第一節「流れることなく在るだけ」

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 2 「よっし、いくぞ」 「…………………………」  学校の体育館の真ん中で、新路藍樹と音壊喜漸が向き合っている。ボールは喜漸が持っている状態で、僕は壁際でその様子を眺めていた。 「…………ん」  喜漸はちらりと僕の方を見た。合図をしろということらしい。  仕方ないと右手で指を鳴らしてみた。  ぱちん、と音が鳴ると同時に喜漸が動き出す。 「――――っ!」  音も立てずに藍樹の後方に回り込んでいる。ただ、ボールはその手の中にはない。  喜漸の体躯の小ささに比例して手も小さく、保持するのが難しいと聞いたことがあるのだけれど、それを彼女はボールに触れる時間を極端に短くすることで対応していた。  そして、驚異的な身体能力で圧倒するのが彼女の在り方で、少なくともそこらのプレイヤーでは相対することも出来ないのが現在の認識だ。  そこに対して喧嘩を売りに行く藍樹はどうかしているとしか思えないけれど、それでも。 「っおあ!」  後ろを見ないままの摺り足でそのステップに追いすがる。剣術のステップは効率がよくないと自分では思うけれど、近距離特有の小回りの良さは嫌がらせには役立つとは思える。 「いや、それでも」  ボールが既に空中に放り出されているのを、藍樹は気付かない。遠くで見ている僕が見ているからこそ理解できる動きだった。 「っ、」  息を詰めて、喜漸が跳び上がる。同時に藍樹も跳ぶけれど、高さが違いすぎていた。  リングの上に来ていたボールを喜漸の手が、がしゃりと叩き込む。  一人アリウープというわけのわからない技を繰り出してくる、その異様さには既に慣れてしまっているけれど、本当は慣れるべきではないだろう。  まあ、藍樹が満足するならそれでいいとは思うけどさ。 「はは、相変わらず迅いな。さ、次だ」  中央に戻ることはせず、反対側のゴールを目指してその場から始めるようだ。流石にこの距離があれば一気に決められることはないだろうとは推測できるが、常識から外れたプレイヤーにそれが当て嵌まるかは怪しいところだった。  その二人を他のバスケ部員達が楽しげに観戦しているのも、慣れきっているというか定期的なイベントになってしまっているが、藍樹は気にする様子もない。付き合わされる僕はなんだか居心地が悪いけれど。 「っははは!」 「…………、」  藍樹は笑い、喜漸は無表情。それも変わりない。  ドリブルを続ける喜漸が今度は速度を上げようとして、その進路を藍樹が塞ぐ。体躯の大きさの差は変えようがなく、近距離での切り返しは不可能になっていた。コート中央でにらみ合いになる。  この対戦は一年前から見ていたけれど、喜漸はロングレンジのシュートが苦手なようだった。逆にアリウープやダンクシュートは積極的に決めていくから、前へ出るスタイルのプレイヤーだ。  ポジションはフォワードだと聞いていたけれど、しかし二種類あったような、なかったような? 専門ではないのでよく判らない。 「っ、っ……!」  二秒間の静止の後、喜漸はバックステップと同時に前方の藍樹に向かってボールを投げる。  それを判断しかねるも受け止めた瞬間、瞬時に前方に飛び出してきた彼女の右手がボールを叩き落とす。  ばちん! と破裂音に似た甲高い音がコートに響く。  スティールなのか? それは。しかしそれはどう見ても単なるダブルドリブルの回避でしかないことは解ってしまう。  弾かれたボールを掬い上げた喜漸がそれを藍樹の股を抜いてさらに前進する。 「ちっ、まだだ!」  藍樹は振り返りつつ左脚を踏み切る。  それでも喜漸のダッシュが迅い。追いつけるかは微妙だ。 「…………というか、なんで藍樹は相手の得意分野を譲るんだろうな」 「それはあれだ。相手の全力に打ち勝たなきゃ意味ないからだろ」  うん? と顔を上げれば、同級の男子バスケ部長が同じように座って藍樹を見ていた。 「マゾ過ぎるだろ、それ」 「被虐趣味というか、向上心じゃねえの?」 「それは分かるけれど、やり方の問題だ。何も勝ち目のない勝負を挑む方法をとる必要もないだろうに」 「…………いや、おまえも同じ事してるだろ?」 「ん?」  どういうことだろう。負ける前提の勝負を仕掛けたことはないはずだけど。 「頻繁に入院する奴が何言ってんだよ。そういうことだよ」 「完全に違うよ。命を懸けた戦闘で負けたことはまず無いからね」  負けた時は死んだ時だから。そう言ってみたら相手は黙ってしまった。  そうしているうちに、喜漸がダンクシュートを決めていた。しかもブロックに出た藍樹の体躯を強引に弾き飛ばす荒業まで見せてくれる。実際の試合でどう判定されるかは分からないけれど、少なくとも剣道においては弾き飛ばすのは普通にあることなので、藍樹には良い経験といったところだろう。
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