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PM 5:00
「あれ、三浦さん急いでますね」
「そう急いでるからそれは明日にしてね」
「マジすか」
今まさに僕に渡そうとしている書類をはっきりと断ると樋川くんが困った顔をした。いつもならそんな顔をされると受け取ってしまう僕も今日はほだされたりはしない。今日は急いでるからだ。
「これ明日までなんすけど」
「じゃあ明日でいいね」
「でも明日が期限だから今日終わるとありがたいカンジなんすけど……」
コートを着てすでにマフラーまで巻いて立っている僕を樋川くんが上目遣いに見上げる。これがなかなか手強い。すごく仕事ができる後輩、ではない樋川くんは、こうやって先輩や上司にうまいことやるのだ。僕をはじめ雨宮主任もよくやられている。
けれど今日の僕の意志は堅い。
「頑張ってね」
軽く返すとさすがに諦めたのか椅子の背もたれにどっと倒れこんだ。
「今日なんなんすか。デートか!」
「秘密です」
鞄に入っている携帯電話を取り出してさっきも見たメールをもう一度開く。
「なーににやついてんすか。やらしーなー」
「き、気のせいです。はやく終わらせなさい僕は帰るから」
携帯電話を鞄に入れようとして丁寧に包装された包みが見える。また口元が弛みそうになって慌てて力を入れる。背中に、今度美大の女の子紹介してもらってくださいね、と声をかけられながらオフィスを出た。
足早にイルミネーションに彩られたビル街を歩く。少し乱れた息が白く夜に消えていく。すれ違う人たちもどこか浮き足立っていて、なおのこと足を速め駅に向かう。
ホームに立っても僕は忙しなく腕時計と線路の向こうを何度も交互に見る。
早く、早く。
近くに立っている恋人たちが寄り添って笑い合っている。一緒に携帯電話を覗き込んでいるらしい。
早く君に会いたい。
電車がホームに入ってくると、扉が開くと同時に僕は飛び込むように乗る。座っても落ち着かないからドアの前に立った。
「早く早く」
小さく口の中で呟くと、聞こえたのか近くに座っている女の子がちらりとこちらを見る。僕は恥ずかしくて知らないふりをした。
見慣れた風景がもうすぐだと教えてくれる。あとすこし。あの踏み切りをこえたら。
「…――駅―」
着信が鳴って慌てて携帯電話を開くとメールが届いていて、結局口元が弛んでしまった。
スピードを落としながら電車が小さな駅のホームに入る。ドアが開くと同時に僕は電車を降りて、一番に改札を出た。そして迎えた笑顔に手を上げる。
「おかえりなさい」
フリースをはおっただけの寒そうな恰好に僕は心配になる。国分くんのことだから10分以上は待っていたはず。きっと体が冷えきっている。部屋に入ったらまずは熱いコーヒーを淹れよう。それから一緒にご飯を作って、食後にクリスマスケーキを食べる。
「ただいま」
そんなことを考えながら冷たくなっているだろう国分くんに手を伸ばすと、その指先に一粒、雪が降りてきた。
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