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四十路目前のあのひと
「あ、三浦」
「は?どこに?」
朝の通勤ラッシュ、偶然会社の後輩である三浦を見つけた俺は思わず声に出していた。隣にいた樋川が吊り革にぶらさがるように前に乗り出してキョロキョロしている。前に座っていた女子高生が露骨に迷惑そうな顔をした。
「こら樋川、やめろ」
「いないっすよー三浦さんちっせーから紛れてんすかね」
今時の若者らしくワックスで髪を立たせている樋川のこういうところが嫌だなと思う。
「入り口付近に立ってる、なんかやたらでかい男の陰で見えないが」
「どこ…お、いたいた」
三浦は背が低い。背が低いことと中学生みたいな髪型のせいで学生に見える。当人も最近、高校生に間違えられたと言っていた。
「どうでもいいっすけどあの前に立ってるやつでかくないっすか」
三浦の前に立っている男は、原色の緑に変な鳥の絵が描かれたTシャツの下に、色が複雑に混ざり合った長袖のシャツを着て、作業着みたいなズボンをはいていた。それが緩くパーマのかかった髪と、いかつい黒ぶち眼鏡に不思議とマッチしてお洒落だった。真似できない感じだ。
そして背が高く、三浦を隠してしまいそうな感じ。
「あれ多分ゲージュツでしょ。あのぶっ飛びセンス」
ゲージュツが何を意味するのか分からなかったが、ありえねえと呟く若い後輩とのコミュニケーションが面倒であえて流す。
「つか、なんか」
なんか近くないかあの二人。男は三浦の顔の横に腕を付いている。恋人みたいに。
同じことを思ったらしい樋川と顔を見合わせた。それが不愉快ですぐに顔を反らす。
「いくら満員電車だからってあの距離は」
樋川が何か言いかけた瞬間、電車がカーブにさしかかり揺れた。
「え、なにあれ」
樋川が、辛うじてあった敬語の抜けた間抜けな声を発した。けれど俺はそれを不快に思うよりも、呆気にとられていた。
カーブで体勢を崩した三浦が、前に立っている男に支えられて。いや、というよりは抱きかかえられて。それよりも体勢を立て直した三浦が男を見上げた顔が。
「恋しちゃってるカンジっすよね。あれ」
樋川の言う通り、三浦の顔はなんだかこう見ていてこっちが恥ずかしくなるような表情で俺は驚いた。そして思いの外、普通の声色で言った樋川にも俺は普通に驚いた。
「へー三浦さんてあんなんがタイプなんすねびっくり」
いや俺は普通に考察してるお前にもびっくりしてるからな。
「世の中にはやっぱいろんな人がいるんすねえ」
「……そうだな」
間もなく不惑を迎える俺は、今時の若者の懐の深さに感心したような呆れたような心持ちで、変な顔をした。
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