祖父母がおろおろする。 子供が泣いてるのは見過ごせない。俺も一応人の親なのだ。助太刀しようと腰を浮かせかけ、トイレから響く絶叫に立ち竦む。 「なんだ!?」 この際遠慮はいらねえと先を競って女性用トイレになだれこむ。タイルの上にへたりこんで抱き合ったギャルの視線の先、正面の壁の天窓が開け放たれ、ゾンビが上体を突っ込んでる。 「いやーーーーーーーーーーー!!」
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