6日目〈宣戦布告〉

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 逃走用のルートは師匠に頼んで任せてある。  今回はただのオタカラとは訳が違い、それが人である以上今までのように一人で行う逃亡劇はさすがに無理だ。助けがないと警察を振り解けない。  だけれどどうやら、師匠はリビングで富永栄司と一緒に事情聴取を受けていた。「ワタシニホンゴワカラナイ」なんて自分が外国籍なのを良いことに見え見えの嘘を吐く師匠に少し頭を抱えてしまいながら。  警察が介入した以上、富永栄司と師匠の認識の中には「異能力関連であることを悟らせない」があるわけで、片方が何も知らないフリをしてもう片方が嘘の説明をするのは正しいと見るべきか……些か、関係性を見ると苦渋そうで察してあげた。 「彼は……そう、あまり公には言えないんですが外国有名企業の社長さんで、今日だって外せない会合の席でした。わざわざご足労頂いたのに、貴方達の突入のせいで台無しだ」  富永栄司がペラペラと嘘をつく。最後の一言に至っては被害者ヅラが上手すぎて少しイラッとしてしまいつつ。 「大丈夫だよキャシー」  耳打ちするような言葉を、手を繋いでいる見えないキャシーへと送る。ぎゅっと優しく応えるような返事が、手元に送られた。  さてどうするか。  手前玄関はすでに複数のパトカーが止まり、予告状の指定時刻に備えて警備の準備を始めている。リビング奥の裏口は数名の警官が張っており、警部補とリサは師匠と富永栄司に詰問中。その他四名ほどの警官が異変がないかをチェックするため、室内の写真撮影や確認をすでに行っていた。  警察官に変装したトオルは「んんっ」と咳払いして溶け込むように努力する。  あまり不自然にならないようにキャシーと手を繋いで歩きながら。  師匠と少し視線が合った。どうやらすぐに見抜かれたようだ、ぱっと目を逸らし更に用心深く警官として振る舞う。  と。 「ちょっとあんた、手伝ってくれる?」  ――まさかのリサからのご指名だ。 「は、はい」  応じる以外に道はない。キャシーには少し残酷だけど、パッと手を離して目立たないジェスチャーでそこに留まるようにお願いし、隠せない緊張感を持ちながらリサへと近づくが。 「こども? 子供なんていたか?」 「うおっ、いつのまに」  ――後方からそんな声が聞こえて、トオルはすぐに振り向いた。  不安そうに白いワンピースをぎゅっと握りしめて、その両目の碧を揺さぶりながらこちらを見つめるキャシーと目があった。 「……っ!」  ハッとした。前を向く。  富永栄司もキャシーに気づいていた。  血の気がさぁーっと引いていく。  師匠と目があった。動くことはできない。ぴし、と身体が凍り付いてしまうような危機的状況に、目の前にいたリサは、そんなトオルの横を素通りして真後ろのキャシーへと向かっていけば。 「あらかわいいお嬢さん。ごめんなさい、大勢がいて驚かせてしまっているわね。――富永さん、彼女のお部屋は二階ですか? あたしが安全を持って連れて行きますよ」 「ああ、でしたらワタシも同行します」  ――どくん。どくん。と心臓が鳴る。  不安そうなキャシーの手を取り、いつもの剣幕とは違う優しそうな声音で保護しようとするリサを横目に見ながら、確かな足取りで続いてトオルの横を素通りしていく富永栄司に。 「いえ!」  トオルは強く声を上げた。 「僕が、彼女を連れて行きましょう。巡査は警部補に付いていてあげてください。……僕が、やります」  止まぬ動悸の緊張感。品定めするような目つきが面白がるように細められ、富永栄司が続いて「それではいきましょうか」と続ける。  不安そうな眼でトオルのことをじっと見つめるキャシーに、どこか震えた乾いた声音で「大丈夫だよ」と投げかけながら、彼女の手を取って階段へと歩き出した。背後を富永栄司が歩き出す。 「あちら、ですか」 「ええ。曲がって突き当たりの部屋がワタシの娘の部屋です」  そこにあるのは子供部屋。もちろんキャシーのいた隠し部屋ではなく、まさしくこんな時のために用意されている偽装部屋。紛いものの、作り物。  ガチャリと扉を開けて入る。ファンシーなベッド。本棚。カゴから溢れたいくつものおもちゃ。学習机。閉まりきったカーテンはきらきらと。  ただそこには、例えば写真だとか。似顔絵だとか。歴史を語るものはない。  絆を語るものはない。  部屋に入り、わざとらしくも彼女を部屋の中心に座らせ、落ち着かせる。  扉を閉めた富永栄司が、ゆっくりと鍵を閉めたことに気づいた。 「大丈夫だから」 「うん……」  言い聞かせる。なかば自分自身へと。  初めて経験する緊張感。初めて経験する冷や汗に、ゆっくりとトオルは立ち上がり、ドアを前にして陣取る富永栄司を見据えた。  彼は懐から取り出した質の良さそうな黒手袋を嵌めていた。 「お前がネズミだな?」  ――息が止まる。 「私の後ろに隠れてて……」  震える声音で、役を演じることもなく、それでもキャシーを庇うように前に立った。  心臓がうるさい。緊張にどうにかなってしまいそうだ。  この場を切り出すいくつの手段が、思考停止に思いつけない。 「その子を返せ」  富永栄司が一歩踏み込んだ。 「イヤだ」  キャシーを庇いながらトオルが及び腰に威勢を放つ。  こちらはすでにタンスを背にして下がることができやしない。 「返せ」  一歩。 「……イヤ」  二歩。 「はやく」  三歩。 「ダメだ!」  目の前。ぱしっとトオルの腕が掴まれた。  捻り上げるように持ち上げられ、ぎりぎりと強く握りしめられて「つっ」と痛みを押し殺しながら見上げる。  すっと富永栄司の右手がトオルの首へ伸びた。 「っ!?」  持ち上げられていた手を振り解いた。間髪なく左手も添えるようにトオルの首へ。  戸惑う脳にがんっと背中をタンスに打ち付けられ、その上の小物がじゃらっと揺れる。小さな悲鳴を上げたキャシーが部屋の隅に逃れたのを尻目に、ずり落ちるように尻をついた。  富永栄司はなおも押さえつけるように首を握り、手袋の擦れる鈍い音を出す。 「ッあ……!」  もがく。もがく。体格差がありすぎる。男性のがっちりとした肉体に、トオルの華奢な体躯では覆すことが叶わない。  足をジタバタとさせ、体を捻ったりして、ついに体勢は仰向けに。馬乗りに乗られ、少し滲んだ視界で見た富永栄司のその顔は、醜い殺意に染まっていて。 「きゃ、しー……!」  フー、フーと鼻息荒い呼吸。ひどい興奮状態でトオルの首を締め上げようとする栄司に、トオルが全力を出して手首を握り、離させようとするも、むずかしい。  床に押し付けられ、馬乗りになられては逃れることも叶わない状況。  上を仰ぎ見たときに、キャシーの姿が見えなくて、彼女は透明化しているのだと思い、最後の力で呼びかける。  と。 「なっ……くそ!」  彼女の勇気の行動だった。  トオルの首を絞める栄司へ体当たりし、右手を抱えて離させようと力いっぱい引っ張る少女。  富永栄司は突然の彼女の出現と妨害に苛立つような声を上げ、抵抗していたが煩わしくなると――裏拳でキャシーの頬を殴るのだ。 「きゃあ!」 「チッ!」  とたん吹き返すような酸素にトオルは身体を丸めながら咳き込んでいると、富永栄司は頬を打たれて崩れ込んだキャシーへと向かっていっていた。 「キャシー……!」  向かわなきゃ。呼びかけるが、身体の末端がピリピリとして動けない。  富永栄司はキャシーに馬乗りになると、尻ポケットにしまっていた小さな箱を取り出した。 「はぁー……はぁー……」  消耗したような呼吸音。その中でも富永栄司のその眼はトオルとキャシーへの深い敵意に染め上がり、パタンと栄司は箱を開いた。  取り出した注射器は、見覚えのあるものだった。
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