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56◇
『真夜中の太陽』
◇◇◇
真冬の青い月の下、黒いヴェールを被る黒衣の花婿は、胸に手を当てて優雅に一礼した。衣摺れと共に甘い薔薇が香る。
「直接言葉を交わすのは初めてかな? 初めまして。我が名は、セイリーズ・アルマ・ディアマンテ・クレアノール。今代の太陽と光の神だ。君の活躍はエリオスから聞いているよ。金月と森の神、天狼のルシオン」
子供に絵本を読み聞かせるのが似合いそうな、落ち着いた優しげな声だった。声に含まれた毒にさえ気付かなければ、きっと夢も見ずに二度と覚めない眠りにつくことだろう。
「……アスタヘルは何処だ」
俺はマントの下でベルトに差した刀の鞘を引いて、いつでも抜けるように鯉口を切った。今更自己紹介して仲良くするつもりなんて無い。無視して問えば、セイリーズは呆れたようにため息を吐いた。
強い風が吹き抜けて、セイリーズのヴェールを剥ぎ取る。はらはらと舞い落ちる白薔薇の花弁は、主人の頬を撫でて夜に沈む。ゆっくりと開く白い瞼の下、サファイアの如き青が妖しく煌めいた。
「遠い所に居るよ。戦場からもクレアノールからも……君からも遠い、安全な場所にね」
太陽神の器はその美貌に慈愛の笑みを浮かべる。遥かな高みから人の営みを見守るかのような余裕は、殊更俺を苛立たせた。
「アスタヘルは俺の番だ! 俺の隣以上に安全な場所なんて、この世に存在しない!」
「本当にそうだろうか? アスタヘルにとって、君こそ最大にして最悪の脅威ではないのか?」
夜闇の中でも、その瞳の青を判別できた。ぼんやりと淡い光を帯びるその瞳は、光の届かない深海で獲物を誘引する魚のよう。アスタヘルは、その光に囚われてしまったのか。
セイリーズは、わざとらしく首を傾げて困ったように笑う。震えながら威嚇する仔犬が可愛くて堪らないといった笑顔で呪詛を吐いた。
「……残念だが、君の隣に居たら十年以内にアスタヘルは死ぬよ」
まるで経典の一節を諳んじるように穏やかに告げられた予言は、しかして雷の一撃のように深くこの身を穿った。
「もう一度……言ってみろ! この詐欺師が!!」
俺の怒りに呼応して、白薔薇が高く枝葉を伸ばす。重たそうに大輪の花を揺らしながら、中庭を鉄柵のように囲った。
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