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結界が壊されたことはすぐにアルファルドの知ることとなるだろう。ここからは時間との勝負である。
エリオットが弓を構えたまま部屋に入ろうとしたその時、ベッドの側の暗がりから低い唸り声が響いた。
『ちかづくな。だれもるーねに、ふれる、いけない』
膨れ上がる影の中に真紅の双眸が開く。ゆらゆらと陽炎のように黒い被毛を逆立てて、アルファルドの相棒オリオンは立ち塞がった。
そう簡単にはいくまいと思っていたが、オリオンに月女神の子守唄が効かなかったことは、少なからずエリオットを動揺させた。
「通してくれオリオン! 早くしないと、その子が死んでしまう。番が死んだら、君の主人だって悲しむだろう?」
『きょうだいは、のぞむ、ない。ちかづくやつ、ころす!』
轟と響く竜の如き咆哮にビリビリと城が揺れた。凄まじい威圧に足が竦んで震え上がる。弱い動物だったら、今のひと声だけで気絶しただろう。森の王の兄弟と呼ぶに相応しき風格である。
オリオンは千年前にルシオンと契約を結んだ魔狼シリウスの子孫である。セシル家の子らを兄弟と呼び、契約の強制力に等しい強い愛情と絆で結ばれている。群れの頭を尊び、兄弟を裏切ることは決して無い。
アルファルドが殺せと命じたならば、忠実に従うだろう。
魔狼と真正面から戦うにはエリオットの足では分が悪い。それでもひと度月女神が弓を射れば、いかなる獣も仕留めてしまうとエリオットは確信している。
銀月と狩猟の女神ルーネの魔弓は獣に絶大な効果を発揮する。オリオンでさえも例外ではない。だがそれではあまりにもオリオンが報われない。狩ることが目的ではないのだから。
ふと血の匂いを察知して、エリオットは目を凝らす。オリオンの漆黒の被毛をよく見れば、牙と前脚から黒い血が滴り落ちていた。
眠りの魔法に抗うために、自分の前脚に噛み付いたのか。そうまでして主人に忠実であろうとするのか。オリオンの健気な姿に、エリオットの胸に罪悪感が募った。
「オリオン……すまない」
事は一刻を争う。断腸の思いで弓に矢をつがえた時、エリオットの足元から白い毛玉が飛び出した。転がるボールのように飛び出たハティは、勇敢にもオリオンに飛び付いた。
しかし、力も戦闘経験もオリオンの方が上である。セリアルカを取り戻したい一心で挑んだものの、数分と保たずにハティは首を噛まれて床にねじ伏せられた。
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