第二節「わたしには見えない手を」

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 3  夕食を終えて、自室のベッドの上で横になっている。傷が痛んで仕方ない故に風呂にも入れないのがキツいところだ。  扇風機に当たりながら、そのまま眠ってしまおうかと瞼を閉じようとしても、まだ眠気はやってくるような時間ではない。痛みには慣れているけれど、しかし感覚が麻痺するようなことはない。  だからこそ慣れてしまったという循環になってしまっているのだが。  していると、ドアがノックされた。  どうぞと応じるとゆっくりとドアが開いて、叶多が姿を見せる。  彼女の不安げな視線にぼんやりとしていると、不意に「だいじょうぶ?」と尋ねられた。 「……うん。別にこのくらいは、平気だし」  ゆっくりと起き上って、それで? と問い返す。  何か用事があって来たのだろうし、無くってもどうせ僕の方から出向いていたから、手間が省けただけの話だった。 「ん……。仁くんがどういう人なのか、知りたくて」  話しておきたいことがあるというより、訊きたいことがある、といった感じだろうか。  ベッドの脇に寄ってきた彼女をなんとなく見上げていると、そわそわとしている。 「椅子にでも座りなよ。立ちっぱなしも疲れるだろ」 「そうだね、ありがとう」  言われるままに机から椅子を持ってきて、そこにちょこんと座る。喜漸ほどではないけれど、叶多もかなり小さい体格をしている。さっき見た限りでは涼よりも小さいくらいだと認識できていたが。  硬めの朱い髪を後ろの方で留めている。ポニーテイルという髪型は珍しくもないので、そこは何も思いはしない。 「……それで、さ。仁君はどうしてワタシをここに連れてきたの?」 「家に連れてきた理由? ……何だろうな」 「…………………………」  じとー、と半眼で不審そうにされる。反射的にとぼけてみせたのがマズかったのだろうが、今更こんな癖を変えられるわけもない。 「別に? 叶多が本当にどうでもいいってんなら、何もしなかったろうけど」 「無関心でいてくれてもいいのに」 「………………阿呆なのか?」  言った直後に真逆の返答をされるのでは、そう言いたくもなる。僕が彼女をどうでもいいとは思っていないからこそ、こうしているという事実を否定しようとするのはいただけない。 「うう、ワタシ。その、迷惑かけるの嫌いだもの。仁くんがどう思ってても、それは」 「別に迷惑じゃないけど。こんなことでいちいち気に病むほうが問題だよ」  お前にしても喜漸にしても、自分を蔑ろにしすぎだと普通に言うと、叶多は哀しそうに俯く。一体どうすればここまで心を折られた状態になるのだろうか、僕には想像ができなかったが。 「仁くんみたいに恵まれてる人にはわからないよ」 「…………それを言われると返す言葉はないけど。それでも言うなら、僕にはお前の生い立ちを理解する気はないよ」 「へ?」  意外そうに叶多は顔を上げる。  分かってもらおうと思っていないのは明白だったけれど、それで僕が逆説的に歩み寄ろうとするのかと思っているのか、意表を突かれたように固まる。 「どうでもいい。それこそ本当に」  意味が無いからな。そう言い切ると、叶多は唖然と僕を見るばかりだ。 「なんだ、僕が叶多じゃなく断溝家に対して手を伸ばすとでも思っていたか?」 「……、それはわからない。でも、喜漸の時は家に出向いたって言ってたよね?」 「切り離すにはその手段が必要だっただけさ。でも、叶多は今ここに居るだろう。それ以上にお前、家に帰っていないと言ったじゃないか」  だったら既に半分以上切れている。僕が手を出すような状況ではないのだと判断したに過ぎない。 「…………」  叶多は黙り込む。不可解そうに眉を寄せて、何かを考えるようにしているままで。  互いに無言のまま、時計の針が回る音を聞いていた。 「んー、うー? じゃあ、仁くんはなんでこういうことをしたのかな?」 「戻ってくるのかよ、最初の問いに」 「全然わからないもの」  まあ、直接は言ってないけれど。でも普通なら適当に都合のいい理解をしてしまうものだと思うのだが。大概、僕のことを少しでも深く知っている人物は良し悪しはあっても自分の内で結論を出すものだった。  お人好しだの偽善者だの、そういう風に言ってくるものだと経験から分かっていたことだが、叶多はそれでも分からないと。  つまり僕の真意を問いただしてきたのだろう。 「…………言わないよ。自分で考えろ」  何故か突き放すような返答をしていた。もう少し他にマシな言いようがあっただろうにどうしてだろう? 「考えたところで、正解かどうかも教えてはくれないんでしょ? そういう言い方をするってことは。だったら考えるだけ無駄だと思うな」 「ぐっ」  痛いところを突かれた。確かにこの言い方では何もかも明かさないだけのアレだ。  そして僕と同じような思考をしているのが見えていた。  その思考に至るのなら、叶多の過去には何かあったのだろうかとも推察できるのだが。  僕と同じように。 「え、何か言った?」 「ん? 似てるなあって思っただけ。意味はないけど」 「そう……。えっと、仁くんは喜漸のことはどう思ってるのかな?」 「は? 喜漸のこと?」  なんだか唐突に話が切り替わった。そんなことを聞いてどうしようというのか。 「友達だよ。まあ、あとは戦友くらいかな」 「戦友……?」  一度共闘したくらいでこういうことを言うのもどうかとは思うものの、しかし事実であることは否定できない。 「…………、…………」  叶多が何かを呟くが、聞こえなかった。  拗ねたような表情が、なんとなく面白く。 「うみゅー」  両手で彼女の頬を引っ張っていた。柔らかい。そのまま小さく円を描くように揉んでから放すと、叶多は顔を一気に赤くしていく。 「何するの……」 「嫌だった? なら謝るけど」 「別に、嫌じゃない、けど。いきなりは駄目だよ」 「そうか、悪いな。何か自動的に動いてた」  どんな作りなの、と半眼で見上げられる。視点は叶多の方が上に来ているはずだったけれど、彼女が常に項垂れるように俯いているものだから、そんな上目遣いになっているのだった。 「ちゃんと真っ直ぐ背筋伸ばしな? 猫背は身体に悪いからさ」 「うん。分かってるけど」 「自信なさそうな言い方もすんな。公園でのあの声量はどうしたんだ?」  あんなのはポーズだよ、と言い返される。分かってはいたけれど。 「…………」  なんとなく癪だったので、叶多の顎を右手で押し上げた。彼女の首に力は入っておらず、簡単に視線が上がって正面から目を合わせる。 「!」  反応が劇的過ぎてこっちがびっくりしたけれど。  叶多の目がぐるぐる回り始める。視線が泳ぐのとは違う感じで、こっちを見たまま思考を混乱させているようだった。 「わ、あわ……仁くん、だから、それは駄目だって……」 「じゃあ、ちゃんと顔を上げなって。湿気た顔してると運が逃げるぜ?」  そうじゃなくて、と言葉をふにゃふにゃしながら言っているが、何を言っているのか理解できない。 「わかったから! 分かった、から。放して……」 「はいよ」  本当に解ったかどうかは怪しいけれど、信用して手を引っ込める。  叶多が何故か疲労しているように息が荒いけれど、その意味はわからない。まあ、その様子を見て何も思わないほど僕は無機質でもないけれど。 「あの、ね。仁くんと喜漸って、付き合ってるとかそういうんじゃないってこと?」 「さっきの質問か。まあそうだな、発端も藍樹が喧嘩売ったのが始まりだし」 「新路くんが? じゃあ、彼と?」  そういう訳でもないよ、と平然と返す。 「藍樹は別に女性に興味が無いし、喜漸も自分のことで手一杯って感じだから。互いに何も思ってないんじゃないか? 剣術士がバスケのプレイヤーに挑んでどうする気なのかもよく知らないし」  何をクロスオーバーさせたいのかも訊いたことはなく、藍樹には惰性で付き合っているようなものだった。 「ふうん……新路くんとはどういう関係?」 「斜向かいの幼馴染さ。小中と同じならそりゃあ長く関係してくるだろ」  家が近いから一緒に居ることが多く、気心の知れた仲だ。互いに遠慮はしていないのだが、彼の恋愛事情には今ひとつわからないところがある。 「女性に興味がないって、本当なの?」 「どうだろ、そういう場面を見たことがないから想像で言ってるだけだし。ただ―――」  十五年も一緒に居て、あいつの性的指向がよくは見えないのが不思議と言えば不思議だった。アセクシャルなようにも見えないけれど。 「男性に興味があるとか、そういうことかな?」  うーん。 「それならそれで解ってもよさそうなものだけど。別に僕は同性愛に偏見は無いから、あいつがどう思おうと構いやしないが」  まあ、僕は普通に女性に興味が向くけれど。  あまりここでする話でもないか、といったん打ち切る。 「それを措いておいて。叶多は僕のことをどういう風に理解しているんだ?」 「えーと。えーと……、無愛想な世話好きって、学校で言われているのを聞いてただけだよ? ホームルーム違うし、よくは知らなかったから」 「そんな言われ方をされていたのか……。知らなかったな」 「今もその印象は変わってないけど。さっきみたいなこと、他の人にもしてるのかな?」 「するわけねえだろ」  即答した。そうすると叶多がきょとんとこちらを見ている。  何を意外そうにしているのかと一瞬わからなかったが、しかし反射的に否定した言葉の意味がそういうことだと理解すると、自然と視線を逸らしていた。  …………失言だ。  無茶苦茶恥ずかしいけれど、言ったことを取り消せるわけもなく。 「んー? 覇久磨さんにはしてそうだなあって思ったけど」 「ニアは確かに近くに居ることは多いけど。僕から触れることはそんなにないかな」  ニアに関してはまだ出遭って二週間程度しか経っていない。少なくとも現代においては詩歌さんが呼び寄せなければ、今ここに居ることはなかったはずだ。 「ふうん。そうなんだね……」  何かを納得したように頷いている。  満足したのかどうか、わからないままに視線を戻すと。 「じゃあ、今度は相談に乗ってくれる?」  そう言って、本題に入ろうと声色を切り替えた。 「いいけれど、少し待ってくれ」  首を傾げる叶多ではなく、部屋の入り口に向かって声を張った。 「そこで聞き耳立ててんのは判ってんだけど? 趣味悪いぞ、涼」 「あうん!」  ドアの向こうでびっくりしたような声を上げていた。それから数秒して、バツが悪そうにドアを開いていた妹に、視線を向けると。 「いやあ、なんか心配でさー。なんでかわかんないけど……」  一体何をどう心配すれば、盗聴に及ぶのか、意味がわからない。  涼の後ろで完全に息を殺している喜漸とは、鍛え方が違うようで。まだ不完全な状態で隠し事をするのには向いてはいないだろう。 「涼、ちゃん? 心配とか……言ってた割には、楽しそうに、してた……」 「きーちゃん、そんなことないよー」  あだ名が付いていた。なかなかに気安い奴だ。 「ったく、いいけどさ。ちょっと面倒事になりそうだから、お前たちも聞いておいた方がいいんじゃないか?」 「そのようだね。兄ちゃんがその面倒事をどう処理するのかで、みんなの行動も決まってくるとは思うけどさ」  さすがに理解しきっているようだった。涼とはもう何年も同じ戦線を張っているようなものだし、今更こんなことを言う必要もないのだろう。 「その前に、だよ? 兄ちゃん。魔術師と相対する技術がないって言われたみたいじゃない。そこら辺はどうする気なの?」 「ん。魔術師に対する術は魔術師に習うしかないだろう?」  喜漸や叶多のような付け焼刃の術師ではなく、もっと生粋の術師でないと相手にも出来ないだろう。そう告げると、涼はその意図を完全に察したらしく。 「ミナ姉を呼び戻すの? それとも、兄ちゃんの言ってるあの人?」 「ノエルは無理だよ。あの人は魔法使いだ、しかも世界中を放浪しているから現在地を把握できないし。今は無理を言ってでもミナに手ほどきを受けるしかないだろ」  ジグは色々忙しそうで、何かを頼めるような状況でもないらしいし。  だからと言って、一度蹴った勧誘に今更乗っかるのも違う気がした。 「ルーメアに入学したいってことじゃないんだね」 「まあね」  僕の思考を読んでいるのか、それとも顔に出ているのか。叶多がそういう風に問いかけてきた。 「くそ、やっぱりマリィさんの誘いを断ったのは悪手だったのかな。今更そんなことをどうとも思いはしないけど、可能性はしかし考慮すべきだったか」 「兄ちゃん? 十歳の段階でそれを考えられていたなら、ちょっと普通じゃないよ」  いまさら何を、と言いかけて。  なんだかんだで、今の僕は普通の範疇に入っているんだな、と思うのだ。 「で、そのミナって人は、誰なの?」  叶多は知らないらしいけれど、しかし喜漸が知っているらしい。 「桐雨の跡継ぎ……、あの家も、白羽家と同じ、稀人……だから。ただ、血統的に……魔術師であり続ける、そういう……家の一人」 「稀人。ワタシにはよくわからないけど、そういう種類があるってことだね?」 「そうだな。僕にはあまり違いは感じられないけど、異能者程度には特殊だろう」  少なくとも、異常性ではさほど変わりはしないし。それ以上に国の上層にまで入り込んでいる状態では珍しいどころか有名になりすぎている感すらある。 「桐雨忌菜。年齢的には礼吐くんと同じ十六歳の筈だ」  まあ、それはいいけれど。  本題に戻ろう、と叶多に対して話をするよう促した。  叶多が頷いて。それを隣で見ていた喜漸と涼が何故か僕の座っているベッドに飛び込んでいる。  気にはしなかった。 「ええと、ワタシには妹がいるんだよね。まだ小さい子なんだけれど、一年前から呪術の修行を始めているの」 「呪術師か」 「まだ、術式と言えるものは覚えていないけれどね。それでも、保持する霊力量だけでワタシを圧倒できるくらいには、強くって」  叶多の言っていた、妹の資質ってものが、そういう意味であるのならば。  絶望的な才能を前にした無力感は、知り得ない感覚ではないはずだ。 「その時から、ワタシは家では見向きもされなくなったよ。妹は、まだそれを理解してないから、普通に接してくるけれど」 「なるほど。それで?」 「…………仁くん、呪術師の修行って、どういうものか知っている?」  いや、と首を振った。 「そっか。まあ、ひたすら魂に負荷をかけて霊力を増強するのは普通なんだけど、それをするためには絶え間なく戦闘を続けなくちゃいけないんだよね」  相手をしているのは父親なんだけど、相手になるわけがないって知っているのに、それを引き延ばすのは。 「可哀想だなって。その修行の所為で、在華の全身が傷だらけなんだ」 「…………。アリカ、っていうのが名前なんだな? その子、いくつなんだ?」 「この前、五歳になったばかりだよ」 「……………………………」  なるほど、と頷くこともできなかった。 「そうか、それで。叶多はそれについてはどうしたいんだ?」 「……。放っておくわけには、いかないよ。あれでは早々に死んでしまいそうで」  怖いんだ。  心底から畏れるように、叶多は眉をひそめた。  わかるような感覚で、しかし理解できない心情も混じっていて。  そして、放っておけないと思う感覚は、僕と同じだ。 「わかったよ。その子を家から引き抜いてしまおう。……ただ、その時に何ができるかはわからないし、その結果として何が起こるのかも想像できない今は動けないな」  叶多としてはすぐにでも動きたいのだろうけれど、それをするには不確定な情報が多すぎる。特に呪術師や魔術師の家は色々としがらみも多く、稀人である白羽家であってもそれは例外とは言い切れないのだ。 「じゃあ、いつ?」 「僕の意志だけでは決められない。親に相談してみよう」
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