必然の偶然

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 西野須奈は、何作も著作のある人気作家には違いないが、ライト文芸に分類されるレーベルから出ているため、一般の知名度はそれ程高くはない。  ライト文芸は、ライトノベルよりは大人向けの作風で、地に足の着いた設定や現代が舞台の作品も多い。しかし、一般文芸とは異なり、表紙にはライトノベルのようにキャラクターのイラストが描かれることが多い。そのため書店によっては、ライトノベルと同様に漫画の近くに陳列されることも少なくない。 「知ってるよ。確か、何年か前にドラマにならなかったっけ?」  ファンからすれば、ある意味黒歴史としか言い様のない出来事を出され、朱音は僅かに顔をしかめる。 「ああ、そういえば……でも、主人公の配役が全然イメージと違っていて、原作の良さも生かされてなかったので……」  ドラマ化されたのは、西野須奈の著作の中でも大ヒットしたシリーズだが、主人公のイメージとは全く異なる役者がキャスティングされた。その当時は、役者には罪が無いとはいえ、当人が起用されたCMすら見るのが嫌になり、しばらくその商品の購入を控えた程であった。 「ははは、手厳しいね」 「西野須奈は、繊細で抽象的な心情描写が特徴なんですけど、ドラマでは、その辺りの表現が直接的で、じゃあ西野須奈の作品じゃなくてもいいのにって。映画では、そんなことないと思いたいのですが……」  何より朱音が気になったのが、ドラマでは原作の持ち味が、一切生かされていなかったことである。  例えば、主人公が悲しみに暮れる場面。  原作では、ただ雨が降る中を、主人公は涙をこらえ、傘も差さずに歩き続ける。しばらく町の様子が描写され、いつしか主人公の目から涙が零れたが、雨が涙を隠していたと描かれていた。  それを読んだ朱音は、主人公が、自分が泣いていることに気付いていなかったのだとわかった。雨が涙を隠すとは、おそらくそういう意味であろうと読んだのだ。  しかしドラマでは、主人公は最初から泣き、雨の中に飛び出した。  ドラマだけを見れば、分かりやすい演出であり、特に問題があるわけではない。むしろ、キャスティングされた役者を生かす演出であった。しかしそれでは、原作で描かれていた、主人公が、自分が泣いていることに気付いていない、という部分が無視されてしまう。  既に、ドラマとは別に映画化が発表されているが、ドラマの二の舞にならなければいいと思っている。 「何かわかるよ、それ。実は、ドラマがきっかけで知ったんだけど、正直、原作の方が面白かった。それに、映画は監督もキャストも期待できそうだよね」  思わず語ってしまった朱音に、瀬田が苦笑気味に答える。 「それなら、ドラマになった甲斐もありますね」  瀬田の言葉に朱音は、ドラマをきっかけに原作のファンが一人でも増えたのなら、自分が好きな作家の良さを分かってくれる人が読んでくれたのなら、それはそれで嬉しいと思った。そうして瀬田の前で、初めて笑顔を見せた。
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