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次の日の昼休み。
その日は珍しく外回りの無かった瀬田は、社員食堂ではなく、会社近くのカフェでランチを取ることにした。そのカフェは、夜は酒を出すバーとして営業するため、夜には何度か飲みに行ったことがあるが、昼に行くのは初めてだった。
マスターが、昼にしか出さないカレーを食べて欲しいと話していたことを思い出す。
客先からのメールへの返信に時間を取られ、ランチタイムに少し出遅れたためか、あいにく、カフェは満席だった。
幸い待ち人数はいないものの、十二時を少し回ったところだから、席が空くまでにかなり時間がかかるだろう。
昼休みの時間は限られている。
会社に戻って社員食堂に行こうか、それとも途中にあるコンビニで適当に調達しようか悩んでいると、二人席の向かいが空いているのに気付く。
一人でランチをしている女性の顔を確認すると、店員に知り合いがいるから相席すると告げて、店内に入った。
「佐藤さん、ここいいかな」
「せ、瀬田さん……あ、満席なんですね、どうぞ」
声を掛けられた朱音は、一瞬戸惑う。
相席を断ろうかと迷ったが、店内は満席で、空席はどこにもない。しかも、朱音が入店した時点で、カウンター席が埋まっていたため、二人席に一人で座ることになったのだ。朱音は瀬田との相席を了承するより他になかった。
瀬田は、一足先に運ばれて来たランチプレートを、自分の分はすぐ来るだろうからと、気にせず食べるよう朱音に勧めた。
そうして食べ始めた朱音の様子を、楽しそうに眺める。
「いつも、ここでランチするの?」
「いえ、そういうわけでは……ちょっと気が向いて」
真っ直ぐに見つめられ、朱音は思わず目を逸らす。
「そうなんだ。佐藤さんがそうやって美味しそうに食べてると、いい宣伝になりそうなんだけどな」
「これ以上混んだら、待ってる間に昼休みが終わっちゃいますよ」
「確かに。ここ、夜は来たことあるの」
ようやく運ばれたきたカレーライスを頬張りながら、瀬田は会話を続ける。
「い、いえ……」
「っていうか佐藤さん、お酒飲む?」
「あまり……飲み会の乾杯程度ですね」
「そうなんだ……あ、昨日の本はもう読んだの?」
朱音が素っ気ない返事をしていると、瀬田は話題を変えてきた。
「今、読んでるところです」
「佐藤さんって、喜多行人が好きなの」
喜多行人は、昨日朱音が購入した本の著者である。数年前に、その著作がドラマ化されたことを契機に知名度が上がり、新作の発売日には、どの書店でも大量に平積みされる人気作家だ。今では何作もドラマ化されており、その視聴率も高い。
「面白いですし、人気があるのもわかります。業界の事情が丁寧に描かれた硬派なミステリーですが、読みやすい文体で、気負わずに読めますし」
本の話になり、朱音は思わず饒舌になった。
幼い頃から本の虫であった朱音は、人との会話が苦手だが、本のことなら、どれだけでも話せる。とはいえ、基本的には自分の好みに合う作家か、余程話題になって気になった作品しか読まないため、幅広い知識があるわけではない。
「僕も同感。その言い方だと、好きな作家は他にいるってとこかな?」
「そうですね……でも、瀬田さんが知ってるかどうか。特に好きなのは西野須奈さんって方です」
瀬田の問いに、朱音は迷いながらも慎重に答えた。
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