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 俺がいくら否定しても、俺の中の月神(セシェル)の血はその予言が正しいことを知っている。月神は駄々を捏ねる子供のように泣き叫び、俺の理性を身体の外へと弾き飛ばした。  目の前が赤く染まり、ばきばきと大木が折れるような音を立てて身体が軋む。目を瞑り耳を塞いでも嘲笑の声が頭の中で響いた。鉤爪が伸び、指が縮んで赤金色の被毛を纏う。喉から漏れる呻きはいつの間にか獣の唸り声となり、ついに人の言葉を失った。  赤い燐光を纏う忘我の獣は、視界をちらつく白い光を片っ端から引き裂いたが、狂気に誘う笑い声は消えない。  怒りの咆哮を上げながら幻影の左腕に齧り付けば、口内を血の味が満たした。ついに当たりを引き当てたのか、よく知った匂いにほんの僅かに理性が戻る。  口内でみしみしと骨が軋む。二度とふざけた予言を吐けないように、御印と喉笛を喰い千切ってやろうか。  ノコギリのような牙がセイリーズの腕深くに食い込み、骨にまで達した。相当な痛みの筈だが、至近距離で見た涼しげな美貌は少しも歪むことなく、冷え冷えとした視線を寄越す。 「愛に狂う憐れな魔獣よ。君たちが運命に打ち勝つことを祈っているよ」  憐れみに満ちた祈りを呟き、セイリーズは空いた方の腕で俺が地面に刺したままの刀を握る。  視界の隅を黒い流星が瞬き、脇腹にひやりと冷たい感触を感じた。ややあって、それは灼けつくような痛みになって内臓を抉る。  体勢を立て直そうとセイリーズの左腕から牙を離し、身を捩って腹を見れば、妖魔刀天狼が金狼の腹に深々と喰らい付いていた。 「さようなら、ルシオン。……二度と私の前に現れないでくれ」  虚空に無数の光の剣が現れ、痛みにのたうち回る金狼を大地に縫いとめる。真夜中の太陽が夜を焦がすように燃え盛り、白い炎が俺の身体を呑み込んだ。
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