第二節「わたしには見えない手を」

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「うわー、すごい厚みだねー」  家に帰ってきて最初に原稿の束を見た涼の反応がそれだった。  百音丘桃という人物について聞いてみると、学校でのホームルームが同じらしく、知らないことを色々と訊きたいというのだが。 「これを読めばわかるんじゃないかな」  そう返すしかないのだ、残念ながら。 「見る限りはライトノベルとは違う感じだね。もっと重めというか」 「そうだなあ、純文学とも違うし、一般文芸とも寄りつかないというか。混ざり合っているようにも見えるよ」  色々な要素を混ぜ込んだ粘度の高い液体のような。 「喩えると、コーンポタージュみたいな感じ。百音丘さんって、面白そうな人だね」  今までに見たことがないタイプの人間であることは確かだった。僕だって面白いと思うくらいだから。  みんなで読んでみようかと母が提案し、その原稿をリビングのテーブルの上にまとめて置いておく。暇なときに読んでみて、思ったことを脇にあるノートに書きつけるようにしてみた。  まあ、特にいつまでに感想を欲しいとは言われなかったけれど、遅すぎない方が良いだろう。そういうものはバランスが大事にも思える。 「さて」  と、早速一番上の原稿を手に取って、ソファに腰かける。タイトルは『アイオライト』。 「………………………………………………………………………」  用紙を二枚三枚と次々にめくっていく。  濃度の高い文章で構成されていて、実際にはそんな読み飛ばしているわけではないのだけれど、それでも目の動きは止まらずに、情報が次々と脳内で展開されていく。 「…………ん」  ふと眩暈を覚え、視線を原稿から外せば。隣で不思議そうにしている喜漸が「あ、」と声を発した。  どうかしたかと問うと、指を壁にかかっている時計に向ける。  五時二十分。  夕方らしく、太陽が橙に変化し始めているのが見える。 「お腹空いた……」 「…………うん。こっちも疲れてきたけど、ね。んにぃ……」  硬直していた筋肉をほぐすように伸びをして、栞を挟んで置いておいた。  喜漸の隣で同じようにしていた藍樹が興味深そうに僕を見ている。なんだよ、と問えば彼は面白そうにくつくつと笑い始めた。 「仁はなんつーか、集中が深いよな。さっきからニアと断溝が声を掛けてたの、気付かなかったのか?」 「え?」  反対側に居るニアが不機嫌に頬を膨らしているのに気付く。  普通に可愛い。 「どうしたんだよ。そんな顔して」 「別に、いいんだけどね。無視されてるわけでもないから。でも」  トランス状態を心配するのは普通じゃないのかな?  不可解に表情を歪めたまま、そこに不安を混ぜて首を傾げた。  没入しすぎだと言われると否定のしようがないけれど、それは別にVRとかと何ら変わりない感覚なので、今更自分ではどうとも思いはしないのだった。 「そりゃ、悪かったな。でも、こんなことは日常だから」 「ふうん? そんな日常ってあるのかな」  さあ、よくわからない。そう返すしかなかった。  でも、面白いことに熱中するのは悪いことではないと思うけれど。そういうとニアはそうかもね、と懐かしむような表情でどこかを見ていた。 「じゃあ、そろそろ夕飯にするかな」  立ち上がると、痺れていた脚がふらつく。  それを制御して歩いていき、冷蔵庫を開くのだった。 「藍樹はここで食べていくのか?」 「いや、今日は帰るよ。またな」
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