第二節「わたしには見えない手を」

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 いつものように小児科に向かい、順番を待っていると。  見知った顔が並んでいるのだった。 「あ、白羽君だ。また怪我してるね」 「おう、野堀。お前も同じじゃねえの」  そうだけどねと同年代の少年は返してくる。通院やら入院しているうちに知り合った存在は、病院内での事情に精通している変わった人間だった。 「白羽君、この間面白い人を見つけたんだよ」 「面白い人?」  入院している時にPCとプリンタを持ち込んで、一カ月で長編小説を書き上げた逸材だとよくわからないことを言うものだった。 「なんだそりゃあ。そんな芸当ができる奴は珍しいけど」 「ずっと入院はしてたみたいなんだけどね、一応所属は陽山中の筈だよ」  ふうんと首を傾げる。事情のある不登校は珍しくもない。 が、そんな才能のある人物がいるのならば。  僕だって知っていてもおかしくはないのだけれども。 「その人の名前は?」 「百音丘桃。面白い名前でしょ」  ももねおか、もも。全く知らないけれど、少し興味は出てきたような気がする。  へえ、とそこで母が息を漏らした。 「中学生の時期からその速筆ぶりは珍しいな。そのうち世界でも獲れるんじゃないのか」  そんな台詞に野堀は「あはは」と笑う。 「ぼくもそう思う。まあ、ちょっと精神的に不安定だから、何とも言えないけどね」 「精神的に、か。それなら長期入院でもおかしくはないけど……」  僕とは相性悪そうだなあとかなんとなく思う。錯覚だといいけれど。 「妙なことを考えているな。おまえはそういうことなんざ考慮する必要ないだろう? そういう人格だろうに」  断定的に言われた言葉の意味は、よくわからない。 でも言わんとしていることがなんとなく理解できてしまうという矛盾した思考が、脳内で渦巻いていた。  いや、そもそも思考で導いたものでもないことは、身体が知っている。  それは本能に近いものだと。  誰に言われたんだったか。 「…………。まあいいか、とりあえず後で紹介してくれないか?」 「いいよ。馬が合うかどうかは保証できないけどね」 「別にいいよ、そこは自分でどうにかするから」  野堀は楽しそうにしていた。そのうちに診察の順番が来て、待合室から離れていった。 「ふ、」  息を吐いて、椅子に凭れる。何だかひどく眠い。体力が既に相当消費されているようだったけれど、ここで眠るのは気が引けた。  診察というか手当てを終えて、全身に包帯を巻いていたが。僕の回復速度であれば三日もあれば治りきることは解っていた。  まあ、それを前提に軽い治療を施されているので、とっくに知られているのだろうな。  待合室の前で待っていた野堀と合流して、小児科病棟を進んでいく。  病室の並ぶセクションに入ると、消毒液の匂いがいっとう強くなった。慣れたものだ。 「えーと、奥の方なんだよね」  そこまで広い病棟でもないので、すぐに目的の病室に着く。  ノックして、少し待っているとのんびりした声で「どうぞー」と返ってきた。  言われるままに這入っていくと、ベッドの上でキーボードを打っている少女が視界に映る。執筆に集中しているのか、さっきの声は空返事だったようだ。 「桃ちゃん、こっち見なよ」 「……んー? 野堀君か。どうかしたのかなあ」 「いや、前に言ってたでしょ。白羽君のこと。紹介しようかと思ったんでね」  言われた少女は、光の薄い眼をこちらに向けて、ゆらりと首を傾げた。 「……そういえば、そんな話もしていたねえ」 「えーと、君が百音丘さんでいいんだよな?」 「そうですよ。百音丘桃です、貴方が白羽仁さんですよね?」  聞いていたのかな、と野堀の方に視線を送ってから、すぐに戻してそうだと頷く。  桃は「んー、」と値踏みするように僕を観察している。その視線の質が僕の使う観の目に似ているような気がして、しかしそのぼやけた視線が何も見ていないように曖昧だった。 「うん。見た感じは普通の人って感じだけど……その奥に何かとんでもないものを隠しているねえ。野堀君はクリエイター志望といってたけど、そればかりでもないような」  そんなことをあっさりと見抜いてくるとは、流石に単なる小説家志望という訳でもないのだろう。後ろで母が小さく息を吐いたのを聞いた。 「さて、どうだろうね」  それでもとぼけるのが僕だったけれど。  それに対して桃は何を思っただろう。 「……ふうん? そういう返答を。なるほど、面白いですねえ」 「何がだよ。この回答にそんな反応されると、調子狂うな」 「くすくす。ならば、少しは圧倒できましたかね。良いですね、楽しいですね」  笑ってはいるけれど、しかしその感情は見えない。 何を隠しているのかもよく判らないまま、どこか羨むような笑顔だった。 じっとぼくを観察し続け、そのまま数十秒してから。 「身体能力と、精神力。どちらも頭抜けていますね。そいでいて、その奥にある綻びを上手く誤魔化している……。なにか、人には言えないトラウマを抱えていますね?」 「――――」  ぞくりと、肌が粟立つ。一分足らずでそこまで見抜いてくる人物は初めて出会ったような気がする。今まで遭ったことのある人物で、初対面でそれを看破した人物はいなかったはずだが、それらを上回ってくるのには驚かざるを得ない。  それは、ノエルやマリィさんであってもできなかったことだから。 「そうかもね。でも、そんなことを知ってどうするっていうんだ」 「それだけ分かれば充分ですよ。心の痛みを知っている人は、十分信用に値しますから」  そう言って、桃は手招きしてこちらへ来るように示す。  応じて彼女が座っているベッドの横に立てば、そこにはノートPCが置いてあり、横のワゴンには小さめのインクジェットプリンターが置いてある。  ネットには繋がっていない、執筆専用のマシンのようだった。  画面にはワープロソフトが起動してあり、書いている途中の小説らしき文章が表示されている。 「仁さん、貴方は小説は好きですか?」 「読むのは好きだよ。書いたことはないけど、あまり適性があるとは言えないかな」  即答して、そういう人物は多いんじゃないのかな、と付け足す。  読み書きなんて言っても、それを両方できるような適性のある人間はそうそう居ないだろう。  僕には執筆能力はあるとは言えないようだったと、自分で試したときに思ったくらいだから。まあ、そういうことなのだ。 「書いていないというか、書けなかった、という感じでしょうか。そういう人は多いですよねえ」  こんなに楽しいのに、と桃は残念そうだった。  でも、その気持ち自体は解るものなのだ、と言ってみると。 「ですよね。貴方もクリエイターですものね」  目を見れば判別できますよ。そう言って、見上げてくる。光の薄い眼に、興味の色が滲んでいるが、その色はどこを見ているのやら。 「そんな仁さんにお願いをしてもいいですかねえ」 「……。可能なことであれば、大丈夫だけど」  可能も何も、と桃はワゴンの引き出しから紙の束を取り出して手渡してきた。 「読んで感想が欲しいだけですよ。未だ自己満足から抜け出せないでいる私に、一つの評価が欲しいんですから」 「………………。分かった、やってみる、けど。これ、何作くらいあるんだ」 「十五作品くらいです。二年間で書き溜めるならそれくらいでしょう」 「………………一作品に何枚くらい使ってるんだ、これ」  渡された紙束が異様に厚く重い。 「枚数は、平均して四百枚くらいでしょうか。文庫換算で八百ページほどになりますね」  なるほど、読みごたえがありそうだ。  しかし全部A4サイズの紙というのも存在感が凄い。というか前が見えない。  じゃあ、お願いしますね、と言ったきり桃は執筆に戻って視線をこっちには向けなくなる。マイペースな奴だと評価するしかないのか、それとも書くことしか考えていないのか。  どちらにせよ、個人的には面白い奴だと評価するしかないのだけれども。
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