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「ま、まって、だめ、やめて……!」
「フー、フー、フー……!」
――叶わない。止めに入れない。ジタバタとするキャシーは、トオルよりも力がなくて、どうすることもできやしない。
片手で簡単に押さえつけられ、注射器を握った右手で彼女の肩口を見据える栄司は。
迷うことなく、プスッ。と刺した。
「あぐっぅ……!」
「は、はは、はははは……!」
「富永っ、栄司ぃぃ……!」
キャシー。キャシー。
口では恨めしく奴の名を呼びながら、心の中では彼女を心配して、でも体はまだうまく動かせなくて。
適合するか、死ぬかの二択。
だが適合するわけなんてない!
あんな設備も整ってないような空間で調合された試験投与の一回目。そもそも彼女の扱いは被験体でなく〝実験体〟なのだから!
「キャシー! キャシー……!」
呼びかける。呼びかけ続ける。
富永栄司は投与の完了に力を使い果たし、乾いた笑いでくらりと壁を背にして息をついていた。
すぐにトオルは彼女のもとへ向かい、抱き抱え、様子を観察する。
「キャシー!」
息が荒い。肩口はどこか蝕まれたように血管を浮かべ、彼女の能力がまるで暴走するかのように彼女の存在をブラし続ける。
「キャシー、起きて、キャシー!」
呼びかけ続けて。しばらくすると、キャシーは呻くようにも少しずつ、けれども弱々しく応じてくれた。
「わ、わたし、死んでしまうの……?」
「そっ、そんなことない! 大丈夫だよ、私なら、師匠なら! きっと、なんとかできるから! 待ってて、寝ちゃだめだ!」
「うん……うん。わたしは貴方を信じてるわ、トオル。貴方の手が、暖かくて、気持ちいいの。王子さまみたい……きっとわたしが眠ってしまっても、きっと貴方なら目覚めさせてくれるのね」
「キャシー……」
だめだ、だめだ、それだけはだめだ。どこか気弱に、いまにでも消えてしまいそうな様子でトオルに優しい笑みを向けるキャシーに、ついついトオルは涙ぐんでしまいながら。
「だいじょうぶ、大丈夫よ、トオル。ねえ聞いて?」
「なに……?」
「ここにいるわたしみたいな子は、わたしだけじゃないの」
――初めて聞いたそんな話に、愕然とした。
「もっと奥に、もっと下に、誰かの声を聞いた気がする。ねえ、わたしの王子さま。その子たちも、わたしみたいに救って、外の世界を、もういちど……」
「一緒に、やろうよ……」
「ふふふっ、できたら楽しいわね。わたし、怪盗には、相棒ってものがつきものだって、知ったの。わたし、貴方の相棒になりたいわ。そしたら二人で楽しいのよ、きっと」
「やりたい、やりたいよ、やろう……? だから今は、喋らないで。絶対救うから」
「そう、ふふ、ええ。でもね、ちょっと、眠たくなってしまったから」
「キャシー」
「ここからのトオルの活躍を、見れなくてちょっと寂しいけれど、あとでお話聞かせてね。きっとわたしは目を覚ますわ。楽しいお話は大好きですもの」
「うん……。楽しみにしててね」
彼女が眠る。
――さあ、逃亡劇の始まりだ。
「ワタシは逃さないぞ、地の果てまでも」
「私たちは貴方の行いを許さない。異能力者を人と見ない敵へ」
これは富永栄司。引いては異能力者を人として扱わない人たちへの、宣戦布告に他ならない。
「……クク、そうか。貴様も、異能力者か。ふははっ」
「うるさい」
キャシーの言った他の子の存在や、富永栄司の悪行の全容も気になるが、追求できる暇がない。
カクンと手刀の一打で意識を落とした富永栄司を傍に寄せ、ガムテープで口を縛り、ベッドの足と彼の胴体をロープで結んで拘束して。
可哀想ながら変装の元とした男性もトイレで同じ目に合っている。
――外は警察だらけだ。師匠はそろそろ姿をくらまして先回りしといてくれるだろう。一度アリバイと時間を作るために警官としての姿を正し、適当な言葉で問題ないことを伝え、警察が真相に気づくのを遅らせよう。
予告状まで十分を切った。
どうせなら警察には、これから始まるんじゃないかと思わせるような物語の始まりを。
抱きかかえたキャシーの浅い呼吸とその熱を感じながら脱出を図る。
屋根の上に登ると、ちょうど中継ヘリコプターのライトがトオルの姿を強く照らした。パトランプが明るく夜を染め上げて、トオルの姿を確認するやドドドドドーっと警察官が突入する。
「現れたな怪盗! 今日こそ絶対逃さんぞ!」
相変わらずの警部補だ。
大きく深呼吸。
さあ、いつもみたいに。いつも以上に。
怪盗・桐谷トオルとして続けてきた、その決め台詞を。
きっとキャシーがいつかこの話を聞いたときに、楽しんでくれるような物語としての一頁へとするために。
怪盗はエンターテインメントだ。
師匠の言葉が強くトオルの胸に反芻する。
「すぅー」
さあ。コミカルに演じよう。
それが怪盗としての本質で、きっとキャシーを目覚めさせる物語へとなるはずだから。
「こーんにーちはー! 怪盗・桐谷トオルのおっ出ましですよー!」
――それから。
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