サウダージ

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 喫煙所で煙を吐き出す本郷さんを気付けば凝視していて、苦々しい思いで目をそらした。本郷さんがどう思っているのかは分からなかったが、いつも通りのようでいて仕事中に目が合うことはなかった。  今は煙草を挟んでいる骨張った長い指が俺に触れていたことが今では現実の出来事じゃないように思えるのに、あの指輪の冷たさだけがはっきりと残っている。 「なあ、今週の金曜って暇?」  喫煙所から目をそらしながら紙コップのコーヒーに口を付けたところに背中を叩かれてこぼれそうになる。 「やめてくださいよ。こぼすところだったじゃないですか」  悪い悪いと少しも悪びれずに笑ったのは同じ部署の先輩である松嶋さんだった。どうせまた飲み会の誘いだろうと思っていると、案の定隣にいた田中さんが身を乗り出した。 「なんすか松嶋さん、また合コンすか」 「そうだよ悪いか。別にお前には聞いてねえよ。俺が誘ってんのは綾瀬なの」 「俺あんまりそういうのは得意じゃないんで。俺じゃなくて田中さんでいいじゃないですか」 「浩は見栄えがしない」 「よし表へ出ろ」  松嶋さんと田中さんは同期で、二人とも可愛げのない俺に何かと絡んでくれるありがたい先輩でもある。 「はいはい。ともかく金曜はあけとけよ。浩、お前もな」 「さすが松嶋!気張っていくぞ綾瀬!」  鼻唄でも歌いだしそうな田中さんの横で俺はため息を吐く。飲み会の類が苦手で会社の飲み会も最低限しか参加しなかった。正直気乗りはしていない。けれどあの熱を忘れるためにはちょうどいいのかもしれない、と思う。あの日、哀しげに笑って部屋を出ていったあの人を忘れるためには。  ぼんやりと喫煙所の方を見ると本郷さんと視線が合わさる。けれどそれは瞬きほどの時間で、すぐにそらされてしまったことに悲しみが浮かんで、消えた。
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