第一節「流れることなく在るだけ」

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 今回は話し合いをするだけなので、特に刀を持っていく必要は無かった。 「仁くん、どうして……」 「ん? 何が」  喜漸が珍しく不安そうに見上げてくる。普段から感情を見せない彼女の有り様からすれば判別は難しいけれど、それでもにじみ出てくるそれを、今の僕は見逃したりはしなかった。 「無関係な人の、事情に…………無理に入り込むのは、何故」 「別に無関係でもないだろ。僕が藍樹と一緒に喧嘩売った時に、関わりは出来てたんだ」  それにさ、と続ける。 「本当に無関係でも、僕は無関心ではいられないんだよ。お節介なんて、焼いて当然のことだろうに」 「…………。だから、君は。……叶多を気にしてるの?」 「そうだけど、それだけじゃない。別に気にすることでもないけど、そうだな……」 「単に仁は、断溝叶多を女性として意識しているだけのようにも見えるがね」 「…………。恋?」  よく判らない。話したこともない女子にそんな感情を持つのは、はっきりとそう言えることなのかどうか、巧く整理するようなことが出来ないのだ。  女性というか、断溝も管理チームに関わっていると言うから、その絡みで意識しているのかも知れないけれど。その場合は到底、恋と言える感情ではないだろう。 「でも、叶多の見た目は好みなんだろう、おまえとしては」 「母さんも案外、そういうところ気にするんだな」 「くはは、つうかおまえの好みなんて透けて見えるんだよ。私は断溝とは薄くない縁があるから、なんとなく言えるんだがな」  …………え? 「詳しくは言わないが。そもそも、高校の同級生にそこと繋がりのある友人がいてね、その繋がりで知り合っているんだ」  積島というんだ、知っているだろう。と、僕ではなく喜漸に問いかけている。 「……除霊師の、古い家。現時点で、……その血を継いでいるのは、三人、いる」 「そうだな。みんな立派な大人だから、それぞれの道で生きている」 「母さんの繋がりって一体…………」 「何度も言っているだろう、普通科高校だよ。比較的、私自身は劣等生でね」 「嘘吐け、柳廉に進学したくせに」  そこでもギリギリだったのさ、と嘯いたのか真剣なのか解らない口調で返してくる。往来で妙な会話に発展しているが、それに目を向ける人々が奇異の目で見てくるのは仕方のないことなのかもしれなかった。 「まあ、その時に叶多の母親と出会っている。その時はまだ積島姓だったがね、当然のように」  無愛想だが、可愛い奴だったよとあっさりと口にする。 「どういう人なんだ、その母親ってのは」 「火焔系の呪術師だ。髪も眼も朱色をしていてね、まあ不自然でもないんだけどな」 「…………叶多も、同じ」 「じゃあ断溝は母親に似ているってことか、聞く限り、性格は似てなさそうだけど」  断溝は常に薄く笑っているような表情を見せている。それが何かの誤魔化しだったとしても、それを今の時点で暴くのは違う気もした。 「っと、この辺りの筈なんだがな」  言われて視線を戻すと、そこは僕らの住む住宅地とは違う、古びたアパートの林立する別の団地だ。マップを確認すると、学校の北側にあるようだ。 「ここら辺は来たことないな。糸識さんとかも近寄らなさそうだ」 「そうだな。あの子はこういう場所は嫌っているだろうな」  スラムとは違うけれど、どうにも寂れた印象のある場所を好む奴はいるまい。で、と喜漸の方を見ると、無表情に前を見ているのみだった。  その顔色に薄い青色が混じっているのに気付いて、声を掛けると「だいじょうぶ」と返ってくる。平然とはしていないけれど、体調を崩すほどに揺らいでいるわけでもなさそうだった。 「こっち……、この建物の、二階」  駐車場もない、土壁のアパート。町が持っている住宅の方がまだ上等なんじゃないのかというくらいに古くなっている、骨董品のような建物だった。 「ここって、家賃いくらなんだ?」 「月に二万円。水道光熱費込みで」  どうやって生活しているんだ、とは訊かなかった。というか今から解ることに対して訊く必要も無いのだった。  一段ごとにぎしぎしと軋む階段を上って、部屋の前に着く。鍵を回して扉を開けば、すぐに居間と寝室を兼用した部屋に繋がっていた。 「……………………」  喜漸は何も言わずに這入っていく。僕らは流石にそんな真似は出来なかったけれど。  僕は、部屋の奥で盛り上がっている布団の塊に目を遣って。そこに微弱な人間の気配を感じていた。 「……………………」  部屋には色々とゴミが散らかっている。特に布団の周辺に。それ以外の、喜漸が主に使っているであろうスペースは割と綺麗に片付いていた。中古のローテーブルにスタンドと筆記用具が置いてあり、その横に学校の教材が積まれている。 「で、どうするんだ? 喜漸」 「…………これは、寝てるから……叩き起こす」  ほう、と息をつく。どうやるのかは訊かないで、喜漸の行動を見守ることにした。  六畳間の隅で眠っている親に対して、喜漸は容赦の無い踏みつけで起こすことにしたらしい。 「ぶぎゅう!」  そんな、何かが潰れるような奇怪な音を上げて、その人は身を起こした。 「何をするんだよう、喜漸! そういう事するなと毎回……あれ?」  文句を言っている途中で僕らに気付いたらしく、ひいと引きつった声を漏らして、もう一度布団にくるまってしまった。  勿論そんなことを喜漸が容認するわけもなく、被っている毛布を強引に引き剥がす。抵抗されるけれど、単純な腕力は喜漸の方が圧倒的に上だった。 「…………憐、そこを退いて……。あぶないから」  よく見ると、母親に抱き枕のようにしがみつかれている小さな子供が、縋るように喜漸を見ている。というか、この状態でよく窒息しないな……。 「全く、こういう奴は唾棄すべきだと思うんだがなあ」  母が心底呆れたように、そう言っていた。ひどく冷たい声音なのは、抱ける感情がネガティヴなものだからだろうが。  というか、部屋全体が臭うんだが、どうしたものか。これで普段の喜漸に影響がないというなら、どれだけの苦労を彼女はしているのだろうか? 「仁、喜漸。少し下がれ」  母の言うままに二歩ほど後退し、何をするのかを問う前に。  ばしゃあ、と何やら青色の液体を二人にぶちまけていた。 「ぐああああああああああああああああ!」 「何それ?」 「消臭剤だよ。かなり希釈してはいるが、十分に効果はあるだろうさ」 「布団がびしょ濡れだけど」 「丁度良いだろう。除菌作用もあるから、洗濯の手間も省けるさ」  なかなか効率的に容赦の無い母親だ。まあいいけれど。 「まあ、夏だし。風邪も引かないだろうけれどさ」
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