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「はあ、はあ、はあ…………」
さらに三時間後。ひたすらに一騎打ちを続けた結果、当然というか喜漸が流石に参ってしまっていた。持久力すら僕より上という点で驚異的という他ない。
僕だってそこそこには鍛えているし、大概の相手には負ける気はないのだけど。
それでもそれを上回る体力を見せられて余裕でいられるほどに達観しきってはいない。
どちらも藍樹のように倒れはしないけれど、立っているのがキツいくらいだった。
「ふう、もう無理だよ」
「…………うん。私も……限界」
無感情だった。疲労だけを訴えるだけの台詞では意思は読めない。それを読み取れる人物なんて居るのだろうかと考えても、答えなど見えはしない。
周囲で見ている生徒達が、いつの間にか結構な大人数になっていた。一体何がそんなに面白いのか分からないままに、辺りを見回すと何やら話し声が聞こえる。
あれほどの人材が無所属なのはおかしいという声だった。
無所属ではないんだけどね、正確には。
全く、なんで付き添いで来た僕が喜漸との対戦に挑まなければならなかったのか、その理由がよく判らない。
かすむ視界を瞬きして堪えていると、右手を引っ張られる。
喜漸が、普段と同じ半眼で僕を見上げている。その視線になんだろうかと思っていると、手首を掴まれて思いきり引っ張られる。頭の位置が下がり、喜漸と同じ高さになる。
「おい、なんだってんだ」
「いいから……耳を、貸して」
言われるままに聴覚を向ければ、喜漸は沈黙を混ぜた声で囁く。
「君を、狙う動きが……加速、してる。…………萌崎君が、動いてるのを、聞いて……いる?」
「舎人が? 最近会ってないから、よく判らないんだよな」
「そ、か。……でも、気をつけた方が……いい。彼が、君の周辺の、情報を……切断してる」
「ん、……ん? それは」
つまり、僕が断溝の情報を探れないのはそういうことなのか?
「敵がいる。…………憶えて、おいて」
「分かった。肝に銘じておくよ」
無機質な声でも、囁き声が心地良いと感じてしまうのは、どういうフェティシズムだろうか、そんなことを考えても分かりはしなかった。
「またね」
と、離れていこうとした喜漸に対して、僕はその頭をがしりと掴んで止めた。
「ちょっと待ってくれるかな」
「…………?」
不思議そうな感情を見せたような気がする喜漸の視線を受けて、近くに来ていた藍樹にも視線を送り。
「喜漸、昼飯ってどうしてる?」
「……………………。いいたくない」
「あ、そう。僕らと何か食べに行かないか? ここまで付き合わせた詫びっていうかさ」
「ん…………? 別に、気を遣わなくても……いい」
別に気を遣ってるわけじゃないよ。そう返していた。
「僕の自己満足だから。五時間動きっぱなしで疲れたろうに、強がることはないさ」
「…………………………」
思案しているようだった。
「…………なんか、僕に背負われる奴多くないか」
「いいんじゃないか、そんな重くもないだろ」
帰り道。何故か喜漸が僕の背に負われて進んでいた。動けないほどに疲れていたのならば仕方ないことだし、他にも理由は存在しているわけで。
「私の、見た目……勘違いされやすい、から。二人も、無意味に……詰られたくはない、でしょ」
自覚があるらしい。身長が小学生くらいしかない女子を連れて歩く中三男子など確実に曲解される。それは嫌なものだし、この今の状況ですら、それは怪しいものだ。
「背負う意味はあるのかな」
「ん……兄妹っぽいかな、と」
見た目が似てないから説得力が無いと思う。喜漸は日本人らしくない金髪碧眼だけれど、僕は眼も髪もダークブラウンなのだから。血縁を感じる見てくれではない事は確かだった。
「顔も似てないしなあ」
「無理が……あった、かな」
「無理でも押し通すしかないけどね」
「…………潔い。なるほど…………」
何か呟いているようだったけれど、僕には聞こえなかった。だから敢えて反応はしないでいた。
「不審がられるんじゃあ、店で食うのは無理そうじゃねえ?」
「尤もだけどな…………。じゃあどうするんだ、僕が作るとか?」
「自分で解答出したじゃないか、今」
だよね、と息を吐いて。背中の喜漸に何を食べたいかを訊いてみる。
「うどん」
「なんて作り甲斐の無いものを選ぶんだ……。冷凍の買ってきて終わりだし、夏場に食いたいか?」
「うそ、だよ。……そうだね、鶏肉がいい……かな」
「そうか、鶏肉ね。もう、夕食のメニューになりそうだなあ」
「ていうか五時だぜ、今」
そうだった。マジで五時間動きっぱなしって堪えるはずなのにな。なんで三人とも案外元気なんだろう。
「いいや、みんなで晩飯にしよう。藍樹、買い物頼まれてくれないか」
「いいぜ、何を買えばいいんだ?」
「今、メモ帳に纏めて送るから」
端末を操作しながら、喜漸を背負ったまま家路につく。メモを送って、その後に母にメッセージを送っておく。どうせ仕事中なのだから気にするだけ無駄ではあるけれど。
「喜漸は親とかに連絡しなくていいのか?」
「…………電話、持ってない」
まあ、珍しくはないか。
「じゃあ、これ使いなよ」
と、自分の端末を渡しても首を振ってくる。
「家にも、電話…………ないの」
「……………………。不便すぎないか? どうやって連絡とるんだよ」
「……郵便?」
でなければ直接出向くしかないのか。
「そこまで困窮してるってんなら、舎人にでも保護して貰えばいいだろ。もしくは生活保護とかさ」
「親が、嫌だって……。頑なで」
「今更そんなことでどうとも思わないのにな、この時代に」
何を気にしているのか、そして何故その状況に至ったのか、問う気も掘り下げる気もない。喜漸が望まないのならば、不用意に口を出すことはしないのだ。
「うう」微かに息を吐いて、喜漸は少しだけ強く、僕にしがみついた。
「本当は、私じゃない。叶多を、助けて欲しいのに」
どうしてだろう。
僕が勘案している断溝もそうだけれど。それよりも、僕は目の前で困っている喜漸に何かしようと思っているのに。
それでも喜漸は、断溝叶多を助けて欲しいと言っている。
「そんなことを言っている時点で、お前には断溝を心配する資格はないだろ」
つい、そんな強い言葉を浴びせてしまう。
反応はない。けれど、その手が微かに熱を帯びている。
「自分のことも大事にできない奴が他人を救おうなんて百年早い―――。昔、僕にそう言った奴がいたよ。僕も同じように思うんだけどね」
「でも、叶多の方が」
「較べるな。相対的な評価をするな。大事なのはお前がどう思っているか、それだけなんだよ。…………なあ、そうだろう? 砌」
目の前で、冷たい視線を送ってくる少女に問うてみた。
「…………。まあ、そうだね。萌崎の言うこととほぼ同じ事を白羽は言っているけど。音壊さんはそれをまるで理解していない様子だね」
「どうして」
「ここに居るのかって? 白羽に警告するためだよ」
多分、さっき喜漸から聞いたことと同じ内容だとは思うけれど。
「どうにも、陽山の周辺で白羽のことを嗅ぎ回っている集団が居るらしい。萌崎から聞いた話だがね。その本質がどこにあるのかは知らないけれど、守護者である君に危害を加える可能性は高いそうだ。実際、周辺地域で一般人が通り魔に襲われる事件が頻発しているらしいからな」
気をつけなさい、白羽仁。
言いながら背を向けて、歩き出していく。数歩歩いたところで思い出したように立ち止まって、僅かに顔を振り向かせて。
「音壊さん。君は他者を思いやれるけれど、その所為で自分を殺しすぎている。無感情で無感動なのは勝手だけれど、それで困る人が居ることを努々忘れないようにね」
今度こそ、砌は視界からゆっくりと消えていく。
「仁くん。……困るの? 私のせいで」
「どうだろうな。僕は別に今のままでもいいけれど。他の人が困るんじゃないのか?」
言うて僕だって真意が読めないから困ることはあるんだけどな。そう言ってみたら、既に家に着いていた。
玄関に上がっても、喜漸は降りようとしない。まさかしがみついたまま眠るわけもないだろうし、と思っていると。
小さく、嫌だよと囁いていた。
どちらにせよ、三人が萌崎家と関わりを持っていることは明らかになっているし、管理チームの呪術師がある程度見えているけれど。しかし全員というわけでもないのだろう。
身近な学生がそんな職に就いているのには驚くしかないのだが。
藍樹は頼んだ鶏胸肉を鶏もも肉に間違えて買ってきてくれた。それはまあ、いいけれど。ササミとかだったら困ってしまうところだった。
随分と大所帯になってしまって、いろいろと人を招く事も増えてきた。僕としては別に嫌がることでもないのだけど、こんな事をしていると食費が嵩むのは明らかで、控えた方が良いのかなとは思う。
しかし父も母も特に咎めたりもせずに一緒になって食事している様子を見るに、困ることでもないのだろう。
ならば、僕が何かを考えても無意味か、と諦め気味に思考を破棄するのだった。
チキンバターソテーは美味しかったよ、うん。
味噌汁が合うのかどうかは別の問題だとして。
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