国語辞典パラドクス

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国語辞典パラドクス

 登校したら友達が『この世界はきょう作られたんだぜ』と言ったとする。はいはい病院なら駅前だぞと教えてやる一方で、しかしきのうの世界の存在をどうやって証明したらいいだろう。いや確かにきのう食べた背油マシマシのラーメンは美味かったという反論は、もしかすると、悪戯好きな側頭葉が長期記憶を捏造したのかもしれない。  こう言い換えてもいい。  胡散臭い科学者がほかの原子に干渉し得ない、それひとつで世界が完結している物質Xの存在を提唱した。しかしその性質故に、こちらの世界からは観測出来ず存在証明が成り立たない。だが、発見者は言う。それでも確かにそこに在るのだ、と。  もしくは、こうだ。  ぼくたちの一番親しい幻想である夢の世界。自分にしか語られることのない睡眠中の御伽話はもう思い出すことすら、忘れていることすら忘れている。栞を挟む暇もなく崩壊するそれは、果たして存在していると言えるだろうか。  つまり《存在》とはひどく不安定で曖昧模糊とした、ぼんやりと浮かび上がっては沈んでいく夢のようなものなのだ。  暇だからなにか話をしてよ、と言われたのでこんな小噺を提供してみた。するとその依頼主たる女性は、古風な縁側に腰を掛けさらには足を組みその膝に頬杖までついて、相対するぼくの目を見つめて一言いい放つ。 「宇宙的に面白くない」  なんともスケールの大きいその苦情に、頭上に煌めいている天然プラネタリウムまでもが、ぼくを嘲っている気がする。スペースデブリにでもなった気分だ。 「ていうか、そんな哲学というか、SFライクな話ばっかりしてちゃ、学校でモテないでしょ。バークリーなんて知っている子いるの?」  少なくともアンタは知っているじゃないかという反論を喉元で信号待ちさせる。たぶん青になることはない。 「黙ってないでもっと面白い話をしてよ」 「……具体的には?」 「ナビエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ、とか」  その方程式すら知らねえよ。 「どうやらぼくでは話し相手が務まらないようです。別の遊びでも探してください」 「キミが来るまではそうしていたよ。将棋とかね」 「将棋?」ぼくは縁側の奥のほうを見る。暗くてよくわからない。「だれか家のなかにいるんですか?」 「ん? なにを言っているの。将棋は一人プレイでしょ?」 「……………………」  この超絶寂しい人がぼくがさっき出会ったばかりのかがみさんなのだった。
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