第一節「流れることなく在るだけ」

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 帰り道、散歩しているニアを見かけたけれど、声は掛けなかった。そのまま道路の反対側ですれ違おうとした時、視線がこっちに向いたのを知覚すると同時に。 「仁くん!」  車道を高飛びで越えて、僕の目の前に着地してみせた。  木の葉よりも深い緑色の髪を揺らしているが、その前髪が何故か自身の左眼を隠している。それを以前問うてみたら、あからさまにはぐらかされたのを憶えているのだが。 「今帰りかな。随分と時間をかけてたみたいだけど」 「んー。ちょっと迷ってたから。それと店員と話し込んでてさ」 「店員さんと? 知り合いなの?」 「知り合いというか、小さい頃から書店には通ってたからな。学校の先輩でもあるし」  ほーう、と興味深そうにしている。なかなか感情表現が大きい奴だ。眠たげで無愛想な感じの眼をしているから、勘違いしそうになるけれど。なかなかに激しい性質の女性のようなのだ。 「で? ニアはどこに向かおうとしてたんだ?」 「別に行き先はないよ。町内を見て回ってるだけだから」  元々、旅が趣味だからね。そう言って咥えている棒付きの飴を噛み砕く。同時に視線が僕の右手の買い物袋に向いていた。 「どんな本買ったの?」 「小説と漫画。今日は追加で参考書もかな」  ふうん、と感心したように息を吐く。 「そういえば、身内にも小説家がいたかな。仁くんが知ってるかどうかは判らないけど」 「うん? なんて名前?」 「確か、篠島庄一。何度かペンネームは変えてるけどね」 「……………………。いや、その人はミステリー作家の中じゃ結構有名だろ、僕だって知ってるよ」  有名な作品は読んだこともあるし、確かドラマ化もされていたはずだ。 「本名は覇久磨累っていうのにね。なんか原型残さないくらいに変えるから、こっちが驚いちゃってさ」  まあ、本名の方がインパクトはあるけれど。 「名乗りは本人の自由だからね……」 「まあそうだよね。律儀に本名を名乗ってるわたしが変なのかな」 「そんなこともないだろ。憶えやすくていいんじゃないかな」  偽名で生活する方が怪しいだけだからなとなんとなく諭してから、僕は帰ろうと足を進めようとした。しただけで、目の前のニアは動かなかったけれど。 「どうかしたか?」 「…………ん、ちょっとね。なんか、目眩がしてさ」 「帰ろうよ。体調が悪いんなら外に出る必要もないだろうに」  そうじゃないんだよ、とニアは否定してきた。体調が悪いわけでないなら、なんだというのか。 「仁くんの近くに居ると、なんだかバランスが崩れるんだ」 「……………………それは」  おそらく、僕の持つ霊力に中てられているか酔っているのだと思う。そもそも、霊力を持たない真祖が人間の中で生活すること自体、無茶苦茶なことなのだと、彼女自身が判っているはずだ。 「暑い」「夏だからね」「そういうことじゃなくて」「冗談だよ」  僕の持つ、というか内包する朱色がここまで影響を及ぼすとなると、あまり近寄らない方がいい気さえしてくる。 「…………………………」 「仕方ないな。背負うから、こっち来なよ」 「…………うん」  それでも関わりを断とうとは思えない。こういう儚げなひとを放っておけないのは僕のサガなのだと理解するしかなかった。包もそれを理解した上で、断溝の話を振ってきたのかも知れなかった。  背負うと、以前と同じように軽い。普段は涼が少し前に使っていた古着を着ているが、それでも少し大きいくらいだという。 「やっぱり、ここが落ち着くなあ」 「人の背中で落ち着くなよ。変な奴だな」 「仁くんはそういう感覚ってないの? ほら、小さい子が父親に背負われている時とか」 「父さんはそういうことしてくれなかったかな。覚えがないんだよ」 「忘れてるだけじゃないの?」 「そうだろうけど、別にいいんじゃないか?」  いいのかなあ、とニアは不思議そうにしている。声が眠そうなのは、目眩が治まらないからだろう。 「仁くんってさ」 「ん?」  不意に声のピッチが五ヘルツくらい下がった。 「神憑じゃないかな? そんな風に見える」  耳元で囁く声に、咎める響きはなく。単純に気付いたから言ってみた、といった感じだった。でもそれは、見事に僕の構成要素の一つを言い当てているのだった。 「まあそうだね。僕の魂に焔の神が定着してる」 「やっぱり、熱いわけだよ」 「判るもんなんだな、そういうの」 「霊力がないからかな。逆に敏感になるのかもね」  霊力の影響を受けやすいからこそ、ということなのか。単に僕が気配を隠しきれていないだけなのかも知れないけれど。 「昔の知り合いに同じような人が居たんだけど、その人は完全にそれを隠し通してみせていたっけ。あれには驚いたよ、普通なら神や鬼の霊力は隠しようがないんだから」 「そうなのか?」  そうだよ、と笑う。表情は見えない。 「そんな大きな力が、人間一人の器に入りきるわけがないもの。その彼女も仁くんと同じくらいの大きさの器だったから、わたしなら気付くはずだよ」 「その人って、一体」 「これに関しては仁くんは知らないはずだよ。鬼キサラ。こんな名前、聞いたことがあれば相当なオカルトマニアだよ」  きさらぎ、きさら。確かに知らない名前だ。 「もう居ないけどね。二千年以上前の人だから」 「…………そっか」  歩いていくうちに家の近所まで戻ってくる。話をしながらゆるゆる歩いていれば、角を曲がった瞬間に藍樹が正面に現れた。 「よう」「…………ん、おう」「間があったな」「その絵面で少し驚いただけだよ。…………ふっ」「笑ってんじゃねえか」「いやー今日も平和だな」「誤魔化すな」「事実だろうが」「そうだろうけど」  くそ、なんだか凄く恥ずかしいような。 「てか、ニアちゃん眠ってんじゃないの?」 「あれ?」 「ふにゃ、うにぃ……」  狸寝入りにも見える。まあ、さっきから具合が悪そうだし無理に起こすこともあるまい。 「まあいいか。藍樹は何をしているんだ?」 「ん。別に何も」  ちょっと外に出てみただけだよ、と戻された。 「ふうん。そろそろストレス溜まってきたか」 「う」  図星のようだった。本当にこいつは勉強嫌いだよなあと考えていると、仕方ないだろうと言っている。言い訳がましいとは思わないけれど、見苦しいとは思ってしまう。 「どうにも集中が保たなくてね。改善しようとは思うんだけどさ」 「おや、前向きだな」 「まあ、高校くらいは出ておきたいだろ? 目的を果たすのに対して言い訳はしないよ」 「そうか、良い傾向だな」 「…………………………」  何故かこちらを無言で見てくる。何か気に障ったのだろうか。 「お前を真似ただけだぜ、仁」 「僕を? 何で?」  どこを? どうやって?  全く判らなかった。 「解らないならいいさ、自覚がないのならいいことなんだからさ」 「何で同じようなことを同じ日に二人に言われなきゃならんのだ」  しかも違う意味で。  くはは、と藍樹が笑う。 「まあ、そんな日もあるだろ。人間が何日生きられると思ってるんだ」 「…………………………」  本当にこういう日があるものなのだなあと思ってしまうのは、確率でしかないということなのか。それともそういう風に仕向けられているのか。偶然でも作為でも、結果として同じであれば勘繰る意味など無いけれども。 「まあ、そうだろうな」 「あ、明後日学校行くから付き合ってくんねえか?」 「学校に? 何かあったっけ?」 「何も無いよ。音壊に喧嘩売りに行くだけだから」 「……………………。お前、まだやる気なのか」  当たり前さと返してきた。何がだと反駁しかけて止めておく。 「ああいう動きも学べるところがあるからさ。仁のやり方とは違う方向性で伸ばしたいものがあるんだよ」  剣道でフットワークって何に使うんだろう? 逆なら応用が利くのは経験で解っているんだけれど。ただ、純粋に平面的に移動する剣道と立体的な動きの混ざるバスケットではやはり得られても活かせないのが普通だと思うんだけどな……。 「兄ちゃん、おかえり。遅かったね」 「ただいま。なんか色々あったよ……」  リビングでダレている涼が足をぷらぷらさせているその隣にニアを下ろす。寝入ってしまっているというか、本当に酔ってしまっているようだった。 「何買ってきたの? 見せて見せて」 「はいよ。夕飯の準備してくるから、好きにしてていいよ」 「おっけー」  いつもの通りのやり取りで日常を繰り返していく。  それでも、何も変わりない中で変化を繰り返しているのは目に見えているのだ。
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