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ファミリーレストランに盛り塩は似合わない 4(完)
「真理子……」
ねえどうしてそうなの?ちょっとはわたしと真澄のこと考えて。仕事はどれも長続きせず暇さえあればパチスロ通い、三十すぎてそんなんでどうするの?もうちょっとちゃんとしてよ、いい加減大人になってよ。
うざいお説教もいまとなれば懐かしい。
別れた女房の顔が瞼の裏に浮かんでは消え、娘の笑顔にとってかわる。俺のもとから去った妻と子の面影をあざやかに想起、愕然と立ち尽くす。
ゾンビは怖い。死ぬのは怖い。一歩外は地獄だ。窓の外は死人がうろうろしてる、ウィルスが蔓延した世界の終わりだ。
だから?
ここももう安全地帯じゃなくなった。じきにゾンビが殺到する。
「八尋……どうしてもいくのか」
「うん」
「死にてえのか」
「死にたくねえ……ちびりそうに怖えよ。ぶっちゃけちょっともらした」
「それでも?」
「俺には塩がある」
八尋が両手に食塩の瓶を構え、強い眼光で正面を見据える。
「そばにいてやんねーと」
「ガキ孕ませたから」
「それもあるけど……」
八尋の耳には彼女の縋るような声の残響が響いてる。
衝撃の告白の余韻も。
「アイツ怖がりだから……ゾンビ映画、苦手なんだ。なのにゾンビにかじられて終わりじゃあんまりだ。もしゾンビになるとしても、一緒にいてやりゃ少しはマシに終われんだろ」
「すげー自信」
「腐っても彼氏だから」
八尋が泣き笑いに似た笑みを弱々しく浮かべ、きっぱり言い切る。
「だったら、とことん腐りぬいてやる」
彼女のために。
子供のために。
「……それ、お前が噛まれちゃ意味ねーじゃん」
「その時は……まあ、まわりがなんとかしてくれるだろって期待しとく」
「人任せかよ。無責任だなオイ」
「七瀬サンは?家族に会いたくねえの?」
ああ、お前はどうして。
「俺は……アイツに会いたい」
会いたいに決まってんだろ畜生、
「さっきの人みたいに会えずに終わっかもしれねえけど……でもあの人は、最後まであきらめなかった。最後の最後まで好きな人に好きって伝えようとしてた」
そうだ、アレを見て八尋は決心しちまったのだ。自分がいますべきことに気付いちまったのだ。
他の連中も神妙に八尋の言葉に耳を傾けてる。俺はもう、説得の言葉を持たない。八尋のスマホはとっくに切れて、俺のスマホもバッテリーが底を尽きかけてる。
これっきりなんて、いやだ。
「いのちだいじに、がんがんいこうぜ」
全員の視線が俺に集中する。
伝えたいことがある。会いたい人がいる。
明日どころか一秒先がどうなるかわからない荒廃した世界で、それ以外に優先すべきことなんかなにもない。
「!?ちょっアンタなに」
「やめろ、ゾンビが入ってくる!」
率先してバリケードを崩し始めた俺に一同おったまげる。
「俺たちがでたらすぐ塞いでくれ」
「俺『たち』……?」
八尋がぽかんとする。初めて見る表情がこんな時だってのに痛快だ。
「付き合うよ」
「ばっ……かじゃねーの!?」
「絶対死ぬっしょおじさん!」
「おじさんゆーな山姥コンビ」
響チャンとゆゆチャンがヒステリックに喚くのを流し、八尋の手から瓶を奪い取る。
「外に女と子どもがいるのはお前だけじゃねえ」
「…………」
八尋がぱくぱくと口を開け閉め、何か言いたげな顔をするが最後まで言わせない。これは俺が決めたことだ。
「お前、彼女から最後にきたメール覚えてる?」
「え……たしか雨の日に貸した傘はやく返してとか、そんなのだけど」
唐突な問いに面食らう八尋の純情ぶりがおかしく、苦笑い気味にあとを引き取る。
「俺はな……『はやくハンコかえして』だ。たった一言、そんだけ」
「…………」
「えらい違いだろ」
さっきのアイツと。
アレが最後だなんて、あんまりだ。
「アレっきりでおしまいなんていやだ。腐っても死にきれねえ」
トイレの方から濁った呻きと震動が這ってくる。
箒とモップをさしかけてドアを塞いでるが、蝶番の限界が近い。
「どのみちジリ貧、ここでこうしてたってラチあかねえ。電気も切れた、水道もエアコンも止まった、あと何日かすりゃみんな仲良く衰弱死だ。ゾンビもわらわら押し寄せてきやがる」
「だからってそんな、ゾンビの群れに突っ込んでくなんて」
しどろもどろ止めに入る店長にかっきり向き直り、これだけは自信がある、白い歯の輝く笑顔でキメる。
「ファミリーをレスしたまんま死にたくねえ」
「…………」
「それにさ、ファミリーレストランに盛り塩は似合わねえ」
だろ?と一人一人を見回す。
最初に一歩前にでたのは、外回りの途中で寄ったサラリーマン。
憔悴の相に決意の色を浮かべ、胸の前に鞄を持ち直す。
「このお店、外回りの途中によく寄らせてもらいました。エアコンの温度設定がちょうどよくて、清潔で快適で……お気に入りでした」
「……ご愛顧ありがとうございます」
「こちらこそ、長いあいだお世話になりました」
でしたと、わざわざ過去形にした意味を察さないほど鈍感じゃない店長が噛み締めるように感謝を述べるのに、営業ならではの腰の低さで会釈を返す。
「……そろそろ休憩は終わり、仕事の再開です」
「こんな時に……」
「人生一番の大仕事です。今度の取引先は手強いですからね……給料三か月分の手土産を用意しないと」
宝石店まだ開いてるかなと呟く横顔は案外タフだ。
次に歩み出たのは女子高生コンビ。泣き腫らした目をしばたたき、顔を見合わせてこっくり頷く。
「……ARASHIのライブ、行きたいもん」
「スマホがだめならしかたない。じかに会いに行くっきゃない」
「もうやんないかもしんないけどさ」
「もうだめかもしんなけどさ」
「諦めたらそこでライブ終了でしょ」
「告白前に死んだら死にきれなくて腐っちゃうよ、それはいや。どうせならキレイに死にたいもん」
「それにそれにどっかに避難してるメンバーと合流できっかもしんないし!そっからラブに発展しちゃうかもしんないし!ほらアレだ、心理学でゆーなんだっけ……」
「吊り橋効果?」
「そうそれ!」
「リュウが死んでたっていい……いやよくないけど、ゾンビになってたらそれはそれで。一緒にガンガン逝くのも悪くないじゃん?」
「少なくとも、ファミレスで死ぬよかマシ」
「あのおじさんみたいに……さ」
響チャンとゆゆチャンが、お互いの手をぎゅっと握り締める。
老夫婦が同時に踏み出す。
「孫の野球の試合がもうすぐなんですよ」
「たのしみにしてたんですよね、おじいさん」
「おばあさんこそ」
「応援にいってあげなきゃ寂しがる」
「なんだか大変なことになってしまったけど……ゾンビィだって野球はできますよね?」
「息子夫婦と孫が心細い思いをしてたら盛り塩の知恵を教えてあげなきゃいけませんしねえ」
「くたばりぞこないがくたばりはてるのを恐れちゃこの国は回りません」
数珠を巻いた手をしっかりと繋ぎ合い、微笑む。
最後は若夫婦と祖父母の一家だ。両親は何も言わず、祖父母も何も言わず、ゆうちゃんの意見を尊重する。皆の注目を浴びたゆうちゃんはのほほんとした顔で、たった一言……
「ゆうちゃん、おうち帰りたい」
母親にギュッとしがみ付き、懐かしの我が家を思い出してしあわせそうに微笑む。
「パパとママとじーじとばーば……みんながいるの、ゆうちゃんちだもん」
ファミレスはファミリーをレスした奴らが集う場所だとだれかが言った。
それでも。だからこそ。
俺達は塩を装備して、なくしたものを取り返しにいく。
「皆さん……本気ですか?」
「あたぼうよ」
「しかたありませんね」
店長が深々と嘆息、奥へと引っ込んで戸棚をあさって返ってくる。
再び戻ってきてドンと段ボールをテーブルにおく。中にはたんまりと食塩を詰めたビニール袋が。
「食塩の在庫ありったけもってきました」
「店長……!」
「お客さんだけで行かせられません。最後までお付き合いします」
「私も家族が心配ですから」と面映ゆげに付け加える上司に、悩んだ末ウェイトレスも覚悟を決める。
「わた、わたしも……一緒に行きます」
「無理はしなくていいよ」
「いいえ……ラブコメの野望はあっけなく潰えましたけど、店長のことは嫌いじゃないから……バンビーナのウェイトレス代表として地獄の底までお供します」
どさまぎでの思いがけぬ告白に店長は大いに慌て、「え?え?」ときょろきょろする。挙句ウェイトレスに押されてテーブルに接触、ずりおちかけた段ボールを「おおっと!」と支える。
「奥田くん……私には愛する妻子が」
「かまいません!片想いは慣れてます!」
「こんな加齢臭くさい中年にかい……?」
「むしろ年の差萌え!四十路すぎの枯れたおじさんの魅力にぐっときます!」
力強く性癖を主張するウェイトレスを一瞥、「決まったな」と場をまとめる。
帰りたい場所がある。
会いたいヤツがいる。
それなら、ゾンビなんて怖かねえ。
全員手分けして椅子をどかし、食塩の瓶にスクール鞄に銀盆に数珠にフォークにナイフ、武器になりそうなものを装備してスタートラインに並ぶ。
最初は嘆き悲しんでいた客もすっかり立ち直り、毅然と前だけ向く。
「もうすぐおうちよ、ゆうちゃん」
「やったあ!カニパンマンまにあうかな」
「急いで帰ろうな」
「大丈夫、ばーばとじーじもいるから……」
ご機嫌に笑うゆうちゃんに両親が頬ずりし、その若夫婦を祖父母が支える。
「ARASHIのライブ……絶対いく……限定グッズゲット……」
「待っててリュウ……」
女子高生がばっちりメイク直しした顔で抱負を語り、店長とウェイトレスが背中合わせに位置どる。
「ラブコメしたくて入ったけど、おっさんずラブに走るなんて自分でも意外でした。そっち方面もイケたんですね、わたし」
「その……本当にいいのかい?」
「いいんです、片想いで。奥さんと子どもさん一途な店長だからこそ好きになったんです。でもきっと、お客さんを見捨てて自分だけ逃げてたらゲンメツしました」
「…………」
「店長の店長として意識高いトコ、大好きです」
「……バンビーナは愛娘だからね」
彼女にプロポーズを決めた営業マンが、ガラス扉の向こうに口を開ける暗闇を睨み据える。
「サービス残業のブラック企業、炎天下の外回、体育会系のパワハラ上司、消化できずに溶けた有休、一か月に達成しなきゃいけないノルマ、決算中のフリーズに次ぐブルースクリーン…生きてる人間にはなぁ、もう死んだお前らより怖いもんがたくさんあるんだ!営業マンなめるなゾンビども、社畜の意地を見せてやる!!」
そして俺は……
「準備はいいか、八尋」
「オーケー、七瀬サン」
「塩持ったか?」
「そっちは?」
「上等」
八尋がすぅと深呼吸し、痩せ我慢とよぶのも痛々しい汗みずくの笑みを拵える。
自分の子供と彼女に文字通り死ぬ気で会いに行こうとする、勇敢な男の顔だ。
テーブルに放置したコップの氷はすっかり溶けきってぬるい水になってる。
景気付けにそれを飲み干し、無造作に顎を拭く。
「俺、生きて帰れたら就職するんだ」
「奥さんとヨリ戻すのが先だろ」
「ノリわりぃな、お約束だろ」
「じゃあ俺も……生きて帰れたら、香奈とケッコンする」
「俺とお前、あわせて七転び八起きコンビなら無敵だ」
「七回転んで無敵って言えんの?」
「言えてる」
愉快げに吹き出す。八尋も笑ってる。
笑いの余韻を口の端に留め、まなじりを決して前を向く。
「八回目に立ち上がりゃチャラだ」
まずはここを生きて出てからの話だ。
「「逝くぞ!!」」
寄せ集めの仲間が破れかぶれの咆哮を上げ、ゾンビが群がるガラス扉に突進していく。
ファミリーをレスしたままじゃ、ひとは死んでも死にきれない。
ファミリーレストランに盛り塩は似合わねえのだ。
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