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だがセイリーズに怯んだ様子はなく、眉尻を下げて悲しげに首を振る。その青い眼は今ここに居る俺の身体を素通りして、今ではないいつかを視ている。
「予言者は嘘を吐かない。嘘を口にすれば眼が濁るからね。――そして、一度口にした予言は取り消すことができない」
くすりと密やかに溢れた美しい笑み。馥郁たる悪の華。その邪悪さに、身体を巡る血が震えた。
これが。これが、聖王だと? 正気を疑う。
「お前……お前だけは殺す!!」
言うが早いか、俺は一息に間合いを詰めて刀を振り抜いた。刀はセイリーズの首を捉えたように見えたが、全く手応えが無い。初撃から間髪入れず、今度は胸を貫いたが、やはり刀は空を斬った。
これは、幻影か?
確かめようと三度斬り込んだ瞬間、幻影は白薔薇の花弁となって砕け散った。咄嗟に腕で顔を庇ったが、眩しい程の白と濃厚な薔薇の香りに噎せ返る。聖王様は獣人との戦い方も心得ているらしい。
或いは、こうなることを予知していたのか。あの恐ろしい青の眼は本物の予言者の眼だと云うのか。だが、それを認めることは、セイリーズの予言を認める事になる。俺の存在がアスタヘルの生命を脅かすなんて、絶対に認められない。
「出て来い! その首叩き斬ってやる!」
白薔薇は未だ鮮血に染まることなく、ゆらゆらと月光の中を泳ぐ。夜風にくすくすと嘲笑う声が揺らめいて、相手の位置が分からない。視覚嗅覚に続き、聴覚にまで異常をきたしているようだ。
予言で動揺を誘い、幻術で惑わし五感を狂わすなど、こんなにも禍々しい光を未だ嘗て見たことが無い。これではまるで魔族のやり口じゃないか。魔族と戦うものは、人ではいられなくなるのだろうか。名無しの王子と対峙した時でも、こんな焦燥感はなかった。
幻影を斬り捨てる毎に光が視界を奪い、眼の奥の脳に刺さるように傷んだ。暴力的なまでに濃い薔薇の香りが弾けて視界が歪む。ふらつく身体を支えようと、刀を地面に刺して攻撃の手を休めたその時、美しき悪魔は囁いた。
「――ルシオン。君はその手で愛しい人を殺すだろう」
時が、心臓が、止まった気がした。
怒りで血が沸騰して肺が空気を拒む。痛む程に熱を帯びる月光花の御印は赤い燐光を散らして、悪意に満ちた予言を拒んでいた。
「黙れ!! お前の眼は腐ってる! そんな未来は有り得ない!」
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