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月に一度の俺の楽しみ。それは仕事帰りにレイトショーで映画鑑賞をすることだ。残業で間に合わないことも多かったが、それでも月に一回は絶対に映画を見ると決めていた。高校生、大学生のころから映画は好きだった。一瞬だけ映画関係の仕事に就こうと考えたこともあったが、一度だけ脚本を賞に出して落選してやめた。たったそれだけの、ちょっとした気の迷いだった。そして俺はさして興味のない玩具会社に就職し、早五年、クビを宣告されたわけだった。まあ、それも当然かもしれない。やる気のない社員をクビにするのは当たり前だ。俺よりやる気のない上司の顔は思い出さないようにして。
(でも今見る映画ねえよな・・・・・・)
昨今はコロナ渦の影響で新作は軒並み延期、俺の楽しみにしていたヒーロー映画なんて延期どころか中止に追い込まれた。暑苦しい布マスクの下でゼーハーゼーハー息を吐きながら、俺は改札口を出る。今日は絶対映画を見る。それがどんなキラキラ映画だろうがアニメ映画だろうが、あの大画面で映画を見る。それだけを胸に秘め歩き続ける。商業ビルのエレベーターに乗り込み最上階の映画館に駆け込むと、もうすでに映画館は店じまいをしていた。安物の腕時計を見ると午後十一半。この時間に上映している映画などもう少ないだろう。このコロナ渦じゃ尚更だ。俺はチケットカウンターに飛び込むと、制服をきた若いアルバイトらしき女性に声を掛ける。
「すみません。いまから見れる映画ってありますか?」
チケットカウンターで暇そうに立っていたその女性は目をぱちくりさせると、ちらりと電光掲示板に目をやった。もうすで全ての映画は上映終了、もしくは上映中となっていた。
「申し訳ございません。もう全てのチケットは販売終了となっておりまして・・・・・・」
「途中からでもいいで、ほんと、なんでもいいので・・・・・・」
財布からお札を取り出し、トレイに千円札を二枚叩きつける。そんな俺を女性は両手を振って拒否する。
「だ、ダメですよ! 上映から二十分以降の入場は原則禁止されてまして・・・・・・」
「お願いします! なんならお金も倍払うんで・・・・・・」
どうしても、どうしても今日は映画が見たかった。見なければ、もしこのまま映画を見ずに家に帰ってしまえば、俺は線路に飛び込んでしまいそうだった。
「お、お客様! あ、あのこれ以上騒がれますと警備員の方をお呼びして・・・・・・」
「どうしたんだい? 片野さん」
「は、羽柴支配人!」
ひょこっと、関係者入り口から三十代ほどの男性が顔を出してきた。制服は着ておらずスーツ姿で、この映画館の偉いさんなのだろう。その姿を見ると女性は明らかにホッとした様子で、羽柴と呼ばれた男性に駆け寄っていった。俺には話の内容は聞こえないが、きっと映画を見せろと喚いているクレームがきていると相談しているに違いない。男性は頷きながらその女性の話を聞くと、女性の肩に手をポンと置いて、一人で俺のほうまで歩いてやってきた。そして白いマスクをしたその男性は、俺に優しく話し掛ける。
「ところでどの映画をご所望でしょうか?」
「・・・・・・え?」
唐突なその質問に虚を突かれる。特になんでもよかったので映画の確認などしていなかった。その俺の姿に男性はなんの反応も示せず、すらすらと上映中の映画を答えていく。
「今だとリバイバル上映の作品だけですね。コロナの影響で新作の公開が中止や延期になってまして。その穴埋めに往年の名作をリバイバル上映しているんですよ。そのリバイバル上映する映画は私が決めてまして、今だとこちらの映画がオススメですね。社員たちからの受けは悪いですが」
苦笑いする男性が電光掲示板を指し示す。そのタイトルは、過去自身が一度だけ見たことがあったサイバーパンクものだった。有名だからというだけで見て、最初はその映像美に釘付けだったが、画面の暗さと話の長さに飽き飽きして途中で寝てしまった映画だった。
「原作本の邦題が有名ですよね。色んな作品でパロディされていて。この映画の原作がそれだと知らない人のほうが多いんじゃないでしょうか」
男性は目だけでニコリと笑うと「それでどうされますか?」とまた俺に尋ねた。
「あ、いや、え、っと・・・・・・」
俺は急に恥ずかしくなって、俯いてしまう。三十も目前になって俺は何をしているのだろう。特に見たい映画も決めずに飛び込んで、アルバイトの女性を困らせて、先ほどまで昂っていた頭が急激に覚めていく。財布をギュっと握りしめる。それでも俺はやっぱり映画が見たかった。映画館という特別な空間に逃げ込みたかった。俺はガバッと男性に頭を下げる。
「ど、どうしても映画が見たくて・・・・・・め、迷惑かもしれませんけど、あ、あのその、オススメでお、お願いします」
「わかりました」
男性は頷くと、チケット販売機のキーボードを打ち始める。
「それではチケット大人一枚、レイトショーなので千四百円になります。当館のカードはお持ちでしょうか?」
「あ、いや、きょ、今日は持ってきてません・・・・・・」
実は持ってきてはいたが、何故か嘘をついてしまう。一刻も早くこの場から去りたくてしょうがなかったし、なにより頭が回らなかった。
「わかりました。また後日レシートとカードをお持ちいただきましたらポイントとマイルを追加いたしますので」
男性はトレイから千円札を二枚ひらりと掴むと、チケットとおつり六百円をトレイの上に丁寧に置く。
「あ、あ、あのえ、っと・・・・・・・」
「あと三十分ほどで上映終了いたしますので急いでください。それではこちらにどうぞ」
有無を言わさぬ言動でその男性はカウンターからホールに出ると、俺を先導し歩いて行く。俺の手には百円玉六枚とチケット一枚。男性は受付までいくと、係員に耳打ちして係員と入れ替り、俺にもぎりのを対応する。
「申し訳ございませんが、感染予防のためサーモグラフィーの前に立っていただけないでしょうか」
男性に言われるままサーモグラフィーの前に立つ。病人のように目の下の隈がくっきりとした青白い顔が写り、体温は35度だと表示された。
「はい、大丈夫ですね。それではチケットを拝見させていただきます」
「は、はい」
俺はなすがまま男性にチケットを渡し、ちぎった半券を返される。レイトショー、千四百円。俺の時給より幾ばくかも高い値段。
「それでは映画の旅をお楽しみください」
映画が上映される前の予告と同じような台詞をいいながら、男性は俺の背を押す。赤い絨毯を踏みしめながら、俺は一番奥の一番小さなシアタールームまで、戸惑いながら歩いて行った。
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