普通にしかなれない少女の話

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 どういう原理で記憶を見せているのか、私に二つの記憶を与えた猫は満足そうにごろごろした。エジプトの有名な石像みたいに座ると、退屈そうな声色を出す。 「で、どうだ?俺の力が分かったか?」  退屈そうなのに、ピンと張った髭がぴくぴくと震えた気がした。 「いや、まあ……それなりには」 「そうか。ま、そういう事だ」 「というか、それよりも前に……その、頭が」 「ああ、もうお前らはホント、そこばっか気にするよな。やかましくてしょうがない。おい、じゃあ聞くがお前の身体はなんでそうなってんだ?」  猫は私の周りをぐるぐると歩きまわり、時折爪をひっこめた猫の手で私の身体を変な手つきで撫でてくる。ひらひらした髪の毛の所だけやたらと長い間撫でていた。 「なんでって、それが、普通だから?」 「ほら、そんなもんだろ。普通なんて言葉で括るぐらい曖昧なんだよ。生まれた時からその身体その器だったんだ。生存戦略との合理性はあってもそれ以上の理由なんてない」 「はぁ」 「要するに、そんな事聞くんじゃねぇ、知るか」  最後に髪の毛をふわふわさせてそれを猫の手で何往復か追ってから、裏返しの猫は私の正面に戻ってきた。  座ると地面に付いてしまう私の長い髪を触る。さらさらして、ちょっとじっとりした。 「さて、改めて聞くが、資格のある者よ。やり直したい日はあるか?」 「…………………………」  答えあぐねているうちに黙りこくってしまった。それをどう取ったか、猫はなーおと鳴いてみせる。  やり直したい日――。  後悔しない日はない。  私の大切なたった一人の親友を傷つけてしまったあの日。あの日に戻れて、あの子にもっといい言葉をかけてやれたら、どんなに幸せだろう。 ――でも、私は、さっき。 「……ほお、これはこれは。面白い事になるなぁ」 「………?」  唐突に――現れた時からその話まで、何もかも唐突な猫が、また唐突に――笑みを浮かべた。  何事かと身構える私に、猫はこう言った。 「やっぱり、やめだ。やめやめ。お前には今聞いたってしょうがない」 「えっ、ええっ?」 「なんだ?やり直したい日があるのか?」 「い、いや……なんで、そんな急に」 「安心しろ。今は、まだ俺が可能性の糸を手繰り寄せる時じゃないって言ったんだ。またすぐに来るさ。ああ、きっとすぐにな、何度も」  それだけ言うと、猫はまた足を天に向けて、宙に浮かんだ。  そのまま私に尻尾を向けてどこかへ消えていく。 「あ、そうだ」  と、猫は何とはなしに私を振り返って言うのだ。 「願ったのは蛍風姫瑠だ。他の誰でもなく、な」  じゃあな、と残すと裏返しの猫は今度こそ本当に虚空に消え去った。  猫がいなくなると、境内の静けさは思い出したようにあたりを包み込み、黒いビニールテープみたいな色の空が落とす闇を助長するみたいだ。  普段ならいくら暗くったって何とも思わないその場所が、なんとなく怖くなった私は、足早に階段を下りる。 「……何だったんだろう」  階段を下りながら、木の葉の間をすり抜けてくる涼しい夜風に背中を押されると、裏返しの猫との会話がだんだん現実味を失っていくようだ。本当に、気でもおかしくなってしまったのかと腕を抱く私に、猫の与えた記憶の不気味なくらいの鮮明さが訴える。  現実だ。紛れもない、現実だ。  闇で隠れていく束の間の風変わりな現実は、私の脳裏に引っ付いて離れなかった。
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