サウダージ

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サウダージ

 間もなく日付の変わる駅前は、タクシーを待つ人たちが並んでいる以外は人気が少なかった。そろそろ夏も終わる真夜中は日中の熱が少し冷まされて、アルコールの回った体には心地よかった。  タクシー乗り場の方を見ていた俺は、寄り掛かっていた体重がずれ始めたのに気がついて、慌てて腕を掴んだ。 「本郷さん、ちゃんと歩いて下さい」  こちらにすっかり体重を預けているせいで肩にかかった腕が重い。首元に当たる息は熱く、アルコールの匂いがふわりと鼻腔に届いた。 「弱いくせに飲まないでください。ほらしっかり」 「ごめん、無理」  呟いたかと思うと肩から腕が滑り落ちてしゃがみ込む。慌てる間もなく排水溝に向かって洗いざらい吐き出してしまった。小刻みに震えている背中を、俺はゆっくりとさする。 「本当に大丈夫ですか?」 「大丈夫では、ないかもな」 「どこかで水でも買ってきましょうか?」  駅の売店はもう閉まってしまったかもしれないが、近くに自販機があったはずだ。けれど本郷さんは下を向いたまま首を振った。咳き込んだ後、ようやく顔を上げた。ひとしきり吐き出したのか上げられた顔は青白いけれどすっきりとしている。眉をひそめてはいるが、青白い顔に薄く笑みを刷いて見せた。 「ごめんな、綾瀬」  人のよさそうなその笑顔に俺は密かに弱かった。一回りほど違うけれど気さくで話しやすく、それでいて頼りになる上司である本郷さんは社内での信頼も厚い。かくいう俺も新人の頃は散々お世話になった。社会人も三年目を迎え、ようやく戦力に数えられるまでになったのは本郷さんのおかげだと思っている。 「もう終電は行っちゃいましたね。タクシー呼びますか?」 「タクシーは、怒られる…」  奥さんに、だろう。人のいい本郷さんは家でもそんなふうなのかと思うと微笑ましい。 ぶつぶつと呟いていた本郷さんが顔を上げる。 「綾瀬、泊めて」  俺のマンションはここから近くて、徒歩で15分ほどだった。だからこそ飲み会でぐだぐだになるまで飲まされてしまった本郷さんを駅まで送ることになってしまったのだけど。 「俺はいいですけど、いいんですか?」 「家に電話する」  覚束ない手でもそもそと鞄から携帯電話を取り出す上司を見てため息を吐く。幸い明日は土曜なのでいいかと思ったところで本郷さんが電話を切った。 「お世話になります」  やっぱり俺はその笑顔に弱い、と思う。
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