17歳

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 ――いないじゃないか、バカヤロウ。  大きなカラスが空を飛んでいる。星も見えない静かな暗闇。時々通りかかる車のヘッドライトが眩しくてうざい。  スマホの画面をスクロールして、返信が来ていないか確認する。そんな作業を繰り返してもう十分以上が経過するのだが、私の近くに人影が現れることはない。  ……別に恐いわけじゃないけど、もしものことがあったらどうしてくれるんだ。こっちは女子高生だぞ。  まあ、そのときはそのときだけど。痛いのとかはイヤだなぁ。    とりあえず、家の前に自転車を止めて――――あ、来た。  「はよせい、遅いわ」  「そう?」  連絡したのは私だけどさ、時間とか考えてくれないかな。   この男の素っ気ない返事に、私は心の中で大きな溜息を吐き出した。  「……はいこれ、プレゼント」  「ありがと」  「17歳、おめでとう」  「うん」  そう言って渡したのは白いぬいぐるみ。顔は犬みたいだけど耳はなくて、不思議な見た目のそれは、私がよく行く雑貨屋でたまたま見つけたものだった。  なんとなくコイツが気に入るんじゃないかって思って買ってしまったわけなんだが……喜んでくれただろうか?    うん、心なしか嬉しそうな表情。――よかった。  「……それじゃあ」  なかなかにレアな彼の喜びようを目にし、満足をした私は家に入ろうと自転車をしまう。コイツのことだ。もらうものをもらったら、さっさと帰ることだろう。というか、むしろ帰ってほしい。  だが、向こうはなぜか動こうとしない。自転車に寄りかかったまま、なにか言いたそうに立っている。  ――は?なんだよ。  「帰らんの?」  「……ん?」  そのまま無言で見つめ合う。  特に意味があるわけじゃないけど。二人きりのときはこうして向き合って、お互いを真っ直ぐに見る。  私も、もちろんコイツもだと思うけど、何かを伝えたいだとか、何かを読み取ろうだとか、そういったことは一切考えていない。  以前、共通の友人から「恥ずかしいとかないわけ?」と奇妙なものを見るような目で言われたことがあった。当然、私は躊躇うことなく「全然」と言い切ったのだが。  まぁ、彼女らの言いたいこともわからなくもない。私自身、この行為になぜ羞恥心が湧いてこないのか不思議で仕方がなかった。  コイツの目と私の目が交わる瞬間、それぞれの視線が絡み合う瞬間。私はずっと、妙な居心地の良さを感じていた。  欠けたピースとピースがピタッとはまるような、そんな感覚を。  「なに?」  先に沈黙を破ったのは私のほうだった。  「いや、なんか疲れてそうだなーって」  予想外の返答。ほんの一瞬、言葉が詰まる。  「……うん、疲れてる。お前のせいでな」  「えー俺かよ」  「そうだよ、お前だよ」  「そんなにボク、迷惑かけてます?」  無自覚なのも、言ったところで直す気など全くないのも、分かってる。私だってそんなこと言える立場じゃないことも。  でも、私の口が止まることはなかった。  「お前、面倒くさい。お前と関わるのすっごい疲れる。ムカつく。顔見るだけでイライラする。ほんと、クソガキ。バカヤロウ」  「そこまで言う……?辛辣だなぁ。けっこう傷ついたぞ?」  いい気味だ。もっと傷つけ。私の暴言が、言葉が、存在そのままがお前の心に傷跡を刻み込めばいいと思った。  「……嫌い、大っ嫌い。アメリカ行ったまま帰ってこなけりゃよかったのに」  「本当は?」  ――わかったような口ききやがって。ああ、そうだ。でも絶対に言ってやらない。今日だけは。  「……本当に、嫌い」  「まったく酷いなぁ」  少し傷ついたような顔。見ないふりをする。  「……髪切らないの?」  「明日切りに行く」  「あっそ。キノコみたいだね」  「……それ結構傷ついてるんだけど」  捨てられた犬みたいにシュンってして髪をもしゃもしゃするから、思わず笑ってしまった。  コイツのこういうところを見て「可愛い」だなんてセリフが浮かんでしまう私は、つくづくバカだと思う。  「癖毛だからどうしてもクルクルになっちゃうんだよ。いいよなぁ、サラサラの髪」  髪質には自信がある。いつもしっかりケアしてるのだから、当然だが。  そこを褒めてもらえたということと、コイツに「羨ましい」という感情を抱かせられたことに、少しだけ気分が良くなる。  「ふっ、いいでしょう。ストレートパーマかければ?」  「学校にバレたらマズいもん」  「そう、かわいそうに」  もう車が近くを通ることはなくなって、私たちの周りは静寂で満たされていた。二人だけの世界に浸って溺れて沈んでゆけたら、どれほどいいだろう。    もしもそれが叶うなら、私は光も音も届かない闇の底で眠りたい。  「俺、女に生まれたかった」  「私は男に生まれたかったよ」    ――だって、そうしたらこの見えない線も踏み越えられると思うから。  きっと今とは違って、堂々と隣に立てるんだろう。  「男は男で面倒なんだよ」  「絶対ウソだね」  「なんでだよ」  しばらく顔を見合わせた後、二人で思わず笑ってしまった。笑い声は次第に大きくなっていった。自然と二人の間の空気が緩んでいくのを感じる。  「……それじゃ、帰るわ」  「ん、気をつけて」  自転車にまたがり漕ぎ出そうとする背中を見送る。  ――風邪ひくなよ。  心の中で呟いた瞬間、ブレーキ音がして目の前の影の動きが止まった。  「あのさぁ、」  「え?」  口に出していただろうか?焦って声が裏返る。  「お前は笑ってたほうが素敵だと思いますよ?」  「…………うっさい。わかったよ」  なんて愛想のない返事。どう返答するべきかわからなかったとはいえ、可愛げの欠片も見当たらない。  だけど、それでも向こうは満足したようで。「じゃーな、おやすみ」と晴れやかに言い放つと、今度は振り向くことなく自転車で走り出し……やがて見えなくなった。  「――おやすみ」  そんな私の声は聞こえただろうか?たぶん、届いていたと信じたい。    星も見えない静かな暗闇――のなかで、確かに光る月が一つ。  また負けてしまった。本当に最悪。やってられない。いつになったらこんな関係を終わらせることができるんだ。……時間と距離が解決するもの?  おそらくその答えはNOだろう。  あの男の本質が変わることはないし、それはたぶん私も同じだ。私はこの錆びた鎖を断ち切ることはできないだろうし、ビリビリに破いてゴミ箱に放り投げることも、くだらないと冷たく切り捨てることもできない。  そんな勇気も度胸も覚悟も、持つことはきっとない。  これから先、ずっと。  ……少なくとも今はそうとしか思えなかった。  誰もいない闇の中、私はひっそりと呟く。  「――たとえ貴方が最低でも、月が綺麗か聞きたいの」
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