第一節「流れることなく在るだけ」

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第一節「流れることなく在るだけ」

 1 「うーん……」  僕は文庫本の置かれている書架の前で唸りながら迷っていた。書店の中でそんな風に迷うようなことは普段はないのだけれども、今回はどうしても決めきれないものがあって、かれこれ三十分はその状態で固まっているのはひどく傍迷惑だとは知っているのだけど。  そんな僕を見かねたのか、店員が近寄って話しかけてきた。 「仁くん、そこまで気になるものがあるなら、両方買ってしまったらいいじゃないの」 「そういう訳にもいかないよ、こっちにだって金の限度はあるんだから」  店員はそんな僕の台詞にそうだろうけどね、と笑う。  久留米書店の二階、小説・漫画本売り場にいる人は少なくないけれど、そもそも店の面積がさほど大きくないので、その大きさに見合った人数と言うだけのこと。  その中で本の整理を続けている店員、久留米包(くるめ・くるみ)がその手を止めていた。  包は同じ学校だった先輩であり、同時に幼い頃からこの店で手伝いをしている中で知り合った馴染みの人だ。最近は僕が店に出向くことも少なくなり、話す機会も減ってはいるものの、こうして立ち話をするくらいには関係している。 「仁くんは今年は受験生なんでしょ? それなのにここに来ていて良いわけ?」 「別に今更だろ。僕はそれなりにやることは出来てるし、別に町を出るわけでもないからな」 「おや、じゃあ陽山高校が志望校なの?」  まあね、と返すと。  包は心底意外そうに僕を見ている。 「何、そこまで驚くことかな?」 「いや、そういう訳じゃないんだけどね……」  言いながら、包が僕と同じところを見ているようだった。書架の一角にある二つのタイトルを見比べて、あー、と納得したように声を上げた。 「仁くん、この作家が好みだものね。後はこの本で迷っているんだ? いい目をしているね、毎回思うけどさ」 「つうかさ、包こそ僕の好みとか把握しきってるだろ、仕入れの段階で必ず一作だけ売れ線じゃないものを入れ込んでくるのってそういうことだろ」 「あれ、知ってたんだ? そうだよ、その本は仁くんに対する売れ線って感じかな」  ライトノベルや一般文芸に限らず、何故かそういうものを一冊だけ仕入れてくるから、そうなのかなとは思っていたけれど。 「言っても、仁くんの好みって複雑だからね。選ぶ方も難しいんだよ」 「それでも、毎月出てくる文庫を大体読み切ってる包の方が凄いとは思うけどね」  それは僕に限らず、大体の人の好みを内包して手広く知識に納める在りようで、そんなことが出来る人はあまり見ない。包という名前が期せずして体を表すような感じだった。 「海奈さんには敵わないよ。思考の範囲が違いすぎるもの。私は単なる小説オタクってだけだし、職業作家とは較べるべくもない」 「母さんは特殊すぎるとは思うけど。あの人は情報を割り切って本を読んでる部分があるし、ストーリーに入り込むって事をしないんだよね」  僕とはその辺りが違っていて、無機質にも思えて。  でも、作り手である以上はそう言った俯瞰の視点も必要だと知っている。 「話してるとそういうのが判るからさ」 「やっぱり、消費者とは持っている考え方が違うんだね。参考になるよ」 「ん? 包も作家を目指すのか?」  どうだろうね? ととぼけられた。そんなことで韜晦されても伏線にも何にもなりはしないのだが……。 「でも、仁くんはそういう道に進みそうな気がするよ」 「そうなのかなあ……正直、何をするのか想像つかないんだよな。将来なんてそんな遠くもない未来なのにさ」  人間の命なんて永くともたかだか百年、その中で何をするべきかが自分の中で定まっていないのだ。考えていないわけではないけれど、選択肢が正反対すぎて迷ってしまう。 「実際、今は何をしているのかな? そこから拡げてみれば良いのに」 「剣術、手裏剣術、弦術、徒手格闘、短剣術、作曲、イラスト、小説、動画製作、あと何だったかな」 「両極端だね、それ。武術と創作に偏ってる」 「しかも一つ一つ方向性が違うから、器用貧乏になりそうなんだよ」  どれもこれも中途半端という在り方だから始末が悪く、このままでは何にもなれないという未来しか見えないのだ。 「欲を張らなきゃいいんじゃないの? どれかを捨てる必要があるでしょ?」 「解ってるさ。それくらいは僕にだって」  無駄な倒置法で濁して(濁せてはいないが)、両手に持った本を見比べる。月の小遣い三千円のうち、半分を書籍に充ててはいるが、それで買えるものは文庫二冊と漫画一冊が限度だった。最近は書籍も値上げされて、それも難しくなってきているのだが。 「こうやって見てると、出版不況ってものをひしひしと感じるな」 「わかる。私もそれは見てて思うもの」  ラノベ一冊六百円オーバーはキツいのだ。 「兄貴がいれば、この売り場管理も少しは楽なんだけど」  包が現在管理している二階売り場は、元々は彼女の兄である久留米銀と二人でやっていたことだったのだけれど。 「銀さん、大学通うために出て行ったんだっけ?」 「うん。扇心堂ってところ。どういう学校なのかは知らないけど」 「無名なのかな」 「新設校なんだよ。学科名も曖昧だし、兄貴が何を感じてそこに行ったのかは聞いてないんだよね」 「……………………」  銀さんはその辺りは慎重な性格だと思っていたから、何も考えずに進路を選んだとは思えないんだけれど。 「まあ、いいんじゃないか? それでも。包は進路はどうしたいんだ? 来年には三年生なんだろうに」  無難なところを選びそうな雰囲気があるけれど、予想がつかない。 「まあ、普通に経営を学べるところかな。それか、国文学科」 「国文学科? それは予想できてたけど、実際どう言うところか判らないんだけどな」 「日本の文学を幅広く扱うところだよ。それこそ古代から現代までね。ほら、書店で働くなら、そういう知識も必要かなって思うんだ」  母に聞けば確実に「要らない」と答えるだろう。しかしあのあらゆる意味でカッ飛んだ人に訊いたところで信用できるかどうかは未知数だ。 「ふうん。僕には縁のなさそうなところだな」 「まあ、仁くんは興味ないもんね……。どっちかって言うと音楽寄りかな?」  そうかも知れない、と返していた。 「でも、音大とかに行こうとは思わないんだよね。前に言ってたことだけど」 「そうだね。音楽は好きだけど、ガチガチに理論で固められると逆に離れそうで怖くなるんだ。イメージかも知れないけど、そこで突っ掛かるのも嫌だし」  最近はDAWにも触れてないからな、と首を傾げる。受験生ともなると趣味に割ける時間も減っていくものだ。 「理論なしで音楽って作れるものなの?」 「そういうのを無視したのがノイズミュージックとかアンビエントなんだけどね。基本的にほぼ全ての音楽は理論的に説明できるよ? 無音だとか叫び声とかを理論的にって言うのは無理でも、要素の揃っている音楽なら説明できるはず」  知らずのうちに使っているだけだよ、僕は。  そう言って、僕がやっていることが大体そうなんじゃないのかとも、思うんだけど。
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