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 風が止み、耳が痛い程の静寂が森を満たしていた。足元で丸くなって眠っていたハティを起こすと、エリオットは杖を手にサロンを出た。  廊下のあちらこちらで使用人たちが眠っている。行き倒れのように無造作に人が転がっている光景は異様で、本当に眠っているだけなのだろうかと不安を誘う。ハティもいつもと違う雰囲気を感じているのか、エリオットに甘えるようにぴたりと寄り添っていた。  午後の陽が降り注ぐ応接室のソファに、レグルスとミラが寄り添って眠っているのを横目に見つつ、ひとりと一匹は城の大階段を上る。ここに来てから毎日のように通ったセリアルカの部屋の前まで来ると、エリオットは杖に嵌め込んだ魔石から銀の長弓を取り出した。  ドアノブに手を掛けて、ゆっくりと回す。鍵は掛かっておらず、ギイィと鈍い音を立てて開いた。静か過ぎる城内では、多少の物音も大きく響く。 エリオットは内心心臓が飛び出そうな思いをしながら、そわそわと落ち着かないハティの頭を撫でた。モフモフは荒んだ心を救う。愛娘の口癖である。  部屋の中は扉のすぐ内側まで、大人の腕ぐらいの太さの荊が蔓延り侵入者を拒んでいる。荊の結界の隙間から中を覗けば、アルファルドの使い魔だろうか、絨毯の上に四匹の魔狼が転がっている。部屋の奥には、カーテンで閉め切られたベッドが見えた。 「下がっていなさい。ハティ」  呼ばれたハティは耳をピンと立ててエリオットの顔を見上げる。『後ろに退がれ』と手で合図すると素直に従った。  言葉が通じているのか定かではないが、何となく意思の疎通はできている気がする。この森の王狼よりは話が通じそうだと、エリオットは苦笑を溢した。  エリオットは銀の長弓を竪琴を弾くように肩に構え、矢をつがえずに弓の弦を弾いた。静まり返った城にびいんと鳴弦が響く。静寂に溶けていく耳鳴りのような振動音に、眠りに弛緩した空気が引き締まった。  大きく深呼吸をして、今度は荊の結界に向かって撃つように弓を構えた。胸を大きく開いて弦を引く。右脚の月女神の御印から銀緑の蔓が伸びて、エリオットの身体を伝い弓まで伸びる。  弓に充分に魔力が行き渡ったところで再び弦を弾くと、音の矢が荊の結界を切り裂いた。荊はばたばたと崩れ落ち、闇に澱んだ部屋の中に陽の光が差す。荊の残骸は陽光を浴びた途端、道端で干からびるミミズのように縮んで、ボロボロと風化していく。
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