わたしが泣いた理由と、彼が口をつぐんだ理由

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 わたしがはじめて泣いたのは、子供の頃。近所の大きな病院に行った時のことだった。それまで涙なんて出たことがなかったのに、ポロリ、ポロリと流れてきて、止まらなくなったのだ。  それから散発的に涙に悩まされることになった。特にここ最近はたくさん涙が出てきた。ふつうの人だったら、涙が出るなんて当たり前のことかもしれないが、わたしにとってはそうでなかった。なぜなら、本来わたしは涙など流さない生き物だった。  わたしはとある惑星からきた生命体だ。その星の名はホワイトホエイルという。地球から遠く離れた場所にあり、文明の発達した星だった。しかし、今では存在しない。戦争で星ごと消滅してしまったらしい。わたしの父は、延々と続く戦争に嫌気がさし、わたしが赤ん坊の頃に地球に逃げてきたのだ。  父は地球に到着後すぐに亡くなり、わたしは成人するまでの間、ムトーという人間のもとで暮らした。ムトーはわたしに『ユリ』という名を与え、英才教育を施した。彼は宇宙航空研究開発機構で働く科学者だった。わたしはみるみる知識を吸収し、科学者として働くようになった。  わたしの見た目は地球人とはかけ離れていたが、ほかの生き物に変態する能力がそなわっていたため、地球人の姿で暮らした。別に正体を隠すためではない。そもそも、わたしが宇宙人であることは、父が地球にやってきた時点で、世界中に知れ渡っていた。それでもなぜ地球人の姿で暮らしていたかというと、わたしの本来の姿には発声器官がなく、変態しなければ会話ができないのだ。  しかし、いくら地球人と一緒の見た目になったところで、わたしは地球人ではないのだ。そのために、よくわからない病気に悩まされることも多かった。ここ最近悩まされている一番の症状は、わけもなく涙が出てくることだ。  わたしの目は地球人とは違って、感情の浮き沈みで涙が出るような機能はない。なぜ涙が出るのか、まったく不明だ。  もしかした気にすることのない症状なのかもしれないが、わたしは大きな仕事を任せられており、不安の芽は早急につぶしておく必要があった。  わたしが任せられている仕事、それは人類の命運をかけた一大プロジェクトだ。  現在、人類は存亡の危機に瀕していた。地球へ巨大な隕石の衝突が予測されており、地上の生命体はすべて死滅してしまう可能性が高い。  もちろん、人類もただ手をこまねいていたわけではない。回避手段として、二つの方策が考えられた。  一つは核シェルターへの避難だ。しかし、世界中の核シェルターを合わせても、人類全体を収容できることなどできない。  そこでもう一つの方策が考えられた。大量の人間を巨大なタイムマシンに乗せて、隕石の影響がなくなるまでの間、過去に避難する計画だ。  もちろん、問題は山のようにあった。  タイムマシンは、時空の割れ目(これはタイムホールと呼ばれている)を利用して過去に行く仕組みなのだが、行った先がどの時代のどの場所につながっているかわからず、危険がともなう。また、現在の人間が過去に行った場合、タイムパラドクスが起こる懸念もある。その対策として、タイムマシン本体と乗客全員に特殊な塗料を塗布し、過去の人間からは一切視認できないようにした。しかし、この方法では見えないようになるだけであり、これだけでタイムパラドクスを回避できるのか、懸念は残った。  しかし、核シェルターの収容人数に上限がある以上、多少の危険を犯してもタイムマシンに頼るほかなく、わたしは総責任者としてこの計画をすすめていたのだった。  わたしの仕事には替えがきかない。体調には細心の注意を払わなければならない。たとえささいな症状であっても、放置するわけにはいかなかった。  そこでわたしは、ムトーに涙の症状を相談に行くことにした。ムトーは核シェルター計画の総責任者でもあるため、お互いの計画について情報交換する意味でも、行く必要があった。
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